続・本の中から玉のごとき美女が……
読んでおきたい宮崎市定『科挙』
“书中自有千钟粟”,“书中有女颜如玉”と言っても,ただ書物を読んで博識になっただけでは「千鍾の粟」も「玉のかんばせの美女」も手にすることはできない。「科挙」の試験に受かって役人になって,はじめて実現するのである。
科挙。隋初から20世紀初めまで行われていた官吏登用試験。四書五経の丸暗記,詩作,「八股文」と称される型にはまった文章の作成,殿中での天子自身による最終試験まで,過酷を極めた難題が課される。誰もが平等に参加できるという公平さをもつ反面,過当な競争が大きな弊害をもたらした。
ここで科挙について詳しく述べる余裕はないが,関心のある方は宮崎市定博士の名著『科挙』(中公文庫)を一読されたい。サブタイトルに「中国の試験地獄」と題するこの書,科挙制度について詳述するだけでなしに,科挙の考察を通じて,私たちに中国の歴史や文化を見る目を養ってくれる。もし,私が中国を理解するための必読書を何冊か挙げるとしたら,本書を真っ先に挙げるであろう。
科挙の弊害を活写した魯迅『孔乙己』
科挙の弊害については多くの文学作品においても取り上げられている。中から一つを選ぶとしたら,魯迅の『孔乙己』だろうか。わずか数ページの短篇だが,科挙にむしばまれた落魄(らくはく)の知識人・孔乙己の姿を風刺的に描いて余ますところがない。風刺のかげに,なおいくぶんかの同情を感じさせ,そのことがゆがんだ人物を生み出した社会への批判を一層効果あるものにしている。
「半個秀才」って?
『孔乙己』の中に居酒屋で醉客が孔乙己をからかって,「おまえ,どうして,秀才の卵にもなれなかったんだい」(竹内好訳)という場面がある。
この「秀才の卵」,魯迅の原文では“半个秀才”である。“秀才”とは,科挙の予備段階の試験に合格して府・州・県の学校の学生になる資格を得た者に与えられる称号である。「秀才の卵」と訳されている“半个秀才”は,“秀才”にはなれなかったが,一定の成績に達していたので次回は最終試験だけ受ければよいという特権を与えられた者に対する俗称である。「一次試験も受からなかったのかい?」とからかっているのである。
「秀才」は物知り?物知らず?
“秀才”の使い方は時代によって異なるが,要するに受験勉強中の学生(といっても,10代から60代,70代とさまざまだが),あるいはもう少し広く知識人・インテリ,中国語でいう「読書人」くらいに解しておいてよい。
“秀才不出门,能知天下事”。秀才は門を出なくても,世の中の事は何でも知っている。たいていは風刺・からかいの対象になる秀才だが,ここでは珍しく持ち上げられている。哲学者のカントは生涯自分の生まれた村から出なかったとか。
“秀才饿死不卖书”。秀才は飢え死にしても本を売ろうとはしない。わかります!
“秀才谈书,屠夫说猪”。秀才は口を開けば本の話,屠殺業者は口を開けば豚の話。何かというとすぐ職業関係の話を持ち出す。ウチの学校では……。オレの会社では……。“三句话不离本行”。二言目には職業の話。酒席で本の話など持ち出すまいぞ。自戒。
上野 惠司(うえの けいじ)
日本中国語検定協会 元理事長
1939年大阪府生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)文学部社会学科,同漢文学科卒業,大阪市立大学大学院修了。文学博士。1981年より長年にわたってNHKラジオ中国語講座担当。筑波大学教授,共立女子大学教授等を歴任。日本中国語検定協会の設立に参加,長く理事・理事長を務める。著書『ことばの散歩道』Ⅰ〜Ⅶ(白帝社),同書の中日対照版《中日语言文化漫步》Ⅰ〜Ⅳ(吉林大学出版社),『精選中国語成語辞典』第2版(白帝社)など。ほか中国の言語と文化に関する著書多数。
