言葉の変容は美しい
言葉というのは物事の状態を表現する。
例えば、「人間」というのは僕の状態を表している。
さらに「健康・不健康」「上機嫌・不機嫌」など細かく表現することもできる。
この言葉の変容の移り変わりを とてもわかりやすく表現し美しい。
生者から死者へ
生物から焼物へ
積読から読了へ
活力から死力へ
直線から放物線へ
美から醜へ
物事は刻一刻とその状況を変化させる。
その状態を捉え言葉で表現する。
美しい。
この美しさは分かりやすさを内包している必要があると考える。
先の例でいうとどれも漢字をみれば状態の見当がつく。
しかし、たまにこの美しい法則から外れたものが現れる。
それ単体では意味を読み取りにくい表現。
でがらし
である。
何かを抽出した後の残留物「でがらし」
何者だ…
漢字で書くと「出涸らし」
出るを涸らすもの…とも捉えられる。
パッと意味は汲み取りにくいが なんだか憎めない言葉。
それが「でがらし」である。
こいつもある意味では美しいのかもしれない。
絞りカス
ゴミ
カス
残留物
残りカス
「でがらし」以上に「でがらし」を美しく表現することは不可能だ。
すごい。
日本語とはかくも美しいものなのか。
しかし、こんなにも美しい日本語も時代を経て変容していく。
言葉の内容は少しずつ変化し、表現方法は増加していく。
最新の言語は常に抽出を終えた状態なのかもしれない。
すなわち僕らは「言語のでがらし」を使っているのである。
うーん。
でがらしすごい、えらい、かっこいい。
ちなみに僕から爽やかを抽出したら「ぜんけいのでがらし」の完成である。
ではまた。
次回予告(ウソ)
「でがらしが総じて不味いのは何故か徹底検証!」
の巻き。
