助けて欲しい
僕はもう駄目だ。まともなものを作れない。完全に燃え尽きた。僕の芸術家としての生命は潰えた。自分の限界を知った。もうこれ以上無理やり文筆活動を行っても恥の上塗りになるだけだ。僕は随筆でも作品でも実際に説明したか否かに関わらず矛盾をユーモアに軽妙化し、その痴呆さを自虐的に表現したり、或いは文章の構造自体を問題提起するような実験的な試みの数々を行ってきた。僕にこれ以上何が出来るだろう。しかし外に出てもどっと疲れるだけ。自分の情けなさにさめざめと涙を流しそうである。
僕としてはもっとファンと懇意になりたかった。自分の苦悩を消す為に現代風にデフォルメされたネットの人間関係に求めた。しかしながら完全に阿って動く事はしなかった。自分の非力さを感じたくなかった。僕は自分が弱者であると自称していながら現実からの冷酷無比な仕打ちには耐えられない。これも僕の持つ撞着だろうか。実験的な事をする事が僕の個性形成の重要な素因となっている事は事実だ。自分の人生の安危を文章に込めた。それを読者は理解しただろうか。僕自身は何も変わっていない。あの幻聴かいじめか解析不能な経験をしてから。ごめんなさい。僕も自分の粗製を検閲して甚だ見苦しいものを作って来たと思う。それらは人によれば塵芥未満の、夾雑物のようなものだ。それらが正当に評価されないと悲嘆に暮れるのも馬鹿げた事だ。
認知行動療法としてはこのブログも多少は役に立っているのか。僕は助けて欲しい。このやるせなさをブログに投影している。出力に徹底する事で極めて古典的だが自己実現をしている気になれていた。これは宮沢賢治の雨にも負けず、のような人情味溢れつつも僕の慟哭をも感じられる代物として受け取ってくれれば僕は嬉しい。そうでなくても僕を応援してくれているファンがいる事は嬉しい。しかしそのファンももう僕の愚行凶行に甚だ閉口し、離れていっているかも知れない。僕達の間に本当の絆があればそうはならない。しかしこのネット上においては酷く薄汚れた劣情とエゴイズムが横溢している。純粋な気持ちで情報を素直に受け取れる現代人が一体どれ程いるだろう。しかし疑ってかかる事、これ自体はデカルトのしていたように哲学の基本だ、明証性のあるもの以外は疑う、方法的懐疑の真髄だ。しかしそのメカニズムが我々の文化的生活において盲目を生む事もある。物事には常に裏表が存在する。辛いところだ。
助けて欲しい。前にも同じような記事を書いた。再三に及ぶ程切実なのだ、それはある程度顧慮して欲しい。しばらく僕は物書きを休む。休む休むと言っておきながら今まで何度も休んでこなかった。僕の作るものに粗悪品が含まれているのだとすればそれは困憊を発端として生まれた弊害だろう。
僕は完全に希望がない訳ではない。しかし不安や寂寥が拭えない。また初めて人と会うことにもある種の戦慄を感じる。これは僕が統合失調症だからと言うより人間として自然な反応なのだろう。人見知りの人と僕は同じだ。何でも統合失調症のせいにし、統合失調症を仇敵に演出するのは辞めよう。この短絡的な思考回路を改善しない限り僕は堂々巡りだ。真の幸福は得られる筈もない。
下らない事を散々長広舌で列挙し、披瀝する、その姿勢自体がマトリョーシカのような構造を維持させている。僕は僕という存在自体が人間の頽落をある程度代弁しているようにも思える。見るも無惨なもの、厚顔無恥、およそ芸術とは言い難い殴り書き、他人の批判をのらりくらりかいくぐる事は僕には出来ない。僕はそれ程世渡り上手であればそもそも統合失調症になどなっていない。僕は本当にどうしてしまったのだろう。ここまで努力と身の程の寸法が合致しない事があるだろうか。そもそも考えすぎるのが良くない。独善的な理屈をこねくり回し、通暁した気でいる。自分は不撓不屈だと、婉曲に示そうとすればする程それらは痛ましい程にことごとく裏目に出るのだ。そんな自分を僕は自嘲する。ある意味この自分を安売りする事がアンチの非難を生む事に自覚的ではある。
助けてください。僕を安堵させてください。温かさをください。僕には他に一切の駆け引きはない。異性と一度も逢瀬を重ねた事のない僕を軽蔑しないでくれ。分かっている。傷つく事は。完膚なきまでに傷めつけられる事もあるだろう。中途半端だから良くない。僕は戦士だ。そして人生は死に至る戦いだ。それを念頭に置いた上で生きる。僕の活動を人の灯火に出来れば良いが、そうならなくても決して人生を憂慮し、退嬰する事をしてはならない。そもそも上手くいかないのがデフォルトなのだ。エジソンだって膨大な失敗を経て偉大な発明品を生み出した。彼は人格的には相当難のある人間だったらしいが、彼の果断に富む行動と功績は数世紀先の未来でも燦然と輝いているだろう。したがって当人の結果を残せば人々は急転直下、当人の醜聞をフォローするようになり、大いなる安息をもたらす事も出来る。大いなる眠り、だ。今回はチャンドラーは関係ないが。
この世には化け物染みた精神の儚さを持つ僕のような人間もいる事をもっと人口に膾炙して欲しい。その上で人間社会に通底する法規、警鐘などが瞬く間に響き渡るにはやはりそれなりの技量と才能とタイミングが必要だ。皮肉にもそれは僕が死んでからになるのだろうか。それとも既に僕は一定の評価を得られているのだろうか。分からない。分からない上に人からの毀誉褒貶を敢えて聞く勇気もない。僕は馬鹿だ。
果たして僕は救われる価値のある人間なのだろうか。正直に言おう。僕は既に意気阻喪している。陰々滅々とした僕の発信。ネット上で助けてくれなんて言ってもその発言主がどこまで正気かを計測するコンセプトはない。それでも僕は、それでも僕は...もう虚しいよ。笑いこそが全てを解決する、それは本当だろうか。
僕に他人が舌を巻くほどの筆力があれば、若くして頭角を現すだけの何かがあれば。僕は時々自分が卑屈か驕慢か分からなくなる事がある。
僕は孤立しているのか。不可視で不可知の透明な殻が僕を覆っているように感じる事が多い。そしてそう感じる毎に僕は頗る不安を感じる。何故かは分からない、今後の心理学の発展に弛みなく期待していくしかない。
【そして翌日】
しんどい。僕は昨日外出して仕事をしてきた。電気代の請求書が届いたが引きこもり生活のせいか高かった。しかししばらくエアコンはつけないし、つけても節電することに決めたから大丈夫だ。
僕は悩みがあれば訪問看護に相談する事にしている。僕は最近高血圧の悩みがある。今日は正常の血圧数値だと良いのだが。カップ麺の汁も飲みほしていないし、暴食に走ったりもしていない。仕事のない日は腹筋50回をしている。外に出られるタイミングでは出ている。また来週辺りに精神科を受診しなければならない。薬が底をつきかけているからだ。
助けて欲しい。どうか、僕を見捨てないで欲しい。しかしそうであるなら精神科に行けば良いのだ。専門家でもないから、メンタルヘルスの問題に対して素人が何か人を救えるなんてあり得ないだろう。そうだ、今日はまだマシだが、今度からは痩せ我慢せずに人に頼ろう。遠慮せず。その為に訪問看護も精神科も存在しているのだから。
僕を心配したり、応援したりしてくれてる人もいるから僕は決して孤立無援ではない。けれどもこの甚だしい寂寞。
