せりふ三題噺 『長靴の似合う、ネモフィラの下に埋もれた骨』
娘を失って三ヶ月。
あの日、広大なネモフィラ畑で、娘は忽然と姿を消した。
私達夫婦の目の前で、忽然と。
青い絨毯。緩やかな丘陵に満開の花。
その間を縫う小道の途中で、妻と娘のツーショット写真を撮った。
二人の笑顔。
顔を上げると、そのひとつが消えていた。
「あれ?ミクは?」
「えっ?ミク?」
それきりだ。隠れる場所なんか無かった。
神隠しとしか、言いようがなかった。
何よりも理解し難かったのが、妻が娘の存在を認識していなかったこと。
「えっ?ミク?……ミクって誰?」
あの時、彼女はそう言った。
「何言ってるんだよ。自分の娘を忘れたのか?」
私は、たった今撮ったばかりの写真をスマホで再生した。
そこには、妻が一人で微笑んでいた。
私達は、子供のいない夫婦だったと言う。
そんなはずがない。
私には、ミクと過ごした三年間の記憶がある。
幼稚園に入園したばかりで、その送り迎えだってやった。
雨の日は、ミクのお気に入りの長靴を履いて、水たまりの水を跳ねて歩くのが好きなヤンチャ娘だった。
最初からいなかっただと?
じゃあ、この私の記憶は?
すべてが幻だったとでも言うのか。
「私達に娘なんかいないわ。そもそも私が産んでない。いったい誰の記憶なの、それは」
「ほんとにいたんだって!僕達は三人家族だった。あのネモフィラだって、三人で見に行ったんだ」
「もういい加減にして。じゃあ、今どこにいるの?私達の娘は」
「だから、あの場所で消えてしまったんだ。もう一度探しに行こう」
私達の家から、娘がいたことを思わせるものはすべて消えていた。
彼女が大好きだった玩具。
数え切れないほど撮ったはずの写真。
本当に、すべてが幻だったのだろうか。
私達夫婦が、子供を作れない理由は私にある。
そんな自分の欠陥に対する、自責の念が生んだ妄想なのだろうか。
ある日、ふと開けた下駄箱の奥に、見覚えのある長靴を見つけた。
ミクのお気に入りの長靴。
ほら、やっぱり。
「なあ、これ」
妻に長靴を見せる。
「ああ、まだ私達に希望があった頃に、先走って買ったんだよね。覚えてる」
「これ、ミクが履いてただろ。水たまりでジャンプしてた」
「だから、ミクって誰?勝手に私達の子供の名前を決めないで」
諦めが心を覆い始めた。
長い夢を見ていたのか。
ミクの笑顔が、消え失せてゆく。
数年後、電話が鳴る。
警察からだった。
あの、ネモフィラ畑で、幼い子供の頭蓋と思われる白骨が見つかったと。
死後数年が過ぎていて、その当時に私が警察に提出した捜索願いがまだ生きていたようだ。
いつしか、私の狂言として処理されてしまっていたが、その骨が発見された場所は、まさに私が妻と娘の写真を撮ったあの場所だったらしい。
群生するネモフィラに埋もれ、数年間も誰にも発見されなかったが、その場所で、私達と同じように記念写真を撮ろうとした家族が、ネモフィラの隙間から覗く白い物体に気付いたという。
その家族には、当時のミクと同い年の娘がいた。
まだ、その骨がミクのものかどうかは分からない。
いや、そもそも、ミクは存在していないのだ。
DNA鑑定など出来るはずもない。
きっとその骨は、誰のものかも分からないまま処理されるのだろう。
だが、私は確信している。
それは、ミクだ。
あの日からずっと、あの場所で私達を待っていたのだ。
迎えに来ない私達を。
自分をいないものと決めつける私達を。
妻の拒絶を受けて、あの日から再びネモフィラ畑を訪れることは無かった。
失踪から三ヶ月後に私が提案した再訪は、実現されないまま今に至る。
思うのは、ネモフィラの花言葉。
「あなたを許します」
ミクは、探しに来ない私達を許してくれたのだろうか。
いや、そもそも、その存在すら疑っていた私達を。
いつか、私は件の骨を手に入れる。
裁判で争ってでも。
そして、もう一度あのネモフィラ畑を訪れるだろう。
一人でもいい。
妻にとっては娘は存在しないのだから。
だが私には、ミクという娘がいた。
長靴の似合う可愛い女の子だった。
あの場所で、きちんとサヨナラをしよう。
どれだけ遅くなったとしても、きっと彼女は許してくれるから。
こちらの企画に参加させていただきました。
よろしくお願いいたします。
