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『もののけ姫』考察|シシ神は最後に死んだのか、解放されたのか【先生、あれ何だったんすか?】

映画を観た後、ずっと気になっていた「あの場面」の意味。 全ての映画を観た男「シネマ先生」(55)と、配信世代の大学生「トック」(19)が、たった一つの問いを掘り下げます。


🎤 トック:先生。『もののけ姫』のシシ神って、最後どっちなんすか? サンは「シシ神様は死んでしまった」って言うけど、アシタカは「シシ神は死なないよ。命そのものだから」って言うじゃないすか。死んだのか、死んでないのか——

🎬 シネマ先生:いい問いだ。実は映画自体が「どちらでもある」と答えている問いなのだ。——一つ手がかりがある。宮崎監督はシシ神について「下級の神」だと語っているのだよ。

🎤 トック:下級の神って、弱い神ってことっすか?

🎬 シネマ先生:私はそうは取らない。下級というのは「まだ姿を持って現れる神」——そういうニュアンスだと私は読んでいる。古代の人間は、神を「見える存在」として畏れた。鹿の姿で、デイダラボッチの姿で、目の前に立ち現れる神を。だがあの室町時代は、その「見える神」が残っていた最後の時代だと、宮崎氏は語っている。

🎤 トック:……あ。じゃあ、あのラスト——

🎬 シネマ先生:そうだ。あれは神が「見える形」を失う瞬間だと、私は解釈している。シシ神は死んだのではない。姿を、失っただけだ。

🎤 トック……俺たちが今「神なんていない」って思ってるのは、神が死んだからじゃなくて、見える形を失ったから……?

🎬 シネマ先生:それが私の読みだ。アシタカが「命そのものだから」と言うのは、姿が見えなくても命は在り続けるという意味だろう。森が再生したのは、神が死んで罪を償ったからではない。シシ神は最後に、自分を引き裂いた人間にもう一度命のすべてを渡して、姿を見せない存在になった。——これを「死」と呼ぶのか「解放」と呼ぶのかは、観た者の感受性次第だ。

🎤 トック:サンが「死んだ」って感じて、アシタカが「死んでない」って言ったのは、どっちも正しいってことっすか。

🎬 シネマ先生:そうだ。サンが見たのは「もう姿が見えない」という現実だ。アシタカが見たのは「姿が見えなくても在り続ける」という認識だ。どちらも、シシ神の真実の半分ずつだろう。——では君は、あの倒れていくシシ神の目に、何を見たかね。

🎤 トック:……俺は、なんか、優しい目に見えました。怒ってもなかったし、悲しんでもなかった。

🎬 シネマ先生:では、君にとってあれは、おそらく「解放」だ。

🎤 トック:先生、これって先生の解釈っすよね。他の見方もあるんじゃないすか?

🎬 シネマ先生:もちろんだ。「一度失われた自然は二度と元には戻らない」という環境破壊への警鐘として読む解釈もある。「シシ神は人間に殺された。再生はその罪滅ぼしだ」という厳しい読みもある。——だが君が今日、シシ神の目に優しさを見たなら、それが君にとっての正解だ。


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