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【プチ探訪】横網町公園で衝撃🫨広島とはまた違った戦没者慰霊施設

ちょいと用事で都内へ。んで偶然、横網町よこあみちょう公園の近くだったので、お堂っぽい施設に近づくと、賽銭箱がありお線香の香りが。
 ん?お寺!?
 よくわからないまま入るとそこは、関東大震災と東京大空襲の犠牲者の慰霊施設だった。
 本当は慰霊施設で写真撮るべきじゃなかったかもだけど…

お線香やお灯明をあげる人々が案外と絶えない。
教会にあるような木の椅子が並んでいる。

 驚いたのは、この施設が東京都立だったこと。この慰霊堂の正式名称は東京都慰霊堂。事業主体は東京都で管理運営は公益財団法人東京都慰霊協会
 毎年2回、310日東京大空襲の日と91日関東大震災の日には大法要が営まれる。各宗派の代表のお坊さんたちがいらっしゃるのだろう。

遺族をはじめ皇族方のご臨席を仰ぎ、各界の来賓をお迎えして大法要を執り行っております。

春季秋季慰霊大法要 公益財団法人東京都慰霊協会 都立横網町公園

 慰霊堂内には、東京大空襲直後の写真が掲げられている。警視庁の専属写真家、石川光陽の写真のもので、戦後GHQにネガごと提出するように求められたが、写真のプリントを渡すのみで、ネガは守り切ったとのこと。
 そういえば、ちょうど、天皇御一家も別の場所ではあるけれど、石川光陽の写真をご覧になっていた

広島の原爆記念館ではお線香の香りはしない。日本人が素直に頭を垂れる場所というよりは、もう少し別の形で原爆に向き合ったり、体験したりする施設だ。

 お線香の香りのする施設が東京都立である(事業主体が東京都である)ということに衝撃だし、そういう施設があったのに、全然知らなかったことにも、我ながら衝撃だった。

 この場所の悲劇は2回起きた。1回目は関東大震災(大正12年(1923年)9月1日)。2回目は東京大空襲(昭和20年(1945年)3月10日)。戦災という呼び方をしている。なんか、戦争死史観ではなく、災害死史観の延長にあるような呼び方だ。
 1回目は本当に悲惨。当時横網町公園は空き地で、38000人もの人々が震災をのがれて家財道具を持って逃げてきたとのこと。家財道具にあっという間に火が燃え移り、難を逃れて息つく暇もなく焼け死んでしまった。
 2回目はもちろん東京大空襲だが、慰霊堂も同じ敷地にある復興記念館も、焼けた形跡がない。だから、横網町公園自体は戦火を免れたのでは、と思う。

そう、横網町公園には、もう一つの施設、復興記念館がある。

 復興記念館の周囲には、大震災や大空襲で溶けた鉄の遺物が展示されている。
 復興記念館では、大震災の様子を描いたいくつもの大絵画が印象的だった。それから戦後80周年を記念して、戦後の闇市の様子を描いたハガキ大ほどの水彩画の数々
 大震災からようやく復興した昭和5年に横網町公園は整備され、復興記念館は、昭和6年(1931年)に開館した。都市計画の様子なども、模型で展示されている。震災後22年で再び焼け野原に。当時の人々は途方に暮れたに違いない。でも、また、復興した。力強い。すごい!
 戦後80周年展示などが、2026年1月25日まで会期延長されている。ご興味のある方は、ぜひ。入場無料です。


 ちなみに…もともと横網町公園には陸軍被服廠ひふくしょうがあったとのこと。軍服を作るための工場ね。その移転跡地が関東大震災の頃は空き地になっていた。

 横網町の最寄駅は両国駅。JRと都営線がある。近隣には、江戸東京博物館など博物館系施設がいっぱい。

横網町公園:この公園内に、慰霊堂や復興記念館がある。
墨田区立旧安田庭園:池のあるきれいな日本庭園。癒されます〜。
刀剣博物館:旧安田庭園に隣接している。
両国国技館:お相撲やってない時は、入れるのかな?要確認。
江戸東京博物館:現在改装中。令和8年(2026年)3月31日オープン。
すみだ北斎美術館:この美術館だけ、ちょっと離れている。どうやら墨田区は現在この北斎美術館を激推し中??のようだ。
ベンチにも北斉〜
こちらはJR両国駅の力士像



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