IT関連用語の言語的特徴
一般語彙に新たな意味を持たせる現象(意味拡張・転用)は,特に新技術や新製品に関する用語に顕著に見られる。
「中国のインターネット元年」といわれる1995年当時,わずか6,700人程度であったインターネット利用者は,2009年3月末時点で3億人の大台を突破し,米国を超え世界一となった。その後も普及は進み,2025年7月のデータによると,インターネット普及率は79.7%に達し,ユーザー数は11億2300万人に上っている。
インターネットの急速な普及に伴いIT関連用語が次々と登場する中,中国語はその対応手段として,特に新しいパソコン・ネット用語においては,既存の語彙を応用している点が特徴的である。
例えば,“鼠标”は“鼠”(ねずみ)と“标”(マーク)の合成語でパソコン用語の「マウス」として定着している。“文件”は元々「公文書・書簡」を指していたが,パソコンの記憶装置における「ファイル」意味する。“病毒”は顕微鏡でしか見ることのできない微生物のウィルスを指していたが,現在は,「コンピュータ・ウィルス」の意で使われている。“聊天”は単なる「雑談」からネット上の「チャット」へと意味が拡張されている。“防火墙”は「防火壁」からネットワークへの侵入を防ぐ「ファイア・ウォール」へと,その概念をデジタル領域へと拡張させている。
同様に“菜单”は料理の献立から「(操作)メニュー」,“窗口”は窓口から「ウインドウ」,“图标”は図表から「アイコン」,“登录”は「上陸・登録」から「ログイン」,“复制”は「模写・複製」から「コピー」,“浏览”は「さっと目を通す」から「ウエブサイドの閲覧・ブラウジング」へとそれぞれIT用語に転用・定着している。
2010年,Googleが中国から撤退して以降,中国大陸ではGoogle,YouTube,X(旧Twitter),Facebookなどの外国サイトへのアクセスが不可能になったと思われがちだが,実際は異なる。知識層や大学生の多くは,VPNなどの手段を用いて規制を突破している。このネット規制を迂回する行為は,“翻墙”(壁を乗り越える)と称される。この用語は,「ひっくり返る,乗り越える」を意味する動詞“翻”と,「壁」を意味する名詞“墙”の組み合わせだ。元々は物理的に壁を越える遊戯的な動作を指していたが,これがネット上の規制回避という高度な技術的行為に見事に転用された例である。
特筆すべきは,カタカナによる音訳が主流の日本語とは異なり,中国語は「既存の漢字の組み合わせで新概念を定義する」工夫が凝らされている点だ。表意文字の特性を活かしたこの手法は,十数億の“网民”(ネットのユーザー)が,新しい技術用語を直感的に理解する上で大きな役割を果たしていると言えるだろう。
李 錚強(Li Zhengqiang,り そうきょう)
日本中国語検定協会理事
1958年吉林市生まれ。中国東北師範大学外国語学部日本語科卒業,吉林大学大学院政治学研究科修士課程修了。1997年来日,現在,共立女子大学国際学部教授。専門は社会言語学・日中比較研究。論文・著書に「日本語由来の新語の語形について」(日中言語対照研究論叢第1輯・2010年),「中国語ネット用語のスタイルについて~語彙の表現手法を巡って~」(日中人文社会学会誌第4号・2013年),『総合中級中国語教程[改訂版]』(白帝社・2016年),『新しいことばと古いことば』(中国語の環より・2017年),『中国語検定対策準1級問題集』(白水社・2024年共著)などがある。
