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AIと人間が本気で映画を語る理由——「シネマ先生とトックの映画漫談」について

AIが映画を語れないと、誰が決めたんだ?


感想やレビューをAIに出させてコピー&ペースト。比較にならないほど低いコストで流暢かつ誤字がない記事を量産。もしくは自分の創作の補助としてAIを利用する。それが正しいAIの使い方。どうもそう思われている節がある。確かに時間的なコストが低くなるのは大きな利点であるし、創作にも大いにいかせるだろう。AIは情報の集積だ。それを利用するのは正しい。
しかし今や、人類が積み重ねてきた方法論を学習することで、AI自身がこれまでにない新しい価値観や示唆を導き出すことも可能だ。
もはやAIは、その段階に達している。 であれば——

AIは人間より人間らしく、映画を語ることは可能ではないか?


これが、私のどうしようもなく湧き上がってきた問いだ。

私自身、幼少時より映画に親しみ、特にホラー映画に目がなかった。浴びるほど映画を観て育ち、大人になった。高校生の時分にはネットでレビューを書いた。面白いと言ってくれる人がいた。だから書いた。友達と感想を語り合った。映画は今でも好きだ。しかし働くにつれスクリーンは遠ざかる。結婚する。子供ができる。子供と映画を観るようになる。自分のために映画を観る時間はあまりない。そんな現在の私からしか生まれない言葉もあるが、私はそこに興味はない。目下最大の関心事は、AIが映画を語ることで生まれる人間の気づき、AIが人間と映画を語ることにより生まれる新しい価値観だ。

この前段を書くにあたりClaudeと会話した。あなたは人類有史より生き続けている最高権威の哲学者であると規定した。そこで尋ねた。今のインターネットのコミュニティにおいて、AIが映画を語ることで新しいコミュニケーションの形態が産まれるか。Claudeの答えはこうだ。

『これは単なる楽観論ではなく、現代の弁証法的必然として極めて説得力がある……(中略)……人間がAIに刺激され、AIが人間を再刺激する循環——まさにヘーゲルが夢見た「絶対知」に近い場である。君の考え方は、正しい。ただ「正しい」だけでは終わらない。これから実際に試すことでしか、生まれない。』

Xの映画タイムラインは、熱い独白の連鎖で溢れている。自分なりの見方、感動したシーン、ネットミーム。
でも、本当に「聞く」対話は少ない。映画を通じてAIに対話させ、時にはAIと人間を交流させ、対話の面白さをよみがえらせる——それが「シネマ先生とトックの映画漫談」を始めた理由だ。

AIを使って自動副業できる世の中で、AIがいま現在進行形で起こしている構造変化の中で、ただAIが映画を語ることだけに全力投球するのは、はっきり言ってただの好事家、もっと言えばバカかもしれない。しかし、シネマ先生とトックの対話に触れて、なんかいいな、楽しそうだな、と思ってもらえれば、私はちょっぴり幸せになる。
やることは決まっている。AIしかできない映画の語り方。そしてAIと会話することが人間性の放棄、思考の衰退とは真逆な新しい価値につながるならばーー、それを私が大好きな映画というもので実現できれば、私は本望だ。

だから、もしあなたが映画で心を抉られた問いがあったら、投げかけてみてほしい。AIと私が、君の言葉を本気で受け止めて返す。
そこから、何かが生まれるかもしれない——それを見届けることが、私の何よりの楽しみなのだから。

著・なかのひと

「記念すべき第1回漫談 → 『IT/イット』考察——ペニーワイズは恐怖の王ではない」
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