お互いどう折り合いをつけるか
はじめに
原発事故後,その影響を心配する人と問題は無いと考える人のいざこざを見て考えるたび,思い出すのが田崎晴明さんの著書
「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」にあった,
「気にする自由」と「気にしない自由」という言葉である.
「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」(PDF版)
背景
小金井市放射能測定器運営連絡協議会が開催した講演会
「いま放射能ってどうなっているの? 東電福島第一原発事故から14年 現地を測定し続けている東大助教のお話」
のポスターに,タイベックスーツを着た人物の写真が使われてちょっとした騒動になっている.
また,後援に小金井市がついていることも批判の一因となっているようだ.
https://x.com/koganei_keizai/status/1963820066522460314
この講演を行うのが,小豆川勝見さんで,環境分析化学,放射能分析/放射線計測の専門家で,東京大学の助教をされている.
小豆川さんは色々なところと連携している.福島県からの依頼を受け小中学生に放射線授業をしていたり,大熊町除染検証委員であったり,そして,市民測定所や,<あの>秋田放射能測定室「べぐれでねが」の測定の依頼を受けていたりもする.
「べぐれでねが」は検出するのも大変な極々微量の放射性物質の検出に大げさな煽り文句をつけていて,ごく一部の人を除いて極めて評判が悪いこともあって,その測定を引き受ける小豆川さんはかなり不評を買っている.
なぜそんな測定を担当するのか,そんな超微量の放射性物質の検出に何の意味があるのかはご本人に語ってもらうのが良いと思うので,もし機会があれば生の声を(公開で?)インタビューしてみたい気がするし,真意を聞きたいと私も思っている.
小豆川さんは,以前,私がとりまとめをしていた第7回放射線計測勉強会(2016年9月開催)にある方の紹介で話題提供をしてくだった.その中で,なぜそんな測定をするのか,と質問したことがある.記憶力が怪しい方なので残念ながらその言葉の詳細は再現できないが,すっきり納得とはいかないものの,そういう考え方もあるか,と一応理解できる回答であったことは覚えている.
その時と現在では状況も心境も変わっているだろうし,小豆川さんがどう考えているかはご本人に聞くしかない.
一方で,今回の騒ぎにちょっとした危惧を覚えたので,以下,あくまでフィクションとして,仮想のお話としてその危惧や私の考えを記してみる.
(私自身,小豆川さんをそんなに良く知っているわけではないのでフィクションとしました)
ちょっとしたフィクションと,それに対するコメント
(以下はフィクションです.実在の人物や団体とは関係ありません)
T大学に大豆川さんという放射能分析,放射線計測の専門家がいる.その方はその専門性から請われ,小中学校で多数の放射線の授業を行ってきた.また,とある自治体で除染の検証を行ったり,研究者としては事故を起こした原発ごく近傍の帰還困難区域に許可を得て立ち入り,厳重な装備を身につけながら環境中の放射性物質の移動を調査している.
他にも,さまざまな市民放射能測定室に呼ばれて技術指導をしたり,放射能に関する講演も依頼されて実施している.食品中の放射性物質を未だに心配する人々からも「あの先生の話ならきいても良い」という一定の信頼も得ている.
また,netでは大変評判の悪いA県の放射能測定室「ばがでねが」からの依頼を受け,高性能測定器でも不検出(N.D.)であるような食品試料を乾燥,炭化など,さまざまな手段で濃縮して極々微量の放射性物質の量を測っていた.大豆川さんの測定する数値はその限界も示し,信用できるものと考えられたが,「ばがでねが」の主催者は放射能が「あった」ことになぜか大喜びし,ま~~~~ったく問題のないというか,よくこれ検出しましたね,みたいな数値をもとに大げさに騒ぎ立てる悪質な人物であった.また,その人物はT大学の研究者が出した結果であると言って権威付けようとした.
netでは,なぜあのような人物に協力するのか,依頼されたからといってただ測定結果を評判の悪い人物に渡すのか,研究者として数値を出すだけでなく,その結果の使われ方まで責任を持つべきでないか,さまざまな非難が寄せられたが,大豆川さんはその問いにはほとんど答えず,淡々と色々な測定値を出し続けた.
ある時,大豆川氏はつきあいのある市民測定所からの放射能の現状に関する講演依頼を受け,承諾した.
現在の主な活動は帰還困難区域内での放射性物質移動の研究ということもあり,入域規定に従ってタイベックスーツとN95マスクを着用する重装備で活動している.講演会の主催者は放射能の危険を喧伝している人であり,目を引こうとそんな姿をパンフレットに採用した.
それを見て,(背景を知らなければもちろん,知っている人でも)
「未だにタイベックスーツを着ていると思っているのか」
「風評加害行為だ」
「ばがでねが(協力者)のあいつだ」
といった拒絶反応に近い批判が起こった.もちろん,福島県内でも帰還困難区域以外でそんな姿をしている人はいないし,そんな誤解をする人もいないだろう.目を引くためにそんな姿をパンフレットに記載すればネガティブな反応が出るのはしかたないと思う.それだけ,原発事故後に被災地域は無神経に痛めつけられてきたせいもあると思う.
しかし,その講演の中身を一切知らない状態で,パンフレット一枚の印象から全てを否定するのは正しいのだろうか.東京の市民測定所で食品の測定をすることはそんなに否定,批判されないといけないことなのだろうか.個人的にネガティブな感情をもってしまうのは理解できるし,何か言いたくもなるが,寄ってたかって否定しにかかるのは行き過ぎてないだろうか.
私が懸念するのは,今は多数派といえる「気にしない自由」を主張する側が,今回の例の様に,「気にする自由」の人(や,そちらにも通じている人)を必要以上に圧迫していないか,ということ.それはまた,「気にしない自由」の側に跳ね返ってこないか,ということ.
私自身は「気にしない自由」を行使する身であるけれど,だからこそ,大きな問題の無い範囲であれば「気にする自由」に干渉しないようにしたいと思っている.
もちろん,「気にする自由」「気にしない自由」を尊重するからといって,それぞれの側が自分たちの側の都合しか考えなければ衝突は起こるし,適切に調整する必要がある.どちら側も,「自由」は自分たちの気持ち<だけ>を優先する理由にはならない.
最近の問題であれば,「気にする自由」を行使する側が「自分たちの家の近くに(復興)再生土を持ち込むな」「福島においておけ」とだけ言い続け,中間貯蔵施設に土地を提供した人のことを一切考えない,あるいは自分たちの方こそ優先されるべきだ,と考えるなら,それは間違っている,と思う.「気にする自由」を行使する人にも,「気にしない自由」を行使する人の意思,あるいは,「気にする/しない」と離れても他者の意思,特に別の当事者の意思も妥当な範囲で容れてもらう必要がある.
だからこそ,「気にしない自由」を行使する側が先走ってはいけないと思っている.
「原発近くの放射性物質の動きについての講演会なんて,東京都の住民にしたらなんの関係も無いではないか」「食品の測定なんてしてもどうせ出ない」とたとえ思っていても(事実そうでも),「気にする自由」は尊重されるべきと思うのだ(実害があれば別ですが).
市民測定室で食品を測ってみると,国内の流通品はN.D.が当たり前,影響を受けた地域のもので微量に出るか,という状況で海外産の食品にそこそこ高い値が出たり,何か気づきがあるかもしれない.少なくとも,それを外の人が否定する必要はない.
「ばがでねが」の測定でも,
通常は数Bq/kgの検出で測ってもN.D.だけど,本当はいくらなの?という問いに対し,「1Bq/kgどころか,何桁も何桁も低いということ」を証明して測定値として残しておくことが重要(どうせ,断っても別のどこかに依頼を出すでしょう.いい加減な値が出てくるなら,自分がきっちり値を出す),
と考えているとすれば,
あるいは,まず(きわめて低いということも含めて)具体的な数値がないことには,個々の人がそれをどう考えるかや,議論もはじまらない,
と考えているとすれば,
大豆川氏のスタンスも,全く理解できないわけではない(私としても,数値の使われ方にはきちんと口を出して欲しいと思っているが).
「ばがでねが」の姿勢は非難に値すると思う.また,どこかの市民測定室がエゴ丸出し,あるいはありもしない危険を煽るような活動を行っているのであればそれはそれで非難されるべきであろう.しかし,それらにつながりがあるからといって,中身も見ずに大豆川さんを非難してつるし上げることには違和感がある.もし,そういった人々とも社会が調整を必要とするなら,話を聞いてもらえるのは大豆川さんのような人だけかもしれない.
以上はあくまでフィクション(仮想の「大豆川」さん)に対するコメントです.
私は「気にしない自由」を守りたい.そのために,「気にする自由」にも最大限の配慮をするべきと思うのです.
