SOV式の日本社会とSVO式の中国社会
筆者は2023年度のNHKラジオ「まいにち中国語」の講師を担当した。毎回,スキットの台詞の中からキーフレーズを選び,それについて発音や文法の解説を行った。第1課のキーフレーズは“开始行动”kāishǐ xíngdòngで,日本語訳は「行動開始」。初心者に日中両国語の語順の違いを印象づけるために,この台詞を選んだ。
さて,日本語の語順はSOV(主語・目的語・動詞)だ。だが,漢語の熟語ではVO(動詞・目的語)の語順をとる。書を読むのは「書読」ではなく「読書」。試験を受けるのは「験受」ではなく「受験」。人を殺すのは「人殺」ではなく「殺人」。近年,「鬼滅の刃」というタイトルの漫画作品が国際的に大人気になった。ネット界隈では「鬼を滅ぼすのなら,滅鬼のはずでしょ?なぜ鬼滅なの?なにかの伏線?」という議論や考察が澎湃として湧きおこった。日本語はSOVだが漢語に限ってはVO,という認識は,日本の小中学生レベルでも共有されている。
そんな日本人も,四字以上の漢語的表現では,本能的にSOV式に回帰する。撮影を禁止することは「禁止撮影」ではなく「撮影禁止」。行動を開始することは「開始行動」ではなく「行動開始」。
人間の心理も,言語表現も「線状性」という宿命をもつ。全体をパッと見ることができる二次元の絵画と違い,耳で聞く音楽も口頭語も,最初から順をおって聞くうちにだんだんわかるという一次元的性質をもつ。「先手必勝」というとおり,順番が前の言葉のほうが,あとの言葉よりも印象が強く残る。
なぜ日本語はSOVなのに中国語はSVOなのか。もしかすると,両国民の潜在意識の違いの反映かもしれない。
日本人の感覚では,「行動開始」は,行動は名詞的,開始は動詞的である。また日本語のSOVという語順は,Vという最終処置の決断の先延ばしや,水面下の軌道修正に便利な言葉だ。日本語は「行動…」まで言いかけて気が変わり「行動…自粛」とも言える。「行動開始…は,やめる」のようにあとからひっくり返せる。
中国人の感覚では,“开始行动!”は,“开始”も“行动”も動詞的な気持ちだ。また中国語のSVO語順は,先にVという最終処置を宣言してしまい,水面下の軌道修正がしにくい。“开始…”とVまで言いかけて急に気が変わった場合,Oは変更できるが,“开始”というVは取り消しにくい。Oつまり目的語を“病毒清零”(ゼロコロナ)から“与病毒共存”(ウィズコロナ)に修正することはできる。が,いったん“开始”と宣言した以上,行動を取り消して立ち止まるのはメンツにかかわる。
日本人は,SOV式の日本語を話す。中国人は,SVO式の中国語を話す。のらりくらりと改革を先延ばしにしがちな日本社会に対し,中国社会は,万事につけ振り子のように極端から極端へ動くように見える。
加藤 徹(かとう とおる)
日本中国語検定協会理事
1963年東京都生まれ。東京大学中文科,同・大学院で中国の文学と文化を専攻,文学修士(東京大学大学院人文科学研究科・博士課程単位取得満期退学)。広島大学総合科学部助教授などを経て,現在,明治大学法学部教授。専門は京劇(中国の伝統演劇)。著書に『京劇』(中公叢書・2002年度サントリー学芸賞受賞),『漢文力』(中央公論新社・2004年),『西太后』(中公新書・2005年),『貝と羊の中国人』(新潮新書・2006年),『梅蘭芳』(ビジネス社・2009年) などがある。
