今を生きる非行少年達へ
私はケーキを三等分にすることができる。
これは非行少年が知能指数的にケーキを三等分にできないという話から来た話題(「ケーキの切れない非行少年達」より)なのだが、私自身はかつて非行少女であった。
あまり得意気に話すことではないのだが、表立った非行と言うよりは属する組織への犯行の意だったのだと今になって思う。
私の父はやれ思春期だの反抗期だのと茶化す人で、俗に言う理解のない親の1人だった。
色めき立つ時期に染まることを茶化された私は染まることを恐れていたし、それと同時にどんな色でもいいから好きに染まってみたかった。
そんな時両親に頭からペンキを被せられたのだ。しかも油性の。
有機溶剤に焼かれた肌は酷く爛れ、ただでさえ酷い成長痛を悪化させた。
優等生のレッテルは四方八方から張り巡らされていて、死んでしまった「嘘をつかない私」が姿見から恨めしそうにこちらを見ていた。
それからだ、私が非行を繰り返し始めたのは。
非行と言っても学校を抜け出して遠くへ行くような、門限までには家に帰っているような些細な反抗ではあった。
授業をサボって近所の神社の境内で音楽を聴きながら本を読んでいた。
そんな私も今じゃ大学生だ。(後に大学は精神病で退学した。)
美術室で授業がない間ずっと油画を描いていたこともある。
爆発前のカバンの中身を重ねて、冷たい床がゆっくりと体温を奪う。
高校生の私の半分はこの記憶だ。
そのうち私は1人でいることが必然的に増え、孤独感に支配されて行く。
時代の進行と共に目まぐるしく発達したインターネットの波に揺られ、孤独感を埋めるために様々な人に出会った。
海に連れて行ってくれた元ヤクザの下請けのようなおじさんから弟が首を吊って自殺した話を聞いた。
感謝を忘れてはいけないと言った彼のスマホケースには、大きくありがとうと書かれていた。
仲良くなったSkypeの会議では私の知らぬところで子持ちと彼女持ちが不倫して大変なことになっていたりした。
当時高校生だった私には他メンバーの配慮により知らされず、サーバーの停止直前でなんとなく知ってしまったのはここ最近の話である。
医療従事者のパーマを当てた若い男性は家について行ったら犯されかけたりもした。
当時鹿児島まで会いに行った大学の同期とは今では一番仲がいいと思う。
結果的にプラマイプラスのような結果で、いい人や悪い人というより私はその人の側面を見ているということに気付いたりもした。
人間とは正八面体なのである。
昨今はやれODだのリスカだの未成年飲酒・喫煙だの問題視されがちな子供たちが多く存在している。
かつて私もその1人であり、現在も進行形で問題を抱え続けている。
過去は消えない。
夜な夜なSNSを徘徊しては過去の自分に似た人間を集めていく。
罪悪感のトモコレである。
私のアカウントは公式的なものを除けば多方希死念慮であったり何かしら苦痛を抱えて生きる人々が集まっている。
未成年はSNSが禁止になるなんて話を耳にした。
高校時代から私の居場所であり続けるインターネット。
それはある意味命のセーフティネットでもあったのである。
安直に禁止すればいいと思う大人が存在するとしたら規制を掻い潜る非行少年達もまた確実に存在するのである。
今を生きる非行少年達へ
かつて必死に生きていた非行少女だった私へ
今日も何とかでいい。生き抜いていこう。
2026.2.28
