大人の夏休み(9)
モンチッチ様とは、妻のことである。子供の頃モンチッチが好きだったこと。そして、モンチッチのような素敵な髪型が、よく似合っているのでそう呼んでいる。
そのモンチッチ様が、フライパンを振りながら「この味どう?」と、味見を求めてきた。小皿に乗っていたのはナスを味噌で炒めたものでピーマンも入っていた。ナスの身に染み込んだ味噌の甘辛さと柔らかい食感が調和し、ピーマンやナスの皮の歯応えのある食感が、味噌炒めの風味をさらに深めた。
ピーマンだと思っていた緑の物体の中には青唐辛子も入っており、この辛さが足りないものを彼女の実家では「バカ」と呼び、味に締まりの無いことを端的に表現したのだと思う。
ゆっくりと味わっていると、再びモンチッチ様が「どう?」「私はこれが大好きなんだけど・・・」「夏になるとお母さんがいつも山のように作ってくれたんだ」
「おいしいよ」というと「大好き?」と聞き返された。
「大好きって訳ではないけど・・・」「普通においしいよ」というと、モンチッチ様は少し不満げだった。
その時、ある情景が甦っていた。
時は遡って高校一年生頃、毎週木曜日は二人で船橋駅の近くのドトールコーヒーでお茶をするのが習慣だった。相手は同じクラスの女子。しかし、いわゆる「お付き合い」をしていた訳ではない。たまたま気が合うだけの友達だった。
梅雨入りした木曜日。その日は夏を垣間見るような日だった。
いつものように、二人でドトールに寄った。注文してトレーを持ちながら階段を上がると、コーヒーの香りが強く漂う。右側の窓際の席に座ると雲の合間から空が見える。西陽もだいぶ強くなってきた。彼女がブラインドを少し下げた。
「もうすぐ夏だね、夏になると食べたくなるものある?」と彼女が訊く。
好き嫌いがなく、食べるものにこだわりもなく、ほとんどのものが美味しく感じる自分にとっては、意外と難しい質問だった。ちょっと考えて答えたのが「スイカ」だった。
すると彼女が「私はね、夏になるとお母さんがいつも作ってくれるナスの味噌炒めが大好きなの!ちょっと辛くするのがコツらしいんだけど、これがあればご飯がいくらでも食べられちゃうんだ」
彼女は夏休み中にお父さんの転勤でシドニーに行った。それ以来、彼女とは連絡をとっていない。
その年は、果たして美味しいナスの味噌炒めを食べられたのだろうか?
まだ見ぬシドニーという街に、少しだけ思いを馳せていた。
甘酸っぱい思い出のナス料理と、それを思い出させた目の前のナス。
きっと彼女も、今ごろ愛しい人にナスの味噌炒めを作って、味見をしてもらっていることだろう。
