“白发三千丈” 白髪三千丈
白发三千丈 bái fà sān qiān zhàng
白髪 三千丈
缘愁似个长 yuán chóu sì gè cháng
愁いに縁(よ)りて箇(かく)の似(ごと)く長し
不知明镜里 bù zhī míng jìng lǐ
知らず 明鏡の裏(うち)
何处得秋霜 hé chù dé qiū shuāng
何れの処にか秋霜を得たる
晩年の李白が江南の秋浦(安徽省貴池県)の地で詠んだ《秋浦歌》(秋浦の歌)と題する連作17首中の第15首。
唐代の1丈は約3.1メートルであるから“三千丈”は9千メートル余り。もとより誇張の数字であるが,若い日に抱いた大きな抱負が実現しないまま老いを迎えた老残の身を嘆き憐れんだ句として不自然さを感じさせない。「かくのごとく」と訳した“似个”は唐代の俗語。“如此”に同じ。“秋霜”は「秋の霜」であるが,霜が白いことから「白髪」のたとえ。李白のこの詩での使用が初出であるとされる。
「白髪三千丈」を『広辞苑』(第7版)で引くと,「長年の憂いのために頭髪が白くなり伸び放題になったこと」という字句どおりの解釈のあとに,「心配事や悲しみが積もることの形容。また,誇張した表現の例とされる」とある。
「誇張した表現」のほうは,「彼の話はいつも白髪三千丈で,話半分に聞いておいたほうがいい」,「ここに書いてあることは大袈裟すぎて,まるで白髪三千丈だ」など,直ちに例文が思い浮かぶ。もう一方の「心配事や悲しみ」は,「心労のあまり白髪三千丈だ」,「愛する夫に先立たれて,彼女は白髪三千丈の思いで日を過ごしている」などと,無理に例文を作ってみたが,どうもしっくりこない。「白髪三千丈」などと大袈裟な表現を使わなくても,「頭が白くなった」「白髪がふえた」だけでも用は足りるし,「身の細る思いである」だの「生きた心地がしない」だのの慣用表現もある。
日本語では,もっぱら量や大きさを大袈裟に誇張していう場合にのみ使われ,心労や悲しみの深さをいう場合に使われることは少ないとみたほうがよさそうだ。
上の「彼の話はいつも白髪三千丈で,話半分に聞いておいたほうがいい」を,試みに“他的话是‘白发三千丈’,令人难以置信”と訳して中国の友人に見せたところ,“他的话太夸张了,令人难以置信”と添削され,どうしても“白发三千丈” を使いたいなら,後半の“令人难以置信”を“简直是‘白发三千丈’”とでも改めれば何とか通じる,とのことであった。「何とか通じる」というのは,こちらの顔を立ててくれたまでで,やはり不自然だということであろう。
李白の《秋浦歌》は,中国では小学校で必ず習うので,“白发三千丈”が大袈裟な誇張表現であることは児童でも知っている。ただし知ってはいるが,ことわざもしくは慣用表現として使うことは日本語ほど多くはなさそうだ。
最も普及している国語辞典である《现代汉语词典》を引いてみても,“白发三千丈”どころか“白发”さえ見当たらない。もっとも,“白发三千丈”を“白发千丈”と4字に縮めて成語として使うことがあるらしく,大型の辞典には収められていて,やはり李白の《秋浦歌》を出典とするが,用例は示されていない。
上野 惠司(うえの けいじ)
日本中国語検定協会 元理事長
1939年大阪府生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)文学部社会学科,同漢文学科卒業,大阪市立大学大学院修了。文学博士。1981年より長年にわたってNHKラジオ中国語講座担当。筑波大学教授,共立女子大学教授等を歴任。日本中国語検定協会の設立に参加,長く理事・理事長を務める。著書『ことばの散歩道』Ⅰ〜Ⅶ(白帝社),同書の中日対照版《中日语言文化漫步》Ⅰ〜Ⅳ(吉林大学出版社),『精選中国語成語辞典』第2版(白帝社)など。ほか中国の言語と文化に関する著書多数。
