『浦島ジョンソン』
『浦島ジョンソン』
浦島ジョンソンは、日本人だった。
しかし、名前だけがジョンソンだった。
なぜかは誰も知らない。
本人も知らない。
母に聞くと、
「なんとなく。」
父に聞くと、
「響き。」
祖父に聞くと、
「たぶん前世。」
と答えた。
どれも説明になっていなかった。
小学校では、出席を取るたびに少しだけ空気が止まった。
「浦島……ジョンソン?」
「はい。」
「……いるのか。」
いるのである。
中学でも高校でも大学でも、同じことが起きた。
面接でも、
「ご出身は……?」
「埼玉です。」
「お父さまは……?」
「埼玉です。」
「お母さまは……?」
「埼玉です。」
「なるほど……。」
何も、なるほどではなかった。
三十歳になったある日、ジョンソンはふと思った。
――わたしは、何のジョンソンなのだろう。
人には名字に物語がある。
田中なら田んぼ。
山本なら山のふもと。
では、ジョンソンは。
ジョンの息子。
しかし、自分の父は和夫である。
和夫の息子である。
ジョンはどこにもいない。
その夜、夢を見た。
海だった。
月が浮かび、大きな亀がいた。
亀が言った。
「乗りなさい。」
「え?」
「あなたは、そろそろです。」
何がそろそろなのか分からなかったが、夢なので乗った。
亀は海を進む。
一時間ほど進んだところで、巨大な門が見えた。
『竜宮城・名字相談所』
と書いてある。
中には、名前に悩む人が大勢いた。
佐藤なのに砂糖が嫌いな人。
大山なのに小柄な人。
林なのに木に詳しくない人。
そして受付には、
「ようこそ。浦島ジョンソンさん。」
と書かれた札があった。
受付の女性が、分厚い帳簿を開く。
「えーと……あなたの場合ですね……。」
ぱらり。
ぱらり。
「……あ。」
「分かりました?」
「いえ。完全に記録がありません。」
「ない?」
「ないです。うっかりです。」
「うっかり?」
「昔、誰かが名前を付ける途中で、ジョンソンって書いちゃったみたいです。」
「書いちゃった?」
「はい。」
受付の女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「宇宙には、たまにそういう人がいます。」
ジョンソンは黙った。
波の音がした。
遠くで鯛が跳ねた。
「……じゃあ、わたしは。」
「はい。」
「理由なくジョンソンなんですか。」
「はい。」
しばらく沈黙があった。
すると、なぜか少しだけ安心した。
理由がない。
血筋でもない。
宿命でもない。
ただ、うっかり。
その瞬間、ジョンソンは笑ってしまった。
人生には、そういうものが多い気がした。
好きなものも。
嫌いなものも。
今ここにいることも。
案外、うっかりなのかもしれない。
朝、目が覚めた。
窓の外でカラスが鳴いていた。
ジョンソンは鏡を見て言った。
「おはよう、浦島ジョンソン。」
鏡の中の自分も、
少しだけ、納得した顔をしていた。
