アラフィフ、1400円のラベンダーで幸せを拾い集める
ラクマでラベンダーを買った。
近所の花屋を、ふくらはぎが悲鳴を上げるほどあちこちと回ったものの、ラベンダーはどこにも置いていない。
一般的な通販サイトを覗けば、鮮度を1ミリも下げずにお客様に届けようというプロの気迫を感じられるラベンダーが鎮座しているけれど、まぁ送料が高い。
過保護な梱包はありがたいのだけれど、どうせ私はドライフラワーにするのだ。
多少穂先が折れても、痛くも痒くもない。
庭で摘んだ花を新聞紙に包んで、「よかったらどうぞ」と分けてもらうような、近所のおばちゃんの手渡し感でいいのだ。
そんなわけで見つけたのが、ラクマのラベンダー100本1400円。
あまりにも安い。
安すぎて逆に不安になるくらいだ。
でもレビューは良い。
「まあ、失敗しても1,400円だし」
と、神社でお賽銭を投げるような気持ちでポチった。

このままでもいいかなってくらいバエてる
数日後、届いたダンボールにカッターの刃を入れた瞬間だった。
ふわっとラベンダーの香りが広がり、思わず顔がニヤける。
たった1400円なのに、世界でいちばん贅沢な買い物をした気分になった。
世界は本当に便利になったものだ。
指先を少し動かしただけで、見知らぬ土地の風が、箱に詰められて私の部屋までデリバリーされるのだ。
昔の私が見たら腰を抜かすだろう。
落ちたつぼみも宝物
ドライフラワーにする儀式として、まずはラベンダーの束を軽く振る。
乾き始めたつぼみが、タップダンスのステップみたいな小さな音を立てながら床に落ちる。

ほどほどがどこなのか分からない
本来ならば、我が家の愛ルンバに、轟音と共に吸いこまれて終わるはずの些事だろう。
けれど、つぼみたちまでもあまりに魅香だったので、急に金塊を集めたくなるような衝動に駆られた。
一粒残らず器に回収する。
娘が昔、紅葉のような手で作ったグレーの釉薬の陶器に、小さく盛られたつぼみたちは、それだけでも十分愛らしい。

そしてラベンダーを麻紐で束ねて、逆さに吊るす。
これでしばらくは、私の部屋の景色の一部だ。
私は生花も好きだが、「水替え」という名の重労働が心の底から面倒くさい。
気を抜けば水は濁り、花びらは落ち、絶望感が漂う。
自分の怠惰のせいで、生きているものが弱っていくのを見るのは胸が痛い。
その点、ドライフラワーは私を甘やかしてくれる。
ただ吊るしておくだけで、勝手に自分の時間を止めてくれるからだ。
そして、少しずつコレクションのように増えていくのが私はたまらなく好きだ。
ラベンダーと一緒に届いたもの
それにしても、今回私の胸を占めたのは、ラベンダーの美しさだけではなかった。
出品者の方との、浅漬けのようにあっさりしてるのに不思議と温かいやり取りだ。
「ご注文ありがとうございます。仕事をしているのでまた〇日後に発送します」
「到着を楽しみにしています」
「届きました!とても良いラベンダーで大満足です」
「気に入っていただけて嬉しいです」
たったそれだけのテンプレに毛が生えたような言葉。
それなのに、私の胸の奥の、開かずの引き出しがギギギと開くような音がした。
昔の私はこういうやり取りが苦手だった。
店員の「何かお探しですか?」も、近所のマダムの立ち話も、できることなら全スキップしたかった。
必要なものを無言で買い、サイレントで巣に帰る。
セルフレジ万歳、Amazonの置き配最高。
人間関係のカロリーは1kcalでも消費したくなかった。
それなのに最近は、そういう小さなやり取りに心を揺さぶりれる。
人付き合いが好きになったわけではない。
今でも濃すぎる関係は、心のシャッターを爆速で下ろす。
でも、他人の薄い気配は妙に心地よくなってきたのだ。
顔も知らない、もう二度と交わることのない誰かの
「ありがとうございます」や、
「気に入っていただけて嬉しいです」という文字。
それが、思いのほか長く、心の隅に残っている。

小さな幸せを吊るしておく
逆さまに吊るされたラベンダーは、これからゆっくりと時間をかけて、その鮮やかな紫を褪せさせていくだろう。
でも私は、それを長い間、手放さないと思う。
花が惜しいからではない。
あの箱を開けた瞬間の、目の覚めるような香り。
瞬時につぼみをかき集めたくなった、強欲で滑稽な心の機微。
そして、画面の向こうにいた、顔も知らない誰かの心地よい空気。
私はきっと、それらすべてを一緒に、あの麻紐で縛って吊るしているのだ。
若い頃、幸福はもっと大げさな姿をして、向こうからやってくるものだと思っていた。
ドラマチックな事件や、特別な夜の中にしか、それは存在しないのだと。
けれど、違った。
幸福は、こんなふうに、暮らしのあちこちに、最初からこぼれ落ちていたのだ。
ただ、気づかれずにそこに置かれていただけ。
天井で、ラベンダーが微かに揺れる。
そのたびに私は、自分がちゃんとそれらを拾い集められているかを確かめるように、静かに、目を凝らして見上げるのだ。
