奇妙な改憲
2026年4月12日、自民党大会。高市早苗総裁は「立党から70年、時は来た」と声を張り上げ、来年の党大会までに憲法改正の発議にめどをつけると宣言した。結党70年の新ビジョンには、改憲が「死活的に求められている」と記された。
「時は来た」
1990年2月10日、橋本真也が蝶野正洋とタッグを組んで、アントニオ猪木&坂口征二組と対戦する前のインタビューで発した言葉だ。
蝶野は橋本の言葉に、笑いを堪えるのに必死だったという。
ちなみに、試合には敗れている。
鳩山一郎の夢
さらに溯ること35年前の1955年。自由党と日本民主党が合併して自由民主党が生まれた、いわゆる保守合同だ。このとき、憲法改正を党是として持ち込んだのは、日本民主党の総裁・鳩山一郎だった。
鳩山の改憲論は、今の自民党のそれとは方向性がまったく違う。鳩山が目指していたのは、在日米軍を撤退させ、日本が自前の防衛力を持つことだった。実際、鳩山内閣の重光葵外相は米国に対して在日米軍の撤退と対等な相互防衛条約への切り替えを打診し、ダレス国務長官に一蹴されている。鳩山は同時に日ソ国交回復を実現し、東西どちらにも開かれた全方位外交を志向した。
つまり鳩山にとっての改憲とは、「米軍に頼らない独立国家になるための手段」だった。9条を変えて再軍備するのは、米軍を日本から撤退させるためだった。
岸信介による「すり替え」
ところが、鳩山の退陣後に政権を引き継いだ岸信介は、同じ「自主憲法」という旗を掲げながら、中身を正反対にすり替えた。
岸の路線は明快だ。自主憲法・自主防衛・アジアへの経済的進出を、反共・親米という枠組みの中で展開する。鳩山がアメリカから距離を取ろうとしたのに対し、岸はアメリカに認めてもらうために軍備を整えようとした。安保条約の改定は、改憲への布石でもあった。
しかし、岸が目指したのはあくまで「対等な日米関係」だった。
孫の代で変質した改憲論
岸の改憲への執念は、長い時間を経て孫の安倍晋三に引き継がれた。しかし、2012年に自民党が発表した憲法改正草案は、岸の構想ともまた別物に変質していた。
最も注目すべき変更点は、基本的人権に関する条文だ。現行憲法の「公共の福祉」という概念が「公益及び公の秩序」に置き換えられている。一見ささいな文言の違いに思えるが、意味は大きい。「公共の福祉」による人権制限は、他者の人権との衝突がある場合に限られる。ところが「公益及び公の秩序」となると、国家が定めた秩序に反するという理由で人権を制限できるようになる。
さらに草案は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定めた97条をまるごと削除し、国民にも憲法を守る義務を課した。草案99条3項には「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」と書かれている。自民党草案策定に関わった船田元議員自身も「緊急事態条項は書き過ぎ、欲ばりだった」と認めている。
現行憲法は何の障害になるのか
こうして70年の歴史を眺めると、あることに気づく。改憲の目的が、時代とともにどんどん見えにくくなっているのだ。
鳩山一郎の時代には明確だった。米軍を撤退させ、独立国として立つ。岸信介にもビジョンがあった。反共の砦としてアジアに君臨する日本。しかし現在の改憲論から立ち上ってくるのは、「改憲すること自体」への情熱であって、本当のところ、改憲によって何を実現したいのかがはっきりしない。
自民党新ビジョンの中で、憲法改正の「死活性」の根拠として挙げられているのは「安全保障環境の変化」「ウクライナ侵攻に見られる国際秩序の動揺」という二点だ。しかし、そうした状況に、なぜ現行憲法では対処できないのかという具体的な説明はない。
中国や北朝鮮から攻撃されるという事態を想定したとき、現行憲法はその対処の決定的な障害になるのだろうか。答えは、ノーだ。政府自身が一貫して認めている通り、日本が直接武力攻撃を受けた場合の反撃——個別的自衛権の行使——は、9条の下でも当然に許容される。武力攻撃事態対処法、国民保護法、自衛隊法の防衛出動規定など、有事に備えた法制度もすでに整備されている。北朝鮮がミサイルを撃ってきたときの迎撃も、尖閣への侵攻に対する防衛出動も、現行憲法と現行法の枠内で対処できる。
さらに2014年の閣議決定で、日本と密接な関係にある他国への攻撃が日本の存立を脅かす場合には、限定的に集団的自衛権も行使できるようになった。これも憲法を変えずに、解釈変更と安保法制の制定で実現している。つまり「日本を守る」ために必要な法的手当ては、改憲を待たずにほぼ終わっているのだ。
では、現行憲法で「できない」のは何か。敵国領土への大規模な侵攻作戦や、日本の存立に直接関わらない他国間紛争への軍事介入——要するに、日本防衛とは別の次元の軍事行動だ。改憲で外そうとしている「縛り」は、日本が攻められたときに困るような縛りではない。米軍とともに、より広い範囲で、より自由に軍事行動をとる際に邪魔になる縛りなのだ。
もちろん、「自衛隊の憲法明記による国民的納得」「緊急事態での統治空白リスク」「サイバー・宇宙・グレーゾーン事態への対応」など、改憲派が挙げる理由にも一理ある。しかし、それらは、ひとつひとつ慎重に時間をかけて議論すべきポイントであり、そこに僅か1年で改憲まで持ち込むような「死活性」を認めることは出来ない。
皮肉では足りない皮肉
ここに、「皮肉」という言葉では表しきれないほどの歴史の皮肉がある。
自民党の改憲論の原点にあったのは、「GHQに押しつけられた憲法を変える」という悲願だった。ところが、70年かけてたどり着いた改憲の実質的な帰結は、自衛隊あらため日本軍がそのGHQの残滓である在日米軍に心置きなく奉仕できるようになることだ。
筆者は、必要があれば憲法を変えることはあってよいと思っている。憲法は不磨の大典ではない。ゆっくりと議論を深め、国民の大多数が納得するような改憲であれば良い。
しかし、自民党のこの性急な憲法改正への情熱がよくわからない。鳩山一郎が夢見た「米軍のいない独立国家」はどこにもない。岸信介が目指した「対等な日米関係」も見当たらない。残ったのは、当初の目的を見失った70年来の「党是」と、後付けされた「死活性」だ。その結果が、憲法を押しつけてきた相手に奉仕するために憲法を改正するという奇妙さを生み出している。
「時は来た」
予測不能のトランプ大統領を頂くアメリカがもはや最大の脅威とも言える今が「その時」だとするならば、改憲の目的は推して知るべし、ということになる。
鳩山一郎も岸信介も草葉の陰で泣いている。
