限界だったとき、最後まで手放さなかったもの
山手線恵比寿駅のホームでラップトップを膝に乗せ、クライアントへのメールを打っていた。
7分歩けば会社には戻れるが、7分後では駄目なのだ。iPhoneのテザリングを使ってなんとか企画書をクラウドにアップロードし、定型文の組み合わせでメールを書き終え、⌘+Control+Dを押してメールを送信……あぁ、なんとか間に合った! と手汗を握りながら時間を確認する。社会人2年目の頃の話だ。
上司の加護を離れたばかりの24歳、毎日100本ノックのように打ち込まれてくるタスクをなんとか打ち返しながら、慣れない東京で働いていた。その仕事の多くは○△□の組み合わせのようなものである。
パワーポイントも、メールも、誰かとの会話も、○△□を右に左にと回転させつつ、テトリスのように埋めていく。御礼も、謙遜も、謝罪すらも定型文になりつつある日々の中で、私はときどき花屋に立ち寄った。駅前にある、なんてことないチェーン店の花屋である。
故郷よりもずっと自然の少ない都会の中で、インスタントに自然を愛でられるのは駅前の花屋くらいなものだ。人の手によって刈り取られた寿命の短い花たちは、それでも自らの生涯を全うしようと、色や香りを放ちながら生命力をこちらに向けてくる。規格の揃った花たちも、じいっと見ていると小さな差異があり、○△□の羅列で済ませている私の仕事とは違うのだ。そうした違いを見つめていると、自分の心のやわらかい部分を取り戻せるような感覚にもなってくる。

花屋での滞在時間はいつも2分以内と決めていた。なんせ、こちとら花一輪すら買えやしない限界OL。見物人であって客ではない。店員さんに話しかけられる前にそそくさと立ち去り、オフィスに戻るのだ。
──
「限界だったとき、最後まで何を手放さなかった?」
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暮らしや営みの中で零れ落ちそうなことを掬い上げたり、心や脳に浮かんだ閃きを忘れないよう書き留めたりする、思考や思想の直売所のようなものです。
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