【短編小説】青磁の底に沈む海 風まかせ文芸部
「これは作家が半透明の海をイメージしたんです」
私はたまたま入ったギャラリーで青磁のお皿を見つめていた。
初夏の強い日差しを逃れるように滑り込んだその空間は、ひんやりとした静寂に満ちていた。
店主らしき女性が静かな声で微笑みかける。私の視線の先にあるのは、わずかに青みを帯びた、吸い込まれそうなほど滑らかな肌触りを持つ一枚の器ーーー青磁の皿だった。
青磁、と心の中で呟いてみる。それは透明なガラスのようでありながら、決して向こう側を透かしては見せない。ぽってりとした釉薬の層が光を柔らかく包み込み、奥深くへと誘う。その質感は、底にあるものを見せまいとする、頑なで優しいベールのようだった。
私はその青い揺らぎの中に、ある人の面影を重ねずにはいられなかった。
*****
海辺のカフェ。窓の外には本物の海が広がっているが、私の目はいつも、テーブルを挟んで向かい合う彼の瞳と、その指先に注がれていた。
彼はいつも穏やかで、私のたわいない話に「そうだね」と優しく微笑んでくれる。
けれど、その優しさはどこか、一枚の美しい磁器の壁に似ていた。光を通すほど近いのに、彼の本当の胸の内、その海の底にある本音には、私の指先は決して届かない。
「どうしたの?じっと見つめて」
彼が微笑みながら、ガラスのカップを持ち上げる。その仕草すらも完璧で、だからこそ少しだけ切ない。すりガラスの向こう側にいるような彼の輪郭を、私はいつも必死に追いかけていたのだ。
「ううん、なんでもない。この青が、綺麗だなって思って」
私はそう言って、窓の外の半透明の海へと視線を逃す。彼に嫌われたくないから、彼の踏み込ませない領域を侵したくないから、私もまた、自分の本心を器の底へと沈めてしまうのだった。
*****
ギャラリーの冷たい空気の中で、私はもう一度、青磁の皿に目を落とす。
作家が映し出そうとした「半透明の海」。
それは単なる景色の写し絵ではなく、きっと誰もが胸に秘めている、大切な人を想うがゆえの「もどかしい距離感」そのものなのかもしれない。
手が届きそうで、届かない。見えそうで見えない、美しく切ない青の世界。
この器を部屋に飾ろう、と私は決めた。あの海辺のカフェで彼と過ごす、静かで少しだけどビターな時間を、いつでも忘れないように。
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