「税金で運営されるビジネススクールMBAの存在意味と意義」を問う
県立・市立つまりは公立のビジネススクールに問いたい。
税金で運営されている意味を、本気で考えているか?
テキストをなぞるだけの授業
ローカルに閉じた身内の網
曖昧なトップの人選
ここから「経営者」は生まれないのではないだろうか。危機感はそこにあるのか?
修士の肩書きを量産することと、地域経済を動かす人材を育てることは別物だ。
県民へのリターンを示す責任がある。
半年、教室に座った
科目履修生として、ある地方の公立のビジネススクールに半年通った。
講義を受け、同級生と話し、教員と接した。その半年間で得た確信は、ひとつだけだった。
ここからは、経営者は生まれない。そう感じた。
教科書の再生産は教育ではない
講義の多くは、テキストに書かれた理論をなぞるものだった。ケーススタディはあっても、過去の成功事例を解説する域を出ない。教室には、現在進行形でビジネスの最前線に立つ教員の声がなかった。
経営は生き物だ。市場は日々変わり、技術は月単位で入れ替わる。教科書の理論を知っていることと、不確実な状況下で意思決定できることは、まったく別のスキルである。
MBAとは本来、後者を鍛える場のはずだ。
テキストを再生産するだけの授業で「経営修士」の肩書きを量産しても、それは学位の価値を希釈しているにすぎない。
身内の網に閉じたネットワーク
ビジネススクールの価値の多くは、人的ネットワークにある。卒業生同士が事業を紹介し合い、共同で新しいプロジェクトを立ち上げ、異業種の知見を交換する。この「つながりの経済価値」は、MBAの学費を正当化する大きな要素だ。
ところが、地方の県立ビジネススクールでは、このネットワークが県内の顔見知りで閉じている。同じ地域の、同じ業界の、似た規模の企業の人間が集まり、似た課題を語り合う。そこに外部からの異質な視点や、全国・グローバルな事業機会が流れ込む回路がない。
身内の網では、化学反応は起きない。地域の経済圏を超えた発想や連携が生まれにくい構造に、税金を投じている。
トップの人選が曖昧
教育機関の信頼は、トップの倫理観に支えられる。
ビジネススクールが経営倫理やコーポレートガバナンスを教える以上、その機関自体がガバナンスの模範であるべきだ。トップの人選基準が「知名度」や「肩書き」に偏り、倫理的な適格性の検証が不十分であれば、教育機関としての根本的な信頼が揺らぐ。
学生は教室で教わる内容だけでなく、組織そのものの在り方から学ぶ。トップの姿勢が「言行一致」でなければ、どれだけ立派なカリキュラムを並べても、教育効果は半減する。
公立である意味
ここで最も重要な問いに立ち返りたい。
公立ビジネススクールは、県民・市民の税金で運営されている。
ならば、その投資のリターンは何か。
私立のビジネススクールであれば、個人が学費を払い、個人がキャリアアップする。それで完結してよい。だが、公立である以上、個人の便益を超えた公共的なリターンが求められる。求めてしかりである。
本来のあるべき姿は明確だ。卒業生が県内で起業し、新たな雇用と税収を生む。既存企業の経営者が学び直し、事業を革新して生産性を高める。行政と卒業生が連携し、地域の産業政策を共に設計する。このサイクルが回ることで、県民の税金は「投資」として回収される。
だが現実はどうか。
卒業生の起業率はどれほどか。卒業生が生み出した新規雇用は何人か。県の税収構造に、どれだけの変化をもたらしたか。
これらの指標を持たず、測定もせず、ただ「経営修士」の学位を毎年発行しているだけなら、それは教育ではない。ハコモノ行政の教育版だ。
建物を建てて終わり、ではなく。学校を作って終わり、になっていないか。
地方の経営人材育成に必要なこと
批判だけでは前に進まない。あるべき姿を考えたい。
第一に、実務家教員の比率を高めること。 現在進行形で事業を動かしている経営者やCxOが教壇に立ち、リアルタイムの意思決定プロセスを共有する。テキストの解説者ではなく、実践の伴走者が必要だ。
第二に、ネットワークを県外・海外に開くこと。 他地域のビジネススクールとの単位互換、オンラインでの全国的な学習コミュニティ、海外のビジネススクールとの提携。県の境界を超えた人的つながりが、卒業生の事業機会を広げる。
第三に、投資対効果を測定・公開すること。 卒業生の起業率、事業成長率、雇用創出数、地域GDPへの寄与。公立である以上、県民に対してこれらの数値を開示する責任がある。
第四に、行政との連携を制度化すること。 卒業生を県の産業政策立案に参画させる仕組み、起業支援のためのファンド、卒業生ネットワークと行政の定期的な対話の場。ビジネススクールを「街の経営参謀」として機能させるデザインが必要だ。
おわりに
ある地方の公立のビジネススクールに半年通い、そこを離れ、別の大学院に進んだ。
離れたのは、そこに未来が見えなかったからだ。
だが、離れたからこそ見えることがある。地方の県立ビジネススクールには、地域を変える可能性がある。県民の税金という重い信託を受けている以上、その可能性を活かす責任がある。
ハコモノではなく、人を育てる場へ。肩書きの量産ではなく、地域経済の変革者を輩出する場へ。
公立の意味を、もう一度考えてほしい。
