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~アナタノ、恐怖体験談ヲ 聴カセテクダサイ~「怪談あつめ」

11月22日、第四回目の「怪談あつめ」~アナタノ恐怖体験談ヲ聴カセテクダサイ~
という豆腐小僧企画の怪談イベントを開催する。
年内はこれが最後になる。

回を重ねるごとに、出入りする人の顔ぶれが多くなり、楽しみにしてくれる人も増えてきた。
ありがたいことである。

この怪談会は、無料で出入り自由だ。
そもそも霊感のない豆腐小僧亀は、心霊体験が乏しい。
そこで、体験談を持っている人を集めてお話を聞かせてもらおう!と閃いたのである。

一番最初は二月で、盛岡での開催だった。
流石に人の集まりは悪かったが、私と田村theバッファロー氏の手持ちの怪談を語っているうちに、
お客様が「そういえば…」と思い出して語り始めるのである。

ご本人は、普段は心霊体験などしていないと思い込んでいる。
否、忘れ去って頭の片隅に追いやってしまっているのかもしれない。
あまり思い出したくないことなのかもしれない。

だが、怪談会で誰かの話を聞くと、頭の片隅からにゅるりと、古い記憶が溢れ出てくるようだ。
そういう人が何人もいた。

怪談二千万パワーズの田村theバッファロー氏は、「扉が開く瞬間」と言っていた。
なるほど、そんな感覚なのだろうと思う。

普段なら一笑に付されるような思い出話も、集まった面々で感嘆の言葉と共に味わえる。
これはなかなかよい取り組みではなかろうか、と豆腐小僧亀は密かにほくそ笑んでいる。

そして、おぞましい話や怨念たっぷりの体験談は、あまり語られない。
それもまた愛おしい部分である。

人の暮らしの中に密かに息づく暗闇の住人たちが、
漆黒の闇に紛れて時々目を覚ます。

「そんなことあるわけがない」「嘘っぱちだ」「勘違いでしょ?」と揶揄されそうな記憶ばかりだが、
怪異や不思議はいつだって私たちの暮らしに溶け込んでいて、
ある一瞬だけその凶暴さやおぞましさを見せてくる。

いつだって、そいつらは傍にいる。
私は何も見えないし、怖い体験もしたことがない。
しかし、怪談の元ネタになりそうなことは日々の現実の中で起きている。
この状況が後に怪談になってもおかしくない、と感じることは、世の中にいくらでもある。

人の心は明るさだけでは測れない。
誰にでも、暗闇の一つや二つはある。
それは、視えない存在も同じだと思う。

神や仏が信心されるなら、魔物のような存在もまた信じられるだろう。
どちらか一方だけでは、この世は埋まらないのかもしれない。
私たちは、善くあれ、正しくあれと生きてきた。
しかし、それだけでは息が詰まる。
呼吸と同じだ。酸素を吸ったら二酸化炭素を吐き出すように、
光ばかりを取り入れるのではなく、時におぞましく、恐ろしく、悲しい体験も受け止め、残しておくことが必要なのだろう。

だって、「怪談あつめ」に来た人たちは楽しそうだ。
誰かの話に驚嘆し、笑い、感嘆する。
こんな話をしたからといって呪われるわけでも、会場が嫌な空間になるわけでもない。
楽しかったと言ってそれぞれの場所へ去っていく。
そして、それきり会えない人もいる。

そんな時は、ふと「あの話を語ってくれたあの人こそ、
人の姿を仮初にした物の怪ではないだろうか」と考えることもある。
豆腐小僧亀の怪談会なら、そういうことが起きてもおかしくないと思う。
もちろん、信じるか信じないかはアナタ次第だ。

だけど、どうしても伝えたかった言葉や想いは、
さまざまなものの力を借りて、届けたい誰かに届くようになっている。
私はそんな風に信じているので、こうして豆腐小僧亀とは別口で、
文章として残された思いを綴っているのである。

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