「ママなんだから」が自分を消していた。無意識の母親像に気づいたとき、自己犠牲はほどけ始める

こんにちは。
今日は、「ママなんだから」と言葉にしなくても、自分で自分を縛ってしまっている人に向けて書きます。

もし今あなたが、

体調が悪くても休めない
家族のことはできるのに、自分のことは後回し
ちゃんとしていたい気持ちが強くて、気が抜けない
しんどいのに、それを見せるのが苦手
頑張っているのに、心のどこかで「なんで私ばかり」と感じることがある

そんな状態にいるなら、この記事はきっと他人事ではないと思います。

今日は、どうしてそこまで自分を後回しにしてしまうのか。
その背景にある「無意識の母親像」について書いてみます。

本当は、ただちゃんとやりたかっただけだった

最初から、自分を犠牲にしたかったわけじゃないんです。

家族のために、できることをしたい。
なるべく気持ちよく暮らせるようにしたい。
子どもにも、家族にも、ちゃんとしたものを渡したい。

その気持ちは、とても自然なものだと思います。

私もそうでした。

毎日、栄養バランスを考えた食事を作る。
家の中は整理されている状態を保つ。

そういうことを、当たり前のように大事にしていました。

でも今思うと、それはただ「丁寧に暮らしたい」という話だけではなかったんですよね。
どこかで私は、それを母親ならできて当然のこととして、自分に課していたんだと思います。

「ちゃんとしていること」が、いつの間にか自分を縛っていた

栄養を考えたごはんを作ること。
家の中を整えておくこと。

それ自体が悪いわけではありません。
むしろ、大切にしたい価値観でもあると思います。

でも問題は、それが

できたら心地いいこと
ではなく、
できない私はダメだと思うこと

に変わってしまうときです。

本当はしんどい。
本当は休みたい。
今日はそこまでできない。

そんな日があってもおかしくないのに、
「でも母親なんだから」
という前提があると、止まれなくなるんですよね。

すると、やること自体よりも、
できない自分を許せないことのほうが苦しくなっていきます。

しんどいのに止まれないと、「なんで私ばかり」が出てくる

こういう状態が続くと、ある時ふっと苦しさが表に出ます。

「なんで自分ばかり犠牲にならないといけないの?」
「私が体調不良の時には、だれもたすけてくれない。いつもみんなを助けているのに」

この感情は、わがままでも、被害者意識でもありません。
それだけ、自分のしんどさをずっと後回しにしてきたということです。

毎日ごはんを整える。
家の中を整える。
家族が困らないように先回りする。

そういうことを続けていると、外からは「ちゃんとしている人」に見えるかもしれません。
でも内側では、少しずつ無理がたまっていく。

しかも、自分でもそれを無理だと認識しにくいんです。
だって「やるのが当たり前」になっているから。

そのまま進むと、ただ疲れるだけじゃなく、
「自分がなくなる」
という感覚に近づいていきます。

問題は、性格ではなく、無意識の母親像かもしれない

ここで伝えたい大事なことがあります。

自己犠牲してしまうのは、
性格が弱いからでも、頼るのが下手だからでも、単に真面目すぎるからでもない、ということです。

もっと深いところで、

母親は何でも受け止めるもの
母親は家のことを整えていて当然
母親は家族の土台であるべき
母親は簡単にしんどいと言ってはいけない

そんなイメージを、無意識に内面化していることがあります。

そしてそのイメージに沿うように、自分を動かしてしまう。

だから、しんどくても止まれない。
だから、限界を見せるのが怖い。
だから、「ちゃんとできない私」を責めてしまう。

自分もまた、母親に“そうあってほしい”と期待していたのかもしれない

この話は、誰かを責めたいわけではありません。

ただ、気づく価値があることとして、
自分自身も母親に対して、

何でもカバーしてくれる
相談にのってくれる
頼れる存在でいてくれる

そんな期待を、どこかで持っていた可能性があります。

そして、その期待を持っていたからこそ、
自分が母になった時にも、同じ役割を自然に引き受けてしまう。

「母親とはそういうもの」
という前提が、自分の中で再生産されていくんです。

ここに気づかないと、自己犠牲は性格の問題に見えてしまいます。
でも実際には、もっと根っこの深い“前提”の問題だったりします。

限界を隠さないことは、関係を壊すことではない

多くの人がここを誤解します。

しんどいと言うこと。
できないと言うこと。
助けてほしいと出すこと。

これをすると、家族に負担をかける気がする。
空気が悪くなる気がする。
母親として崩れてしまう気がする。

でも本当は逆です。

限界を隠したまま一人で抱え込むほうが、関係は歪みやすいんです。

なぜなら、周囲は気づけないから。
見えていないから、役割の偏りがそのまま固定されるから。
結果として、誰か一人だけが無理をし続ける関係になってしまうからです。

だから、限界を隠さないことは、関係を壊す行為ではありません。
むしろ、無理のない関係に作り替えていくための大事な一歩です。

自分を大事にすることは、わがままではない

自分を大事にするというと、強い人しかできないことのように感じるかもしれません。

でも、特別なことではないんです。

今日はしんどいと認める。
体調が悪い日に、無理を前提にしない。
できないことを、できないまま見てみる。
自分の気持ちをなかったことにしない。

まずはそれだけでも十分です。

自分を大事にするというのは、
自分だけを優先することではなく、
自分も家族の中の一人としてちゃんと扱うことだと思います。

母親だけが、無限に頑張れる存在ではありません。
母親だけが、後回しでいい存在でもありません。

何から始めればいいのか

いきなり全部変えなくて大丈夫です。

まずは、自分がどんな「母親ならこうあるべき」を持っているのかを見てみることからでいいと思います。

たとえば、

栄養バランスのいい食事を毎日作らないといけない
家の中は整っていないといけない
家族が困る前に先回りしないといけない
しんどくても回すのが母親だ

そんな前提が、自分の中で当たり前になっていないか。

そして、その前提のせいで、今の自分が苦しくなっていないか。

そこを見つめるだけでも、かなり大きな一歩です。

体を整えることと、自分を大事にすることはつながっている

体調が悪くても、母親役を優先してしまう。
しんどくても、食事や家のことを止められない。

こういう状態って、体だけの話でも、心だけの話でもないと思うんです。

体がしんどいと、気持ちに余裕がなくなる。
気持ちを押し込め続けると、体にも無理が出やすくなる。

だから、体を整えることも、自分を大事にすることと切り離せません。

栄養を考えることも大事。
でもそれと同じくらい、
自分自身を消さないことも大事なんですよね。

最後に

もし今、

ちゃんとやっているはずなのに苦しい
家族のために頑張っているのに満たされない
休みたいのに止まれない
このままだと自分がなくなりそう

そんな感覚があるなら、伝えたいです。

あなたが苦しいのは、母親として足りないからではありません。
もしかしたらずっと、
「母親は何でも受け止めるべき」
という無意識の母親像に、自分を合わせ続けてきただけかもしれません。

その前提に気づけると、見え方は少しずつ変わります。

毎日完璧に整えていなくてもいい。
しんどい日はしんどいと言っていい。
助けてほしい時は、助けてほしいでいい。
自分の気持ちを大事にしていい。

それは、母親をやめることではありません。
むしろ、自分も家族も守るために必要なことです。

まずは、
「私はどんな母親像を、自分に課しているんだろう」
と見てみることから始めてみてください。

そこから、自己犠牲は少しずつほどけ始めます。

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