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『花束みたいな恋をした』考察|絹は浮気していたのか【先生、あれ何だったんすか?】

映画を観た後、ずっと気になっていた「あの場面」の意味。 全ての映画を観た男「シネマ先生」(55)と、配信世代の大学生「トック」(19)が、たった一つの問いを掘り下げます。


🎤 トック: 先生。絹って、浮気してたんすか?

🎬 シネマ先生: 単刀直入だな。

🎤 トック: だって気になりません? 別れたあとに「ぶっちゃけ浮気したことある?」って麦に聞くじゃないすか。あれ、自分がしたから聞いてるんじゃないかって。加持さん——オダギリジョーのあの人とラーメン食べに行った後、電車で麦と偶然会った時の絹の顔も、なんかぎこちなかったし。

🎬 シネマ先生: いい質問だ。そしてこの問いに対する答えは、一つではない。いくつかの読み方を整理してみよう。

🎤 トック: お願いします。

🎬 シネマ先生まず一つ目の読み方として。「浮気はしていない」。加持とは食事をしただけで、肉体関係はない。ただし、別れ際に「浮気したことある?」と聞いたのは、自分の中に「気持ちが揺れた瞬間」があったことを自覚していたからだ。行動としての浮気はしていないが、心のどこかで加持に惹かれた自分を知っていた。

🎤 トック: ……気持ちだけ、浮気してたってことっすか。

🎬 シネマ先生: そういう読みはできる。二つ目の読み方。「浮気はしたが、映画では描かれていない」。坂元裕二氏の脚本は、核心を描かないことで観客に考えさせる技法を多用する。ラーメンの後の場面がカットされていること自体が、何かがあった可能性を残している。描かれなかったことが答えだ、という読みだ。

🎤 トック: えっ、じゃあやっぱり……。

🎬 シネマ先生: 断定はしない。三つ目。これは私の読みだが——「浮気したかどうか」は、実はこの映画の本質ではない。

🎤 トック: え?

🎬 シネマ先生: 絹が加持に惹かれたのは、加持が「絹の話を聞いてくれる人」だったからだ。麦が趣味を楽しめなくなり、絹の言葉を受け止めなくなった時期に、加持は絹の言葉を受け止めた。浮気の有無より重要なのは、絹が「話を聞いてくれる人」を外に求めなければならなかったという事実の方だ。

🎤 トック: ……あっ。

🎬 シネマ先生: 本編レビューで語った通り、麦と絹は「鏡の恋」をしていた。互いの中に自分を見ていた。だが鏡が曇った時、絹は別の鏡を探した。それが加持だったのかもしれない。浮気は関係の崩壊の原因ではなく、崩壊の症状だ。

🎤 トック: ……それ、めちゃくちゃ怖いっす。浮気したかどうかより、浮気しそうな関係になってたことが問題ってことっすよね。

🎬 シネマ先生: そうだ。坂元裕二氏はそこを白にも黒にも確定させない。それが、この脚本家の流儀だ。答えを出さないことで、観客一人一人の恋愛経験に問いを投げ返している。

🎤 トック: でも先生、これって先生の解釈っすよね。他の見方もあるんじゃないすか?

🎬 シネマ先生: もちろんだ。「加持の方が大人の距離感を保ち、絹に応じなかった」と読むこともできるし、「あの質問は絹の最後の正直さだった」と読むこともできる。答えは一つではない。君が観て、君が感じたことが、君にとっての正解だ。


👉 この映画をもっと深く掘り下げた漫談はこちら: 『花束みたいな恋をした』考察|似た者同士の恋は本当に恋だったのか——鏡の恋愛の正体 


ファクトチェック

✅ 映画内で絹が加持(オダギリジョー)とラーメンを食べに行く場面がある ✅ 別れ話の最中に絹が麦に「浮気したことある?」と質問する場面がある ✅ オリジナル脚本は坂元裕二氏。小説(ノベライズ)では浮気を示す描写はなし 出典:https://sabostudio.jp/archives/27462

🔍 「浮気は関係の崩壊の原因ではなく症状」——本記事独自の解釈 🔍 「話を聞いてくれる人を外に求めなければならなかった事実が本質」——本記事独自の解釈(本編レビューの「鏡の恋」論と接続) 🔍 「白にも黒にも確定させないのが坂元裕二氏の流儀」——本記事独自の解釈

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