本の中から玉のごとき美女が……
土俵には金塊が埋まっている
野球賭博をめぐる事件で相撲界は大揺れである。中学校を出るか出ないかくらいの年頃で一般社会から隔離された特殊な環境に閉じ込められ,ただただ強くなることだけを目指して過ごしてきたのでは,世間の常識が通用しない人格が形成されるのも無理からぬことであろう。
大学出の力士もいるのでは?もちろんいるにはいるが,彼らとて高校大学を通じて似たような環境で育ってきたことに変わりはあるまい。
「土俵には金塊が埋まっている」。その金塊,いや札束を手に入れることができるかどうかは,おまえらの精進しだいだ。励めや励め!こう教えられ,そう信じて日夜稽古に励む。
書中おのずから千鍾の粟あり
「土俵には金が……」。似たようなことばを聞いたことが,いや目にしたことがある。
“富家不用买良田,书中自有千钟粟”(家を富ますに良田を買うを用いず,書中自ら千鍾の粟あり)。金持ちになるには,なにも良い田を買う必要はない。本の中から自然にたくさんの穀物が出てくるものだ。勉強して偉い人になれ,お金は自然についてくるぞ。
“安居不用架高堂,书中自有黄金屋”(居を安んずるに高堂を架するを用いず,書中自ら黄金の屋あり)。安楽な住居を得るのに高堂を建てる必要はない。本の中から自然に黄金の家が出てくるものだ。
“出门莫恨无人随,书中车马多如簇”(門を出づるに人の随う無きを恨む莫れ,書中車馬多くして簇るがごとし)。外出するのにお伴がないと嘆く必要はない,本の中から車馬が群がり出てくるものだ。
“娶妻莫恨无良媒,书中有女颜如玉”(妻を娶るに良媒無きを恨む莫れ,書中女有り顔玉のごとし)。妻を娶るのに良縁がないと恨む必要はない,本の中から玉のかんばせの美女が出てくるものだ。
以上,おわかりのように青年にひたすら学問に励むことを勧めたものである。財産も屋敷も美人も,学問をし出世さえすれば自然に転がり込んでくるというのである。
「土俵には金が……」と「書中には千鍾の粟が……」,土俵と書物の違いはあっても,互いに通じるものがあるとは思いませんか。
男児平生の志を遂げんと欲せば……
上の文,若いうちに勉強しておけば先に行ってよいことがあるぞと説いたものだが,なんとも俗っぽい。「千鍾の粟」にしても,「黄金の屋」にしても,「玉のごとき美女」にしても,学問の目的があまりにも世俗的というか,ものほしげなものになり果てていると思いませんか。
そうでもない?そうかもしれませんね。身も蓋もない言い方ですが,有り様はこんなところかもしれませんね,今も昔も。
ところが,このいかにも俗っぽい「学問のすすめ」,作者はといえば,なんと宋の真宗皇帝であると伝えられている。「勧学文」と題して,同時代に編まれた『古文真宝』という詩文集の巻頭に収められている。皇帝自ら「千鍾の粟」,「黄金の屋」,「玉のごとき美女」を得んがために学問に励めと,若者を叱咤激励しているのである。
“男儿欲遂平生志,六经勤向窗前读”(男児平生の志を遂げんと欲せば,六経勤めて窓前に読め)。男子たるもの平素からの志を遂げたくば,まじめに窓前に向かって六経(儒教の経典)を読め。これが上の文の結びである。
上野 惠司(うえの けいじ)
日本中国語検定協会 元理事長
1939年大阪府生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)文学部社会学科,同漢文学科卒業,大阪市立大学大学院修了。文学博士。1981年より長年にわたってNHKラジオ中国語講座担当。筑波大学教授,共立女子大学教授等を歴任。日本中国語検定協会の設立に参加,長く理事・理事長を務める。著書『ことばの散歩道』Ⅰ〜Ⅶ(白帝社),同書の中日対照版《中日语言文化漫步》Ⅰ〜Ⅳ(吉林大学出版社),『精選中国語成語辞典』第2版(白帝社)など。ほか中国の言語と文化に関する著書多数。
