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掟シリーズ第七話:「古井戸の水面に、自分の顔を映してはならない」

掟シリーズ

第七話:「古井戸の水面に、自分の顔を映してはならない」

山間の集落に、 ひとつだけ使われていない井戸があった。
丸い石組み。
苔むした木蓋。
その井戸には、 昔から奇妙な掟が残っていた。
―― 夜、井戸の水面に自分の顔を映してはならない。
子どもたちは、 「引っ張られるぞ」と脅された。
だが理由を知る大人は、 もうほとんどいない。
写真家の立花は、 その井戸を撮りに来ていた。
消えゆく民俗文化を記録する。
それが仕事だった。
昼間に見た井戸は、 ただ古いだけのものに見えた。
だが村人たちは、 日が沈む前に必ず帰った。
「夜は近づかない方がいい」
誰もが、 同じ言い方をした。
その曖昧さが、 立花には気に入らなかった。
夜十一時。
彼は一人で井戸へ向かう。
山は静かだった。
虫の声もない。
懐中電灯の光だけが、 闇の中を揺れる。
井戸へ着く。
木蓋は、 少しだけ開いていた。
まるで、 誰かが先に覗いたあとみたいに。
立花はカメラを構える。
井戸の中を照らす。
深い。
底が見えない。
だが水だけは、 異様なほど静かだった。
鏡みたいに。
立花は笑う。
「ただの水だ」
そして。
井戸を覗き込む。
水面に、 自分の顔が映る。
その瞬間。
映った“自分”が、 笑った。
立花は息を呑む。
自分は笑っていない。
なのに。
水面の顔だけが、 ゆっくり口角を上げている。
ぽちゃん。
井戸の奥で、 何かが動いた。
水面の“立花”が、 こちらへ近づいてくる。
水の中なのに。
距離感を無視して。
ずるり。
顔が大きくなる。
目が合う。
その瞬間、 立花は理解した。
あれは鏡じゃない。
“下”に、 もう一人いる。
井戸の中から、 濡れた声が響く。
「やっと見つけた」
水面の立花が、 両手を伸ばす。
その手は、 異様に長かった。
立花は飛び退く。
だが井戸の中から、 大量の水音が響く。
バシャバシャバシャ!!
何かが、 壁を登ってくる。
速い。
人間じゃない動き。
立花は走った。
背後で、 濡れた足音が追ってくる。
ぺた。
ぺた。
ぺた。
だが途中で、 足音が止まる。
立花が恐る恐る振り向く。
闇の中。
井戸のそばに、 “立花”が立っていた。
全身ずぶ濡れ。
だが顔だけが、 水に揺れるみたいにぼやけている。
それは小さく首を傾げた。
「どっち?」
翌朝。
村人たちは、 山道を歩く立花を見つけた。
泥だらけだった。
だが、 何かがおかしい。
彼は、 井戸の場所を忘れていた。
いや。
それだけではない。
鏡を見るたびに、 怯えるようになっていた。
まるで、 向こう側にいる“誰か”が、 まだ自分を見ていることを知っているみたいに。

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