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不妊治療、予定の組めない移植周期

2023年8月、不妊治療の体験記をインターネットに公開した。そこでは激痛に耐えながら14個の採卵に成功するも、その全てが受精失敗……というところで話が終わっていたのだけれど、幸いなことに今はそこから少し進んだところにいる。


どうやら、私が経験した14個もの採卵を局所麻酔で行うという行為はかなり患者側の負担が重かったらしく、多くの人から「それは痛かったでしょう」「え、そんな病院あるの?」というような驚きの声が届いた。また、他の婦人科医にその話をすると、「静脈麻酔を打ったほうが、医者としてもやりやすいんですけどねぇ。痛いと暴れてしまうでしょう」と言われて、確かに暴れたな、とあの日痛さのあまり我を失っていた我が身を振り返った。

寄せていただいた声を読んでいると、保険適用内でも静脈麻酔で採卵をしてくれるクリニックは多数あったらしい。あぁ、クリニック側が無理と言うのであれば無理なものだと思いこんでいた数ヶ月前の私に伝えてやりたい……と激しく、それはもう激しく後悔した。

もちろん局所・静脈麻酔共に長所や短所、向き不向きがあるようだけれど、あの拷問級の痛みにもう一度挑む勇気が出ないし、今度は静脈麻酔を打ってくれることを条件の一つにしつつ、転院先を探した。そして家から小一時間ほどの距離にある新しいクリニックに決めたのが9月。妊活を始めたいと最初の医師に相談してから、見学含めて既に5院のクリニックを転々としていた。


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とはいえ、前回とやることは概ね一緒だ。まずは中容量ピルを飲んで生理周期を調整し、採卵前は毎晩の自己注射などで卵を育て、頻繁な通院を繰り返す。採卵周期は、とにかくこまめに通院、採血、通院、採血。しかし新しい主治医は、これまでの資料などを参考にしつつ処方薬や採卵方法をA案、B案と提示しながら進めてくれるので、今回はベルトコンベアというよりも、オーダーメイドのお店でなにかを仕立てていくような感覚でもあった。

しかし採卵が予定されているあたりの週。研究職の夫は学会や出張の多いシーズンで、あらゆるパターンを想定したスケジュール調整が必要だった。採卵日はその2,3日前にならないと決まらないのだけれど、いざXデーが決まったら、新鮮な精子を持って絶対にその日の朝イチでクリニックに行かなきゃいけない。

野良の物書きである私の予定はいかようにでも動かせたのだけれど、夫が運営する学会の日程を動かすことは当然出来ない。幸い海外出張はなかったので、「この日が採卵になっても、朝検体を出してから新幹線に乗れば大阪での学会にギリ間に合うよね」「この日は夜の会合を諦めて帰ってくれば……」とあらゆるパターンを想定して、二人で備えた。ただこれ、我々の職業が逆だったらなかなか厳しいものがあるよな……と、世の女性たちの前に立ちはだかるハードルの高さにやるせない気持ちにもなった。

そうこうしている間に、人生二度目の採卵日がやってきた。幸い夫は家から出勤するだけの日だったので大きな問題もなく、朝から検体を持ってクリニックに行き、手術着に着替えて順番を待った。診察番号を呼ばれたら手術台に移動し、名前と生年月日を伝えて、点滴で麻酔が入り……というところでサ───ッと意識は消え、夢すらもない無の中へ。静脈麻酔の意識の消え方は、死ぬ時のそれに似ているらしいと嘘かホンマかわからんような話をどこかで見たが、とにかくそれは無であった。




何分なのか何時間なのかも判断がつかない無の中で「……終わりましたよ〜」という声が聞こえた。「え?」と思いながら目を開くと、光が眩しい。言われるがままに手術台を降りてカーテンで仕切られた簡易ベッドに戻り、私服に着替えて、待合室に戻る。ボケーと待っていると診察番号を呼ばれ、主治医から「36個採卵できました!」と言われて目が覚めた。た、大漁旗を振り回したくなる程の大豊作やないか! 脳内でソーラン節が鳴り響いた。

しかしどれだけの豊作であれ、それが受精できなければ振り出しに戻る。前回が全滅だったので期待しないでおこう……と思っていたけれど、採卵から1週間後。クリニックに行くと、6個の胚盤胞が凍結に至ったと報告を受けた。「本当に?すごい、ありがとうございます!」と興奮しながら、大いなる前進に安堵した。


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それにしても、ここまで顕著に差が出るとは。前回は激痛、今回はほぼ無痛。前回は胚盤胞が0、今回は6。驚いたのは、今回あらたに挑んだ顕微授精だけではなく、前回全滅したふりかけ法でも、しっかり胚盤胞が出来ていたこと。

あまりの差に衝撃を受けていた私に、「後医は名医、という言葉がありますから」と主治医は言った。後から診る医者ほど、これまでの情報があるので良い施術がしやすいという意味らしい。もっとも、以前通っていたクリニックも妊娠率は低くなかったので、相性もあるのだろう。ただ私はこの主治医のもとに辿り着けて良かった……と、何度もお礼を述べて診療室を後にした。

クリニックは、恵比寿駅前のガラス張りの大きなオフィスビルの中にある。このビルの中の冷凍庫で、私たちの胚盤胞が凍結され出番を待っているのだ。これまではただの治療場所だと捉えていた無機質なビルが、途端に託児所のように思えてきた。黒光りする建物を仰ぎ見ながら、ここにある卵をいつか迎えに来るのだと、親心なのか何なのかわからない気持ちが芽生えた。

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そして、次のフェーズは移植だ。

移植周期は、採卵周期ほどは通院数も多くないし、自己注射なども打たなくていい。しかし今度は、仕事のスケジュール調整がより難しくなってくる。移植をするというのは即ち、そのしばらく後には妊婦になっている可能性があるということでもあるからだ。

先に着床が成功していた不妊治療仲間の友人からは、胚盤胞移植から20日後ほど、つまり妊娠5週目あたりから、悪阻がひどくてなにも出来ない……という声を聞いていた。もちろん人によって悪阻には大きな差があるけど、私がピンピンして妊娠初期を過ごしている、というのもあまり想像できない。

もしうまく着床できれば、来月は吐き続けているのかも? と思うと、責任のある仕事は引き受けづらくなる。人によっては、胚盤胞をしばらくそのまま凍結しておき、仕事が落ち着いたタイミングを狙って移植するという人もいる。でも私は子宮内膜症や子宮筋腫を持っているので、はやくしないとそれらが育ってしまうリスクもある。移植を先延ばしにし続ける訳にもいかない。

善は急げということで、私の1回目の移植日は12月10日に決まった。移植そのものは局所麻酔すらなく、驚くほどにすんなり終了。帰宅後も普通に過ごすことができた。いや普通に……というか、その日はかなり根を詰めて執筆を進めた。

というのも文藝春秋の担当編集さんから、春に新刊を出しましょうと執筆スケジュールを伝えられていたので、そのためには12月、かなり集中して原稿を進めていかなきゃ間に合わない。もし20日後から悪阻が始まってしまうのであれば、今のうちにできる限り原稿を進めなければ、と焦っていたのだ。

次の日も、その翌日も、机にへばりついて原稿を進めながら、時折「これ、今働きすぎてることが身体に悪かったらどないしよ……」という不安がよぎった。同時に「いや、この原稿が入稿できて印税が入ったら出産費用も安心や」という気持ちもあり、「ほな頑張らなあかんな!」と気張るのであった。


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そして移植から5日程経った頃。身体に異変が現れた。電車に乗るだけでひどく酔ってしまい、さらに吹き出物や口内炎が多発して、気持ちも落ち着かない。これはもしかして……と焦る気持ちを抑えきれず妊娠検査薬でフライング検査をしたのだけれど、結果は陰性。6日目も陰性。7日目も、体調が悪いにもかかわらず陰性。

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