【note記事】ドゥーギンによる『近代の超克・西田哲学・京都学派』の紹介【ロシア哲学】
はじめに
日本の戦前の続きがロシアで…!?
哲学素人の私が下手の横好きを発動して、プーチンのブレインと呼ばれているドゥーギンのnote記事を紹介してみる。
それはなぜかというと、実はロシアの視点を持つと、「あれ?実は露って大東亜戦争で私たち日本が戦った敵と同じような敵と戦ってるんじゃね?」「私たち日本は負けちゃったけど、少なくとも露は負けてない、あるいは勝つんじゃね?」「ということは…!?」
ということは、つまり自衛隊は実質NATO軍とともに軍事作戦を展開中(つまり日本は実質的に戦争に突入している)けど、国民は広く、いろんな視点を持っておく必要があるのでは、と私は思うのだ。
それはもちろん、じゃあすぐにロシアの味方をしよう。とか、NATO軍は追い返そうとか、露と同盟を結ぼうとか、そんなことを言ってるわけじゃない(そういう時がもしかしたら、いつか来るのかもしれないけど)。ウに信じられないほどたくさん支援しているのは、もうやめてほしいし、それは結局ウの国の人々の命を大切にすることにならないようだし(中抜きが激しいらしい)、そういう戦争を止める方向の視点を、より明確にできるのでは、と思ったのだ。さらに、公職追放されてGHQによって消されてしまった私たち日本人の歴史観や私たち日本人の哲学を少しでも取り戻す機会になるのでは、と思うからだ。
『浜崎洋介先生と京都学派を語る』対談の助けを借りて
ご存知、予備校講師 茂木誠氏が去年の夏ごろ、京大に特定准教授として着任したばかりの浜崎洋介氏と対談を行った。20分ほどの動画8本からなる『浜崎洋介先生と京都学派を語る』と題するシリーズだ。
そのうち07について、note記事にした。このシリーズは長いので、一番キモとなると私が判断した動画のみ記事にした。
今回もう一度、全部見直した。このドゥーギンの論文と深く関わりがあると思ったのと、正直にいえば、この動画の助けがなければ、ドゥーギンが言っていることが理解できなかった(助けがあってもやっぱりわからないものが多く残っているのだが💦)。そして、見終わって、浜崎&茂木両氏が対談した動機も「あれ?実は露って大東亜戦争で私たち日本が戦った敵と同じような敵と戦ってるんじゃね?」だったのでは、と改めて気づくことになったのだった。
ドゥーギンもまた近代を超克しようとしている
ドゥーギンのノート記事の題名を見て分かる通り、ロシアの哲学者ドゥーギンは日本の西田幾多郎や京都学派、近代の超克を高く評価している。
理由はドゥーギンもまた近代を超克しようとしており、西田たちに対して、ある種の仲間だ、という親近感があるのでは、と推察される。
簡単にドゥーギンの紹介をしておくと(詳しくはwikiをご覧ください)、プーチンのブレインと言われていて、時事的な情勢分析もするが、専門は政治哲学のようである。『第四政治理論』を提唱している。日本語で一番わかりやすい概要はkazuさんのnote記事かもしれない。それによると下記のようになる。
ドゥーギンによる四つの政治理論
非リベラルな保守主義(ドゥーギンが提唱している)
リベラリズム(自由主義)
コミュニズム(共産主義)
ファシズム(全体主義or集団主義)
ファシズム、コミュニズムの終焉を私たちはすでに知っている。ファシズムは第二次世界大戦とともに終わったし、コミュニズムはベルリンの壁崩壊やソ連の崩壊とともに終わりを迎えた。現代は『西洋の敗北』という本がベストセラーになっている。これはリベラリズムの終焉を示しているのではないだろうか?(あるいはもっと踏み込んでいえば、「西洋は『近代の超克』はできなかった」という敗北宣言なのでは、とも読み取れる)(いえ、私は『西洋の敗北』を読んでいないので単なる憶測です💦)。
(浜崎洋介氏によると、ファシズムも実は近代の超克論であり(自由主義は必然的に個人主義。それを集団主義によって乗り越えようとした)、コミュニズムもまた近代の超克論であるという(共産主義という独裁によってまとまることは個人主義の孤立を乗り越える)。動画02 7'30"ごろ)
どうやら、ドゥーギンは非リベラルな保守主義により、近代を超克しようとしているようなのだ。
ドゥーギン自身が近代をどう定義しているかは不明だが、参考のために鈴木成高による定義を挙げておく(ちなみに浜崎も「この定義が一番わかりやすい」と言っている)。
近代の定義
政治においては民主主義
経済においては資本主義
思想においては自由主義
日本では80年も前に論じられていた近代の超克が、西欧でそしてロシアでもやっと喫緊の課題として浮上している…。世界が日本に追いついた…!?
というわけで、ドゥーギン解説による『近代の超克・西田哲学・京都学派』の紹介を紹介していく。というよりもドゥーギンがどのような論旨で西田たちの仕事を評価しているのか、について紹介していく。
以降はネタバレを含みます。
ネタバレを好まない方は、目次でご希望のところまで飛んでください。よろしくお願いします。
ドゥーギンによる西田の仕事の評価
と、前置きばかり長くなっているが、本記事では本当に概要のみ、というかドゥーギンがどのような論旨で西田たちの仕事を評価しているのか、について紹介していく。
西洋哲学の傲慢な!?問い
最初にドゥーギンは問いを立てる。
西洋哲学とは別の哲学はあり得るのか つまり
西洋哲学から得られたロゴスとは別のロゴスがはあり得るのか
(ここでいうロゴスを哲学的知的果実=境地と読み替えてみるのはどうだろう?:自分用メモ)
ドゥーギンのこの問いに対する答えは、以下の2つのうちのどちらかだ。つまり、YESかNOか。
NO:西洋哲学と別の哲学はあり得ない
西洋の哲学的知性は全人類にとって普遍的なものであり、あらゆる社会(西洋と非西洋両方)の哲学の道となる。20世紀にはフッサールやハイデガーによって明確に主張された。
YES:西洋哲学と別の哲学はあり得る
西洋が発見した哲学的知性は可能な哲学的知性の一つにすぎない。これは非西洋文化との接触を通じて徐々に現れた。多くの人類学者、民族学者、社会学者がこの結論に達している。
ドゥーギン自身が後者の立場であり、後者を模索し続けている人なのだろう。ロシアとしての「近代の超克」を通じて。
ドゥーギンは続ける。
ここで、日本の経験と、非西洋的なロゴスが可能であるという問題に対して明確な立場をとり、その哲学的実践によってそれを立証しようとした20世紀の日本哲学の流れに目を向けることにする。
ドゥーギン note記事
つまり、西田幾多郎と京都学派は「西洋哲学と別の哲学はあり得る」か?という問いに対して、その哲学的実践を通して「あり得る」と立証しようとしたと述べている。
西洋哲学と別の哲学はもちろん!あり得る
では実際に立証できたのだろうか?
この問いは合理的に肯定的に答えられることを認めざるを得ない。西田幾多郎は、非西洋の哲学思想と西洋の哲学伝統との完全かつ平等な対話のユニークな例を示し、この対話の過程で、西洋の哲学理論と日本の仏教理論との間の同質性と意味的差異を第一近似的に確立した、歴史的にユニークなメタ倫理体系を開発した、一方、禅の伝統は、西洋の支配的な知的伝統とは根本的に異なるロゴスへのアプローチで運営されているが、同時に、西洋の支配的な知的伝統とは根本的に異なるロゴスへのアプローチで運営されているが、同時に、西洋の歴史から引き出された例を用いて、西洋の用語で説明することができることを示した。
ドゥーギン note記事
一次資料にあたっていないし(西田らの著作や座談会『近代の超克』など)、件の動画では上の問いについて何も言及されていないので、私なりのふんわりとしたまとめ方とはなってしまうが、まとめると、
「西洋哲学と別の哲学はあり得る」か?という問いに対し
西田幾多郎(と京都学派)はあり得ると立証した。
また西田は
西洋哲学と仏教理論のメタ倫理体系を開発した
西洋哲学者と仏教理論者との仮想的な対話の例を通して
西洋哲学と仏教理論は同質であることを示すことによって
(意味的差異を第一近似的に確立 ⬅︎???)
禅の伝統は西洋の用語で説明することができることを示した
となる(私自身が理解しきれていないので意味不明な部分があることをご了承ください)。
ドゥーギンによる西田の哲学的仕事の歩み
鈴木大拙との比較
鈴木の唯一の目的
日本の精神と宗教の伝統を西洋に紹介すること
西田の目標あるいは到達点は2つ
西洋哲学を日本で理解させること
西洋哲学と禅宗という2つの哲学的伝統を一般化するモデルの構築を試みた
→ メタ・ロゴスのレベルに到達しようとした
→ 西洋の側に立つのでも、日本のアイデンティティを守るのでもなく、ロゴスを、地域性も排他性の主張も超えた、本来の真の普遍的な形で見ることができる立場に到達しようとした
ドゥーギンは西田と京都学派はこれらについて概ね成功を収めている、と評価しているようだ。
あえて、そして、ざっくりとドゥーギンの言っていることを、私の言葉で言い直せば、「西田は西洋哲学と禅の実践で到達できる境地は結局同じものであると論じた。その説明には西洋哲学の用語と禅の用語を駆使し、必要であれば、造語を作った。西田の論考は正しいようだ」となる。
浜崎&茂木の件の動画04でも西田哲学とハイデガー哲学の本質的な類似性が述べられている。
西田の哲学的仕事の歩み(時系列的に。ドゥーギンによる)
(同郷の鈴木の導きにより)禅宗の哲学と実践に深く触れる
答えのない疑問が湧いてくる
西洋のロゴスに期待
カントの認識論とフッサールの現象学に興味を持つ
西洋哲学思想の根源を深く学ぶこととなる
基本的な概念や用語を翻訳する
西洋哲学を日本で理解させるという大きな仕事をする
その過程で西洋哲学が転換点にあることを理解する
若い頃に培った禅の思想が西洋哲学の代替物となりうると気づく
日本の哲学から西洋の哲学を経て、再び日本の禅に至るという循環をたどる
西洋の意味体系と日本の思想構造との間のコミュニケーション・マトリクスを構築する
禅の哲学的原理を西洋哲学の深く生きた理解と創刊させて提示し、両方の伝統の言葉を使い、必要であれば新しい言葉を作り出した
西田哲学の簡単な説明、また西洋哲学との用語の対応は、動画04に詳しい。適宜参考にしてください。
おわりに
私のまとめたところは、ドゥーギンの記事のほんの入り口にすぎない。ご興味のある方はぜひ、もと記事へGO!をお願いします。
また、まとめたことの真偽を確かめることも、私の手には余る。ですので、それもどうぞ、ご自身でお願いいたします。あるいは何かありましたら、コメントでお知らせください。よろしくお願いします。
…というわけで、ぜひ、ドゥーギン自身の記事を読んでいただければ、と思っている。ドゥーギンの著作はほとんど英訳されていないとのこと。こうやって日本語で読めるのは丁寧に訳してくださっている林田一博氏のおかげである。感謝を伝えたい。ありがとうございます。
また、ドゥーギンのこの記事についての理解が深まったら、適宜本文の書き換え、追記をする可能性があります。
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
また、文言の間違い、表現のわかりやすさなど、随時訂正しています。ご了承ください。
おまけ:英の影響を受けたロシア革命
1917年にロシア帝国で起きたロシア革命。私は歴史に詳しくないし、これは調べたのではなく、どこかで小耳に挟んだことを、メモがわりにここに書いておく。だから陰謀論かもしれないし、もしかしたら証拠はないかも。逆に常識なのかも。そう、調べてない💦
一説によると、ロシア正教はカトリックやプロテスタントと比べてすごくまともで(何を持って『まとも』と呼ぶかは不明)、英国はそれが疎ましかった。邪魔だった。英露はいつも戦っているということらしいのだが(今回のウ露についてもやけに英は積極的だ)、それはそういう宗教がらみ??の背景がある。
共産革命の思想的支柱マルクスは英を拠点に活動した。つまり革命思想は英から露を潰すために意図的に送り込まれた可能性がある。ロシア革命初期は実質的にはユ◯ヤ人によるものだった。でも結局ソ連は1991年に崩壊した。そして、よりロシアに根付いた思想的背景を持つプーチンが大統領になった。紆余曲折ありながら2000年から現在まで事実上プーチンが露を掌握している。ブレインであるドゥーギンはもちろん、脱西欧でロシアファーストの保守主義者だ。工作されても、80年ほどで、露らしさを取り戻したと言えるのかもしれない。
別に露を見習う必要はないし、思想を取り入れる必要もない。が、これって日本にとって朗報なんじゃない?戦後80年実質的に米の占領下に置かれている日本にとっても。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
ドゥーギンの論文など
wiki
ドゥーギンの主著書『第四政治理論』
ロシア語で書かれている。英語版はない。
日本語でのわかりやすい概略
ドゥーギンの論文のまとめサイト
こちらはnote記事
紹介している記事とその続きと思われる記事
さらに詳細に西田たちの哲学を論じているようだ。
翻訳者 林田一博
wikiにも何にもない。
「私たち日本人は、敗戦と共に多くのことを忘れてしまいました。時代の経過とともに色褪せていく思想もありますが、忘れてはならないものも数多く存在します。それを探し出すために、鉱山で働く鉱夫のように地上と地下を往復し、地下の坑道奥深くでダイヤの原石を探すような作業が必要です。これは私のような労働者の役割です。」
上記の詳細。
「日本人がアレクサンドル・ドゥーギン教授の「第四政治理論」の重要性を深く理解するためには、まず重要な先人たちの思想を理解する必要があります。ここで、一人の日本人を紹介します。」
2024年2月の「国際ロシア理解運動フォーラム」に参加したそうだ。
https://russiajapansociety.ru/wp-content/uploads/2024/03/nichiro_2024_04.pdf
ドゥーギンについての解説本
確かに英語版ではドゥーギンの著作を探せなかった。アマゾンではね。代わりにドゥーギンについての解説本は見つかった。
例えば下記は『ドゥーギンとユーラシアニズム:反自由主義の地政学、ロシアの帝国理論家、そして世界中の権威主義者に影響を与えている哲学を学ぶための入門書』という題の本。ユーラシアニズムというのがドゥーギンの提唱している新しいパラダイム?倫理観?のようだ。ちょっと題名に悪意があるように思うのだが…。どうだろう?浜崎&茂木の対談02によると「ユーラシア」とは「ヨーロッパ+アジア」という意味。ユーラシアニズム(=ユーラシア主義)とは我々=露はヨーロッパとアジア両方に足場を持つのだ、ということらしい。
浜崎洋介と茂木誠による「近代の超克」についての対談
西洋の敗北
近代の超克の人々
とりあえず、近代の超克の座談会部分は読めるらしい。竹内好による解説はひどいもののようだ。
西谷啓治
公職追放されてしまった晩年の西谷啓治。おじいちゃまが典型的な日本的な風景の中で流暢に、当たり前のようにドイツ語を話す様子がシュール!?(日本人のお弟子さんもドイツ語でインタビューしている!)(西谷先生ごめんなさい💦)。
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