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【THISコミュニケーション考察】なぜデルウハは「正しいのに気持ち悪い」のか? 他者を管理対象として扱う発想の破綻

今回取り上げるのは、六内円栄先生の怪作『THISコミュニケーション』です。

本作は、人類の生存を懸けて未知の脅威に立ち向かう少女たちと、彼女たちを率いる指揮官の戦いを描いたSFサバイバルサスペンス。しかしその本質は、世にあふれる絆や信頼といった美しい言葉をことごとく裏切り、徹底的に人間のエゴと歪な心理を描き出す、極めて異質な作品です。

まずは、未読の方に向けて、本作の持つ突出した魅力を3つのポイントに凝縮して解説します。


未読の大人を惹きつける『THISコミュニケーション』3つの特性

  • 「1時間以内に殺してリセットする」不条理なルール
    主人公のデルウハは、自分が生き残るために不死身の少女兵「ハントレス」たちを指揮します。彼女たちは死ぬと「過去1時間分」の記憶を失って蘇生するため、デルウハは自分に不都合な事実を知られたり、チームの連携が乱れたりすると、1時間が経過する前に躊躇なく彼女たちの命を自らの手で奪い、記憶を初期化します。この常軌を逸した仕組みが、物語に異常な緊張感を生み出しています。

  • 計算し尽くされた「コマ割り」と沈黙の演出
    作中では、キャラクターが言葉を発しないシーンの描写が極めて緻密です。視線の微細な動き、手の位置、コマとコマの間に生じる不自然な「間」だけで、キャラクターが抱く猜疑心や裏切りの予兆を表現しており、読者は絵の端々に隠された心理戦の伏線を読み解く喜びに没入できます。

  • 凄惨な状況すら笑いに変える、乾いた筆致
    凄惨な殺戮や非道な裏切りが繰り返されるにもかかわらず、作品全体の空気は不思議なほど淡々としています。お涙頂戴の過剰な演出を徹底的に排除し、事態がめちゃくちゃにこじれていく様を客観的に描き出すことで、他では味わえない極上のブラックユーモアが成立しています。

【深掘り考察1】人間関係を理解しすぎる怪物が、誰とも「絆」を築けない断絶

本作の核心であり、物語の巨大な歪みそのものであるのが、主人公・デルウハという男の存在です。 彼は一見、無駄を嫌う知性派のように振る舞っていますが、その本質は、人間の心理を動物的な直感で掌握し、コントロールすることに長けた「対人理解の狂人」です。

彼は、少女たちが何を望み、どう言葉をかければ騙され、どう扱えば動くのかを完璧に理解しています。しかし、これほど他人の心を正確にトレースできる能力を持ちながら、彼は誰ともまともな情緒的関係を築くことができません。彼にとって他者は、自分の生存という目的を達成するための環境の一部であり、記号に過ぎないからです。

「人間を誰よりも理解している怪物が、誰とも人間関係を作れない」 この徹底的な断絶が、物語に奇妙な悲喜劇を生み出しています。彼が少女たちを操るために紡ぐ優しい言葉や偽りの繋がりは、確かに確実な戦果を出しますが、それは心の交流などではなく、破滅的なすれ違いの連続です。生存への執念ゆえに周囲を欺き、事態が奇妙な方向へ加速していく滑稽さこそが、本作の一貫した視点です。

【深掘り考察2】なぜデルウハは「正しい」のに、これほどまでに「気持ち悪い」のか

本作が凡百の倫理崩壊モノと一線を画しているのは、デルウハが「間違っているから負ける」という展開へ安易に向かわない点にあります。彼は多くの場合、冷酷に計算を成功させ、戦術的に勝利を収めます。しかも、大局的に見れば彼の判断はだいたい正しい。

それにもかかわらず、読者の胸には言いようのない不快感と、同時に奇妙な目が離せなさが残ります。本作の面白さは、デルウハが狂っているからではない。むしろ恐ろしいほど正しいからこそ、その正しさが人間社会の営みと全く噛み合わない不気味さが際立ちます。

本来、人間が他者を理解しようとする行為は、歩み寄りや共感のために使われます。しかしデルウハは、対人理解の能力を「他者を完全に支配し、利用するための純粋な道具」としてのみ使用します。もしこんな人物が自分の職場にいたら、間違いなく「関わりたくない人物ナンバーワン」になるでしょう。彼がどれだけハントレスたちに深く寄り添うような言葉をかけても、その背後にあるのはただの冷徹な観察眼です。 この、能力と目的のグロテスクな乖離こそが、彼が「正しく勝っているのに、猛烈に気持ち悪い」と感じる正体であり、読者を引きつけてやまない歪な魅力となっています。

【深掘り考察3】1時間のタイムリミット――他者を管理対象として扱う発想の破綻

本作において、デルウハは何度となく嘘を利用しますが、同時に真実の持つ破壊力も等しく利用します。彼にとって、言葉が真実であるか虚偽であるかは重要ではなく、それを提示したときに相手がどう動くかだけがすべてだからです。

しかし、ここで注目すべきは、彼がどれだけ他人の心を武器にして完璧な計画を立てても、その成功のすべてが、彼の計算だけで成り立っているわけではないという事実です。 少女たちは記憶を消され、何度リセットされても、自らの内から湧き上がる愛着や怒り、他者との繋がりを捨てきることができません。デルウハの視点から見れば、それらは生存確率を下げるだけのノイズ、すなわち管理不可能なエラーに映ります。

特に、彼の所業が発覚してから「1時間」が経過してしまうと、ハントレスを殺しても発覚直前の記憶を消去できなくなるという制限は、物語に極限の緊張感をもたらします。デルウハは何度も窮地を脱しますが、彼自身が軽視し、排除しようとした「他者からの予期せぬ信頼」や「感情の爆発」といった不確定要素に、皮肉にも彼自身が何度も救われているのです。どれだけ冷徹に人間を記号に還元しようとしても、割り切れない感情の連鎖がすべてを狂わせていく。ここに、他者をただの管理対象として扱う発想の限界が鮮やかに描き出されています。

終わりに:割り切れない現実の不気味さと向き合う

THISコミュニケーションを読み終えたあとに私たちの手元に残るのは、安易な勇気や感動、あるいは悪を倒した爽快感ではありません。 そこにあるのは、「人間を理解することと、人間と繋がることはまったく別の能力なのだ」という、冷徹で不気味な実感です。

私たちは日々の生活の中で、つい物事を効率的に処理し、人間関係すらもスマートに割り切りたくなる誘惑に駆られます。しかし、他者を理解する天才でありながら、誰とも繋がれずに孤立していくデルウハの姿は、私たちに静かな戦慄を与えます。

人間関係って本当に面倒くさい。だが、それを完全に捨て去ったデルウハも決して幸せではないという、なんとも言えない奇妙な後味。

本作が残す、嘘と真実が泥泥に混ざり合っていく混沌とした結末は、正しさや論理だけでは決して処理することのできない、この現実の生々しさを私たちに突きつけているのです。

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