千種区 東山線一直線の区、その地層を歩く」
名古屋に住む人、千種区を「学園都市」「裕福な住宅街」と一括りで括ってきた読者へ。名古屋に縁の薄い読者にも、街を「地層」として読む試みとして開いて読んでもらえると思います。 読み終えると、地下鉄東山線が一直線に貫くこの区が、今池・本山・覚王山・星ヶ丘で別の顔を持ち、足下には軍需工場跡と墓地集約地という戦後の処理の層を抱えていることが見えてきます。
問いはひとつ。千種区とは、ひとつの区として括れる場所なのでしょうか。
連載「ナゴヤ16区」第2話。第1話で「行政区は法的には希薄で、住む人の意識のなかで自分の区になっていく」と書きました。その問いを、最初の区で受け止め直す回です。
千種区とは
地下鉄東山線が西から東へ一直線に貫き、千種・今池・池下・覚王山・本山・東山公園・星ヶ丘という7つの駅を持つ区。これが、名古屋市16区の公式並び順で筆頭に置かれる千種区の輪郭です。
基本データを並べます。
人口:173,481人(2026年5月1日時点、名古屋市公式推計)
世帯数:97,686世帯
面積:18.18km²
人口密度:約9,540人/km²
隣接区:東区・中区・昭和区・天白区・名東区・守山区の6区
区番号:23101(16区中の最若番)
第1話で書いたように、区の輪郭は法律で固定されたものではなく、編入と分離によって動いてきました。千種区の現在のかたちも、その例外ではありません。
千種区の街――東山線が区を作っている
地下鉄東山線の駅順に、区の表情を西から東へたどります。
千種駅・今池――繁華と再開発
区の西端、JR中央線と地下鉄東山線が交差する千種駅の乗降客数は44,190人/日(2023年度、市内20位)。ここでは「(仮称)千種駅前計画」と呼ばれる地上48階・高さ約190m・約450戸のタワーマンションが計画されています。事業主は積水ハウス。完成すれば名古屋市内最高層となる予定で、2023年4月に解体が始まり、2025年9月時点では計画段階環境配慮書が公表されています。
そこから一駅東の今池は、地下鉄東山線と桜通線が交差する繁華街です。乗降客数は41,892人/日(22位)。1981年から続くライブハウスHUCK FINN(キャパ200)、1998年からの得三、BOTTOM LINEといった音楽の場が、40年以上にわたって機能してきました。名古屋のパンク・ロックシーンを語るうえで今池を外せない、というのはひとつの定説とされています。
池下・覚王山――参道と住宅街の境目
池下駅(乗降客数23,870人/日、47位)の地名は、大正時代まで「蝮ヶ池」の池底だった場所に由来するとされます。
次の覚王山は、覚王山日泰寺の参道で知られます。日泰寺は1904年(明治37年)創建で、シャム国王ラーマ5世から贈られた釈尊の真骨(仏舎利)を奉安する、日本で唯一の超宗派寺院です。19宗派が3年交代で住職を出す仕組みになっており、毎月21日の縁日には約100店の露店が並びます。1904年からの参道文化が、120年以上続いていることになります。
その覚王山で2000年代のカフェ文化の象徴とされてきた覚王山アパートは、2025年3月21日に建物老朽化で営業を終了しました。跡地の動向はまだ見えていません。覚王山駅の乗降客数は19,732人/日(2018年度値で、2023年度のランキングには掲載されていません)。
本山――学術の核
本山駅は地下鉄東山線と名城線の結節点で、乗降客数は27,450人/日(39位)。名古屋大学東山キャンパスと愛知学院大学楠元キャンパスの最寄りです。名古屋大学(千種区不老町)には学生9,524人と院生6,435人、専任教員2,312人が在籍します。本山周辺は、覚王山の参道文化や今池の繁華とは別の、研究・学術の空気が支配する地区のように見えます。
東山公園・星ヶ丘――東の端
東山公園駅(乗降客数16,466人/日、2018年度値)は東山動植物園と東山スカイタワーの最寄り。動植物園は1937年3月24日に開園し、面積は59.58ha、2024年の来園者は282万人を数え、国内公営動物園としては上野に次ぐ全国2位とされています。スカイタワーは1989年、名古屋市制100周年記念に開業した高さ134mの展望塔。
そして区の東端、地下鉄東山線の千種区側終点が星ヶ丘(公式表記は「星ケ丘」)です。乗降客数は44,602人/日(19位)で、区内最多。星ヶ丘テラスと椙山女学園を中心とした地区で、「星ヶ丘」という地名そのものが1955年に住宅公団によって「市内で一番高いところにあり、星にもっとも近い丘」として命名されたものとされています。区役所はこの東端の星が丘山手103に位置します。
ひとつの区のなかに、繁華街、参道、学術、住宅、動植物園、そして再開発のタワマン計画が、東山線という一本の線に沿って並ぶ。これが千種区の輪郭だと、私は見ています。
千種区の歴史――三度の領域変動
千種区の境界線は、過去90年で三度大きく動いています。
ひとつめは1937年(昭和12年)10月1日、名古屋市が10区制に拡張した時。旧東区から「旧千種町」と「旧東山村」を分離して、千種区が誕生しました。「千種」は「種類が多いこと」を意味する瑞祥地名とされます。
ふたつめは1955年。愛知郡猪高村を編入し、区の領域は東へ大きく広がりました。星ヶ丘という地名が同じ1955年に住宅公団によって命名されたのも、この編入の時期と重なります。
みっつめは1975年(昭和50年)2月1日。旧猪高村の大部分が名東区として分離独立し、同時に昭和区天白町植田の一部を編入しました。これが現在の千種区の輪郭で、まだ50年ほどの歴史しかありません。
第1話で書いた「50年動かない16区」という言い方には、留保が必要です。16区の枠組み自体は1975年から動いていないものの、千種区のかたちが固まったのもまさに1975年。半世紀前まで、千種区は今より相当大きな区だったように見えます。
区役所が東端の星が丘にあるのも、おそらくこの編入と分離の名残です。1975年以前の旧猪高村領域も含めた重心で位置を決めたとすれば、現在の輪郭で見て東に寄って見えるのは自然なことかもしれません。
千種区の住む人の特徴
平均年収は597万円とされ、愛知県69市町村中7位に位置づけられているという統計サイトの記載があります(出典は民間統計サイトのため、参考値として扱うのが安全です)。名古屋市内16区のなかで「文教+裕福+住宅地」の上位グループに数えられることに、大きな違和感は出ないでしょう。
ただし「千種区=一律に裕福」と書くのは正確ではないかもしれません。区内は少なくとも三層に分かれているように見えます。
今池の繁華街層:ライブハウスと呑み屋街の層
千種駅前の業務・再開発層:駅周辺の業務地区と、これから生まれる190mタワマン
覚王山〜本山〜星ヶ丘の住宅・文教層:参道沿いの古参住宅街と、大学・学園に近い住宅地
学生人口の比率も特徴的です。名古屋大学・椙山女学園大学・愛知学院大学の3校だけで学生は2万人を超えます。区民17.3万人に対して10%以上が学生という計算になります。ただし学生の多くは住民票を移さない通過者で、「住民」とは別の層として扱う必要がありそうです。
複数の街が同居している、と捉えるほうが、この区は読み解きやすいかもしれません。
ナゴヤ人間としての考察――東山線一直線の区、その足下の地層
ここまで書いてきて、ひとつの像が浮かびます。千種区は地下鉄東山線という一本の線が、繁華・参道・学術・住宅・動植物園・再開発を串刺しにしている区である、という像です。
ただ、その像だけだと足りない気がしています。東山線の駅を結ぶ水平の地図の下に、垂直の地層があるからです。
千種公園は、千種区若水一丁目にある東西約200m×南北約300mの公園ですが、もとは1919年発足の名古屋陸軍造兵廠千種製造所の跡地です。1945年3月25日・4月7日・6月26日の三度の空襲で、職員69人以上が犠牲になったとされています。園内南西には、当時の弾痕跡が残るコンクリート壁が現在も保存されています。
平和公園は千種区東端から名東区にまたがる土地です。1947年から戦災復興土地区画整理にともなって、市内278寺の墓地、合計約18万7千基(実数187,405基)が、約147haの土地に集約移転されました。完了は1957年。覚王山〜星ヶ丘の住宅街から少し東へ歩けば、そこは寺の街でも宗派の街でもない、機能としての墓地集約地です。
千種区の閑静で裕福な住宅街は、軍需工場と墓地集約地という戦後の処理の上に成り立っています。覚王山アパートの閉店、千種駅前190mのタワマン計画、東山動植物園の年間282万人という現在進行形の数字を、この垂直の層と並べて見たとき、千種区はずいぶん違って見えてきます。
冒頭で「千種区とは、ひとつの区として括れる場所なのでしょうか」と問いを置きました。私の答えは「括れない、複数の街と地層の集合体として読むほうが千種区の手触りに近い」というものです。ただし、別の見方もあるはずです。たとえば「千種区はやはり東山線そのもので、地層は地層として独立している」と読む人もいるでしょう。第1話で書いたように、区はそこに住む人の意識のなかで自分の区になっていく。読者が千種区のどの駅で降り、どの層を歩くかで、この区の見え方は変わります。
連載第3話は、千種区の隣、東区を歩きます。1937年に新設された千種区と、1908年の名古屋市最初の4区のひとつである東区。「新しい区」と「最古参の区」の対比を、名古屋城の北東に広がる街並みのうえで考える回にする予定です。
あなたが千種区を歩いた時、どの層が一番強く残りましたか。ここから先は、読者と一緒に考えたい連載です。
