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『中検 成語・慣用語・ことわざ』

日本中国語検定協会『中国語の環』編集室著

もし自分の学生時代にこの本があったら良かったのに,と思うことが時々ある。『中検 成語・慣用語・ことわざ』も,そんな本だ。
 
遠い昔,学生時代の私は,中国語の成語を暗記するのに熱中した。私は口べただ。頭の回転も遅い。そんな私にとって,成語やことわざは,ポケットの中の小銭のように頼もしい味方だった。中国人との会話。ネイティブが洪水のように滔々としゃべる。こちらは数分に1回,ボソッと成語をつぶやく。使い方がピタリとハマると,感心される。意味用法が微妙にズレてると,笑われるがウケる。後者のほうが多かったような気がする。
 
学生時代の私が中国語で会話をした相手は,中国人の先生とか,京劇が好きな旧世代の華僑とか,自分より何十年も人生経験が豊かな年上が多かった。本当ならオリジナルの自分のことばと発想で丁々発止の会話をすべきであろう。が,会話弱者の私には無理だった。暗記した決まり文句は,心強い武器だった。
 
さて,『中検 成語・慣用語・ことわざ』は,オーソドックスな学習参考書である。が,類書とは違う独特の「志」を感じる。それは何か。本書の終わりのほうにさりげなく掲載されているコラム記事「天才的な言語芸術家毛沢東」を読むとわかる。毛沢東は講演や文章の中で,巧みに成語,慣用語,ことわざを使い,人々の心をつかんだ。短いコラムだが,具体例をあげて詳しく説明している。
 
1942年の「党八股に反対せよ」の中で,毛沢東は「我々の同志の中には長い文章を書きたがる者がいるが,内容は何もなく,それこそ『ものぐさ女の纏足の布,長くて臭い』」云々と批判した。“烂婆娘的裹脚,又长又臭”は,文字の読み書きができない庶民も耳で聞いてわかる卑俗なシャレことばだ。これをインテリかぶれ批判に使うセンスはさすがだ。
 
1944年,炭焼きがまの事故で亡くなった末端の兵士の追悼集会の講演で,毛沢東は“重于泰山,轻于鸿毛”(泰山より重く,鴻毛より軽し)という司馬遷の漢文の名言を引き,人民の利益のための死は泰山より重みがあると述べた。雅俗を弁別せず。ときに卑俗なことわざで,ときに古雅な成語で,人々の心をつかむ。毛沢東に対する政治的評価や,彼に対する好き嫌いはさておき,彼がパワーワードの達人だったことはまちがいない。
 
本書は政治色は薄い。だが,本書の目的意識は明白である。学習者は,雅俗にまたがる成語・慣用語・ことわざ,合計1,123語をマスターすることで,それを武器として自分の人生で生かせるよう配慮されている。本書は,まじめな学習参考書である。しかし,上海の画家・張恢氏の漫画チックなイラストや,各語の例文にただよう,そこはかとないユーモアやソフトな毒舌的風刺により,読んでいてあきない。
 
本書の「成語」の464語の大半は,古典由来の四字熟語だ。例えば“水中捞月”(水中に月をすくう。無駄骨を折る)では,枝からぶらさがり水面の月をすくおうとするサルのイラストや,出典や類義語の説明,「水中の月をつかまえようとするようなもので,はかない夢である」という意味の中国語例文がある。
 
「慣用語」の414語は俗から雅まで幅が広い。“擦屁股”(尻ぬぐいをする)や“打屁股”(尻を叩く。はげしく批判する)など卑俗なことばも収める。
 
「ことわざ」の245語は,演説やスピーチ,手紙,あいさつで使えるネタの宝庫でもある。“家家有本难念的经”(どの家にもそれぞれ「難しいお経」=困難な事がある)の項では,意味深長なイラストと,「どうやら,彼は人に言えない悩みごとを抱えているようだ」という例文が添えられている。
 
巻末には,練習問題として,中国語検定試験の2級,準1級,1級の過去問とその解答が収められている。また,巻末の索引では,見出し語として立項されていないことばも含め,あらためてABC順に並べてある。頭から読んでもよいし,辞典としても活用できるように配慮されている。
 
本書の読者は,中検の試験対策という短期的目標と,パワーワードを使って人の心をつかむセンスを磨くという長期的目標の両方に本書を活用できる。学習者だけでなく,教員にもおすすめの1冊だ。

同学社『TONGXUE』(第68号)

加藤 徹(かとう とおる)
日本中国語検定協会理事
1963年東京都生まれ。東京大学中文科,同・大学院で中国の文学と文化を専攻,文学修士(東京大学大学院人文科学研究科・博士課程単位取得満期退学)。広島大学総合科学部助教授などを経て,現在,明治大学法学部教授。専門は京劇(中国の伝統演劇)。著書に『京劇』(中公叢書・2002年度サントリー学芸賞受賞),『漢文力』(中央公論新社・2004年),『西太后』(中公新書・2005年),『貝と羊の中国人』(新潮新書・2006年),『梅蘭芳』(ビジネス社・2009年) などがある。