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神仏のお告げは「声」ではない!?宮島で突然、二つの世界がつながった。(三鬼大権現)

宮島で「空白の正体」を教えられた⁈

宮島の大聖院で三鬼大権現のご祈願を受けていた。

太鼓と読経が堂内に響く。

こういう場所では、不思議なことが起きる。

といっても、光が見えたわけでも、声が聞こえたわけでもない。

突然、まったく別々に考えていた二つの言葉が頭の中でつながった。

「構造的空隙」と「虚空蔵菩薩」。


ロナルド・バートが提唱した「構造的空隙」とは、人と人、組織と組織、情報と情報がまだ接続されていない空白をいう。

普通なら、空白は「何もない場所」である。

ところがネットワーク理論では逆だ。

そこには、まだ誰も結びつけていない情報がある。

だから、その「あいだ」に立つ者には価値が生まれる。

その瞬間、なぜか「虚空蔵」という言葉が浮かんだ。
虚空蔵菩薩。


虚空のように広大な智慧と功徳を蔵する菩薩である。

そこで気づいた。

「空っぽだから、何もない」のではない。
「空いているから、まだ何にでも接続できる」のだ。
構造的空隙も同じだった。

経営と宗教。

AIと仏教。

投資と歴史。

身体と修行。

それぞれの世界の内部には、すでに大量の知識が蓄積されている。

しかし、本当に新しいものが生まれるのは、その境界にある。

誰も立っていない「あいだ」だ。

そこで異質なものを結びつけ、意味を与え、別の世界へ渡していく。

ロナルド•バートなら、それをブローカーと呼ぶ。

仏教なら――。

虚空蔵菩薩という言葉が、妙にしっくりきた。

そして、ここから少し話が怪しくなる。

なぜ、この発想が三鬼大権現への祈願中に出てきたのか。

私は説明できない。

脳科学的に言えば、非日常的な儀礼環境によって注意状態が変化し、それまで脳内に蓄積されていた概念が突然結合したと説明できるだろう。

たぶん、それで説明はつく。

ただ昔の人なら、もっと簡単に言ったはずだ。
「お告げをいただいた」と。

私は、その言い方も嫌いではない。

神仏から本当に情報が送られてきたのか。

自分の無意識が答えを出したのか。

その境界は、わからない。

だが、考えてみれば、それ自体が「構造的空隙」だ。

科学と信仰。

合理と神秘。

意識と無意識。

その「あいだ」に答えが現れた。

三鬼堂を出たあと、ひとつだけ妙に腑に落ちていた。

虚空とは、何もない場所ではない。
まだ結ばれていないものが、無数に眠っている場所なのだ。


そして虚空蔵菩薩とは、その虚空から智慧を取り出し、自分だけのものにせず、こちら側へ運んでくる存在なのではないか。

――だとすれば。
あの祈願中に起きたことを「偶然」と呼ぶか、「お告げ」と呼ぶか?
その判断は、読者に任せようと思う。

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