『浦島クリスティ』
『浦島クリスティ』
浦島クリスティは、失くしものを探す仕事をしていた。
正式な職業名ではない。
名刺には、
「失くしもの相談室 浦島クリスティ」
とだけ書いてある。
彼女のもとには、いろいろな依頼が来た。
鍵。 財布。 片方だけの靴下。 昔の恋。
そして、時々。
「わたしが何を好きだったのか、思い出せません。」
という依頼も来た。
そういうものを、浦島クリスティは探した。
ある雨の日、一人の老人がやってきた。
「探してほしいものがあります。」
「何ですか?」
老人は、しばらく黙ってから言った。
「……昨日です。」
クリスティは、ペンを止めた。
「昨日?」
「はい。わたしの昨日がありません。」
話を聞くと、朝起きたら、昨日という一日だけが綺麗になくなっていた。
一昨日は覚えている。
今日は分かる。
しかし、その間にある昨日だけが、ぽっかり消えている。
「病院には?」
「行きました。異常なし。」
「日記は?」
「白紙でした。」
「スマホは?」
「写真が一枚だけ。」
老人は写真を見せた。
海だった。
曇り空の海。
そして波打ち際に、大きな亀が写っていた。
「……行きましょう。」
クリスティは立ち上がった。
二人は電車を乗り継ぎ、海へ向かった。
夕方だった。
波打ち際に立つ。
何もない。
人もいない。
すると、海の向こうから、ゆっくりと亀が現れた。
写真と同じ亀だった。
亀は二人の前で止まり、口を開いた。
「お返ししますか?」
老人が震えた。
「何を……?」
「昨日を。」
クリスティは黙っていた。
亀は続ける。
「あなたは昨日、ここへ来て、『一日だけ休ませてください』と言いました。」
老人の目が見開かれる。
「そんなこと……。」
「言いました。とても疲れていました。」
波が寄せて、引く。
「人間は時々、一日だけ人生を降りたくなります。」
老人は何も言えない。
亀は甲羅から、小さな包みを出した。
古い和紙で包まれている。
「これが昨日です。」
老人は受け取ろうとした。
しかし、手が止まった。
「……返してもらうと、何が入っていますか。」
亀は少し考えた。
「海を見たこと。泣いたこと。昼寝をしたこと。何もしなかったこと。」
老人は、長く黙った。
そして、包みを押し返した。
「いりません。」
亀が目を細めた。
「そうですか。」
「思い出せなくても、休んだのなら、それでいい。」
亀は静かにうなずいた。
そして海へ帰っていった。
帰りの電車で、老人が言った。
「先生。」
「はい。」
「あなたは、何を探す人なんです?」
浦島クリスティは窓の外を見た。
夕焼けが流れていく。
「失くしもの、ではありません。」
「では?」
彼女は少し笑った。
「人が、自分で置いてきたものを、無理に拾わせない仕事です。」
老人も少し笑った。
電車が揺れる。
窓の外の海が、最後に一瞬だけ見えた。
その波打ち際に、大きな亀がいて、
なぜか小さく会釈をしたように見えた。
