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人は足りている“ことになっている”病棟で、本当に起きていること

「診療報酬の基準は満たしています」 「人員配置のデータ上、人は足りている計算です」

経営陣やデータが示す数字の上では、私たちの病棟は何も問題がないことになっている。 国が推進する「タスク・シフトシェア」や「看護補助者活用体制」の書類も、綺麗に整っている。

それなのに、なぜ現場はいつもカツカツで、張り詰めた空気が漂い、お互いにギスギスしてしまうのか。

「純粋に、医師からの指示や点滴、処置だけをやっていればいいのなら、私たちの仕事はとっくに定時で終わっている」

これが、現場の看護師たちの悲痛な本音だ。 データには決して映らない、数字に換算されることのない「それ以外の業務」が、今の病棟には溢れかえっている。

現看護師長として、綺麗事の裏で本当に起きている現場のリアルを、今日はすべて書き出したい。

■ 90歳でも手術をする時代の、けたたましいアラーム音

今の時代、90代の高齢患者さんが手術を受けることは珍しくない。 医療の進歩は素晴らしいことだ。救える命が増えた。

だけど、手術が終わった後のベッドサイドで何が起きるか。

高確率で起きる、術後せん妄。 自分がどこにいるかも分からず、ルートを引き抜こうとする手。 安静を保たなければいけないのに、ベッドから立ち上がろうとする体。 何重もの既往歴を抱えているから、一つの症状の裏にあるリスクを常に張り付くようにして考え続けなければならない。

転倒・転落を防ぐために、病棟中のベッドに離床センサーを入れる。 すると、どうなるか。

ステーションでも、廊下でも、あっちでピンポン、こっちでピンポンと四方八方からセンサーが鳴り響く。 スタッフ全員が、まるでスプリンターのように廊下を駆け抜ける。 けれど、必死に走って部屋に飛び込んだときには、もう患者さんがベッドの下に倒れている。そんなことだってある。

身体拘束や行動制限をしちゃいけないことは、100%分かっている。そうしたい。 だけど、目を離せば命に関わる転倒が起きる。 内服薬ひとつだって自己管理できないから、看護師が何重もチェックして、一回ずつ口に入れるまで見届ける。 検査や治療の説明をしても、1回では伝わらない。何度も、何度も、優しく、手を替えて説明を繰り返す。

こうした「数分おきに突発的に発生する、目を離せないケア」の連続は、人員配置の計算式には1秒もカウントされていない。 どんなに現場が神経をすり減らし、泥臭い手と時間をかけても、そこに「加算」や「プラスアルファの診療報酬」がつくわけではないのだ。

■ 上から下に「降りてくる」だけのタスク・シフトへの違和感

国は綺麗な言葉で「タスク・シフトシェア」を謳う。 医師の働き方改革のために、医師の仕事を看護師へ。看護師の負担軽減のために、看護師の仕事を補助者へ。

だけど現場にいると、その言葉の構造自体に強い違和感を覚える。 これでは、単に「上から下に、面倒な仕事が順番に降りてきているだけ」ではないか。

特に「看護補助者活用推進」という文字を見るたびに、胸の奥がチリチリとする。 「活用」ってなんだろう。 なんだか、補助者さんを一人のパートナーではなく、看護師の負担を減らすための「都合のいい道具」として使っているような、そんな冷たいニュアンスを感じてしまうのは私だけだろうか。

そんな「使われている感」を抱えたままで、定着するはずがない。 補助者さんの離職率の高さや、人が居つかない本当の理由は、給与の不満だけではない。この「道具として扱われる孤独」に現場が耐えきれなくなっているからだ。

■ 補助者さんもまた、専門知識と危険の隣り合わせにいる

さらに言えば、今の病棟は補助者さんの業務の難易度も昔とは比べものにならないほど上がっている。

感染症の種類が増え、昔なら調べなかったような細かな感染リスクまで可視化されるようになった。 それに伴い、機材の洗浄、病室の消毒、リネンの取扱いに至るまで、信じられないほど大量のマニュアルが存在している。

「これ、消毒しておいて」の一言の裏には、次のような高度な専門知識が必要とされている。 この感染症には、どの成分の消毒液を、何パーセントの濃度に希釈して、どの防護具を着けて対応しなければならないのか。

補助者さんだって、常に感染という「危険」と隣り合わせで戦っている。 ただの雑用係ではない。専門的な知識と責任を求められる、立派な医療チームの一員なのだ。

それなのに、看護師からは「これくらいやっといて」とアゴで使われ、ステーションに行けば座る椅子もなく、患者さんの疾患の背景(なぜこの人がせん妄を起こして不穏になっているのか)の情報も共有されない。

「人は足りている」というデータの裏で、補助者さんは孤独な危険に晒され、看護師は終わらない見守りと記録に疲弊している。 これが、日本の病院のあちこちで起きている「構造の限界」なのだ。

■ 最後に

この状況を、誰のせいにもしたくない。 制度が変わるのを待っていても、目の前の患者さんのアラームは止まらない。

データ上の「人手不足」が解消されないのなら、私たちは「感情の不足」を解消するしかない。 お互いがどれだけ過酷な現場に立っているかを認め合い、補助者さんを「活用」するのではなく、真の「パートナー」として迎え入れる。

そのために、私は病棟のやり方をガラリと変えることにした。 補助者さんが「指示待ちの作業員」から脱却し、自分自身の安全を守りながら、自ら誇りを持って動き出すための具体的な仕組みと声かけ。

次回はいよいよ、私がこのカツカツの病棟で実践した、看護補助者さんの自己効力感を爆上げし、チームを自走させるための「3つの仕組みと声かけリスト」をすべて公開したい。

それを信じて、私は今日も現場に立っている。

次回は、【有料・解決編】『「指示待ち」を「自走するチーム」に変える。看護補助者さんの自己効力感を高める3つの仕組みと声かけリスト』について。 「手伝ってくれてありがとう」を卒業し、対等なパートナーとして補助者さんが輝き出す、具体的な仕組みの全貌を明かします。

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