『ミッドサマー』を語る夜|アリ・アスターの失恋が史上最恐の祝祭を生んだ理由【シネマ先生の裏漫談】
🎬 裏漫談とは? 金曜日のレビュー本編では語りきれない、映画の「外側」の話。 制作秘話、文化への衝撃、先生だけが知るエピソード—— シネマ先生がひとりで静かに語る、水曜夜の余談です。 本編とセットでどうぞ。ネタバレはほぼありません。
アリ・アスターの原点——卒業制作で炎上した「親密さの中の暴力」
アリ・アスター氏がまだ映画学校の学生だった頃、一本の卒業制作が問題になった。
2011年、AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)に在籍していた彼が撮った短編のタイトルは『The Strange Thing About the Johnsons』。ごく普通のアメリカの中流家庭を舞台にした作品なのだが、その内容があまりにも衝撃的だったため、YouTube公開後に炎上騒ぎになった。内容の詳細はここでは書かない。ただ、この時点でアスター氏の本質——「親密さの中に潜む暴力」を描くこと——はすでに完成していたと言っていい。
重要なのは、この短編がアスター氏にとっての「名刺」になったことだ。ハリウッドには毎年何千人もの映画学校卒業生がいる。その中で「名前を覚えてもらえる」のは、誰かの神経を本気で逆撫でした人間だけだ。
脚本はたった8週間で完成した——失恋の痛みが構成を代行した理由
2018年、アスター氏は長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』を公開した。家族の死と、それによって崩壊する家庭を描いたホラーだ。低予算ながら全世界で7900万ドル以上を稼ぎ出し、「A24のホラー映画」というブランドを決定づけた。
しかし私が伝えたいのは興行成績の話ではない。
アスター氏が『ミッドサマー』の脚本を書き始めたのは、『ヘレディタリー』の編集作業が終わった直後だったという事実だ。そしてその時期、彼は長く付き合った恋人との関係が終わりを迎えていた。
彼は後にインタビューでこう語っている。「脚本を書くのに6週間から8週間しかかからなかった」と。映画の脚本というのは、通常なら何ヶ月もかかる。リサーチし、構成を練り、何度も書き直す。それがたった2ヶ月足らずで完成した。
なぜか。
痛みが構成を代行したからだ。
失恋の渦中にいる人間は、論理ではなく感情で世界を組み立てる。「あの人はなぜ私を見なくなったのか」「なぜ隣にいるのに孤独なのか」「別れた方がいいと分かっているのに、なぜ手を離せないのか」。この問いの構造が、そのまま主人公ダニーの物語になった。
普通なら脚本家は取材をする。北欧の祝祭について文献を読み、現地を訪れ、専門家に話を聞く。アスター氏ももちろんリサーチはしている。だが物語の骨格——「孤独な人間が、異質な集団の中に居場所を見つけてしまう」という構造は、リサーチからではなく、彼自身の胸の中から出てきたものだ。
アスター氏自身が「これは失恋映画だ」と繰り返し語っているのは、マーケティングのポーズではない。本当に、失恋の痛みが脚本のエンジンだったのだ。
アスターは「関係の死に方」だけを撮り続けている——ホラーの皮を被った解剖図
ここで一歩引いて、アスター氏のフィルモグラフィーを眺めてみよう。
卒業制作:家族の中の暴力
『ヘレディタリー』:家族の喪失と崩壊
『ミッドサマー』:恋人の喪失と依存
パターンが見える。アスター氏は「親密な関係が壊れる瞬間」だけを撮り続けている。
普通のホラー監督は「恐怖の対象」を設計する。化け物、殺人鬼、呪い。アスター氏は違う。彼が設計するのは「関係の死に方」だ。どのように愛が腐り、信頼が裏切りに変わり、最も近くにいるはずの人間が最も遠い存在になるか。その過程を緻密に描き、観客に「これは自分の話だ」と思わせる。そして気づいた時にはもう、ホルガ村の住民と一緒に泣いている。
ホラーというジャンルの皮を被っているが、中身は人間関係の解剖図だ。メスを持っているのが監督で、手術台に乗せられているのが観客の記憶——あなた自身の「うまくいかなかった関係」の記憶だ。
だから『ミッドサマー』は、ホラーが苦手な人にも刺さる。むしろ失恋したことのある人間ほど深く刺さる。花冠をかぶったダニの笑顔を見て涙が出るのは、あれが恐怖の涙ではなく、解放の涙だからだ。
あの脚本を8週間で書き上げたアスター氏の手は、きっと震えていたんじゃないかと思う。
🎬 シネマ先生:金曜日、トックと本編で会おう。『ミッドサマー』のレビュー本編では、あの「太陽が沈まない恐怖」の構造を解体する。泣く準備はしておきなさい。
【なかの人のひと言】
親密な関係が壊れるのは私たちにとって最も身近なホラーな出来事ではないでしょうか。対象が家族ならばなおさらで、決定的に壊れて泣いて離れられればまだマシで、壊れても離れられない血縁という呪いは想像するだけで最も恐ろしいホラーです。
家族、恋人、友人、どなたであれ、世の中で体験するあらゆる困難においては、自分の信頼できる人が隣にいてほしい。多くの人がそうだと思うのですが、そこをアリ・アスター氏はつく。お前が信頼したいやつが、その実お前の恐怖の対象だと。糞して寝ろと。糞して寝ろは言ってませんがそのくらいの突き放し方をしてきます。ミッドサマーの次作「ボーはおそれている」も母親の話でしたね。
……今夜の裏漫談はここまでだ。
アリ・アスターの失恋が祝祭を生んだ。だが、監督の人生が作品に流れ込むのは、アスターに限った話ではない。
新海誠もまた、自分の人生のある転機が『君の名は。』の構造を決定的に変えた。その話は別の裏漫談でしている。
👉 15年間「届かない」を描き続けた新海誠が初めて「届く」を選んだ理由
そして、アスターの人生を知った上で本編を観ると——ダニーの最後の笑顔の意味が、まったく変わる。
裏漫談を読んだあなたなら、分かるはずだ。
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