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#25 一番だけの子守唄。

隣の和室には布団が大小3つぴったりとくっついて並べられている。

生後4ヶ月頃。
彼女は初めて夜泣きをしていた。

真夜中25時頃、ほんの30分前に就寝したばかりの私は微睡みまどろみの中、遠くに微かな赤ちゃんの泣き声が聴こえた様な気がした。

目が覚めると隣で彼女は大泣きしていた。
初めての夜泣き。
私はオロオロしていた。
とにかく、夫婦2人で交代の抱っこしたり、お腹や背中を優しく擦ったりといろんなことをした。
しかし、どうにも泣きやんでくれない。

私は彼女を腕に抱え、部屋の中をゆっくりと歩きながらこう歌う。

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
おててつないで皆帰ろう
カラスと一緒に帰りましょう。


部屋の中をぐるぐると歩きながら、自然と口づさんだこの歌を何度何度も歌った。

なぜこの歌が自然と出て来たのかは、後に思い出すことになるのだが、兎に角、その時はそのと歌を延々と歌って、彼女が静まるのを待った。

そしてスースーと可愛い寝息を立てた頃、そっと布団の上に置き、また起きないかとビクビクしながら足音を立てず、そっと後ずさる。
引き戸を閉めようとしたときの「ズズッ」という音で彼女がまた目を覚ます。

また振り出しに戻る。

前述の歌が深夜1時にこだまする。
しかもなぜか延々と1番だけを歌っていた─。


現在では私のアトピーは軽症と言ったところだろうか。
症状としては大きく目立ったところは無い。
内服薬と外用剤である程度抑えられている証拠だ。

今となっては子供の頃の状態と天地の差で幸いなことではあるが、保育園から高校に上がるまでは本当に悲惨であったのは胸を張って言える。

そもそも、私が小学生の時、アレルギーを持っている子が少なく、私から見て「アトピー性皮膚炎」だろうと思われる子は2クラスに1人程度であった。
特に重度アトピーは見た事がない程珍しい病気だった。

その「醜い容姿」でも幸い、大きなイジメにあった経験はないが、「感染るうつるのでは?」という当時の誤解により、近寄らなかった子は一定数いた。


両親はアレルギー体質ではなかったため、私の
このアトピーをなんとか改善したいと父は必死になっていた。

後に母から聞いたのだが、医療関係の知人や友人、色々な書籍からアトピーに関する治療法を調べ回ったそうだ。

今でもたまに夢の中で思い出すことがある─。

重度のアトピーとは酷い有り様だ。
痒いので掻くと母から「掻いたらあかんよ」と優しい声で患部の痒みを紛らわす為にさすってくれる。
しかし、その行為よりも更に痒みは酷く、さすっている母の手をのけて掻いてしまう。
母の優しさを無碍むげにしている事、そして傷になる事が分かっているので掻きたくはないのに掻いてしまうこの『罪悪感』
掻いてじゅくじゅくの状況が体のあちこちに見えている『絶望感』
そして一番辛かったのは『不眠』
そもそも痒みが酷く、痒みや、掻いた後の痛みで何度も起きる。
眠りたいのに‥。
しかも小児喘息も持っていたので、就寝時横になるとずっと咳が止まらなくなり、週に2回ぐらいは壁にもたれて寝ていた。
母がそれに気づいてくれた時は背もたれになって温かい優しさで少し眠れたこともある。
しかし、慢性的な睡眠不足はストレスとなり、症状を悪化させる。
悪循環である。

ここから詳しく書いていくとどんどんグロくなってしまうので割愛しようと思う。


ちょっと話はもどる。
そんな私の症状を何とかしようと父は私を海へ連れて行き、水着に着替えさせた。
私は父に抱っこされ、そのまま一緒に海水の中へつかったのだ。

想像絶する痛さ。

「しみる」という言葉があるが、その遥か先の痛みであった。
一言で言えばストーブの上に手を置く様な「火傷」と一緒である。

私は泣き叫んだ。

「痛い、お父さん痛いよ。」
「もう海から出たい。」

私の足が立たない深い場所まで行っているので、私が泳いで帰れる自信は無い。
父にしがみつくしかなかった。

「お父さん痛い、痛いから帰ろ。」

何度も言った。
しかし父は「もう少しだけ我慢しよう」と小さく一言だけ呟いた。

数分の地獄。

そして帰りの車内で大泣きしながら家に戻る。すぐにシャワーを浴びる。
その後の肌の乾燥。
それがまた地獄である。

痛い痛すぎる。

私は暫くの間泣き続けた。
これを週1回行っていた。
恐怖に震えるとはこの事だ。


薬剤師になり、今となっては父の行動に対して恨みや怒り等は一切なく、むしろ「親」としての何とかこのアトピーを改善してあげたいと言う思いであり、その時の最善の行動であったのだろうと分かっている。

当時の「アトピー性皮膚炎」の治療は現在の治療とは全く考え方が異なっていた。

そもそも、治療に際し「保湿する」という概念はなく、ステロイド外用剤塗布(very strong当たりか?)、就寝前シロップ内服(不明だがポララミンシロップ辺りか?)、週1回臀部に注射(恐らく何かステロイド)で治療されていた。

しかも、ステロイドに対する副作用が社会問題化された時代背景もあり、脱ステロイド療法(民間療法)が多くあった時代でもある。
その一環として父は「海水療法」なるものを試したと思われる。

確かに軽度のアトピーであれば、そういう方法も充分効果は期待ができたであると推測される。
しかし重度のアトピーでは逆効果である。


海に入った日は痛みでなかなか寝付けなかった。

父は私にしたことの贖罪であろうか、そういう日は必ず寝かしつけてくれた。

その時に歌った歌が「夕焼け小焼け」だった。

記憶に乏しいが、恐らく1番を繰り返して歌っていたのだろう。

私は娘を寝かしつける時に自然と浮かんだこの歌は1番しか歌えなかった。
ちょっと笑い話に聞こえるが、この歌で本当に助かったと思っている。

彼女も大きくなり、いつかどうしようもない壁の前に1人立ち尽くす事があるかも知れない。
その時、きっと自然と口づさむだろう。
父から私へ「不器用な優しさ」を繋いだ歌だから‥。

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
お手手つないで皆帰ろう
カラスと一緒に帰りましょう。

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