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【ショパンの系譜第19】ショパン幻想曲 作品49 ヘ短調(4):コラールそして祖国への鎮魂歌

 前回、前々回の記事で、中期のショパンの大曲である幻想曲作品49の序奏部、そして主要部の伴奏の美しさについて調べた結果をアップした。今回は、幻想曲の中央に位置する、あの美しいコラール部とその周辺について、少し調べてみたいと思う。

譜例9

 譜例9は、幻想曲の コラール部の冒頭主題を再掲したものである。コラールは、アダージョ・ソステヌート、4分の3拍子。調性は、主要部の主調と考えられる変イ長調の短3度上のロ長調である。この変イ長調―ロ長調という調性関係は、ショパン最後の大作であり、また幻想曲の系譜上にある「幻想ポロネーズ」作品61でも採用されている。「幻想ポロネーズ」に関しても、後日取り上げたいと思っているが、「幻想ポロネーズ」こそ、晩年のショパンが最後の力を振り絞って創造したショパン最高の傑作であり、その曲の構造と雰囲気は「幻想曲」直系の系譜上にある。この「幻想ポロネーズ」の中間部は大きく拡大され、コラールではなくバルカローレとなっている。このことについては、また後日ゆっくりと触れることにしよう。

 さて、再び「幻想曲」のコラールの話題に戻る。しばらく前の記事で触れたように、この主題は199小節から、まずロ長調の美しい主和音で始まる。199-200小節は、これまでの「幻想曲」の激しい律動から一転して、ロ長調の主和音の圏内で、静謐に高貴な趣で演奏される。200小節で提示される主題の骨格は、またもや序奏冒頭の主音から属音への下降音列Aであり、その意味で(ベートーヴェンの悲愴ソナタのように直接的ではないが)、このコラールはグラーヴェの序奏とつながっているのだ。201小節では、和声は下属和音―主和音―下属和音―IIの和音をめぐり、メロディは小さなターンとなって、ゆるやかな動きが導入される。202小節では属和音の圏内で、ターンの反行形が演奏されて主和音に戻る。203小節から(譜例には示していないが)、嬰二短調に転じ、音列Aの反行形に左手の3連符の内声が応答する。さらに204小節で嬰ハ短調に転じ、205小節では再びロ長調に戻って、その属和音の上でもう一度、譜例9のターンが演奏されたあと、206小節でロ長調の主和音に解決されて最初の8小節を終わる。この最初の8小節からは、ステンドグラスから光がさし込む静かな教会の聖堂で祈りをささげているショパンの姿が彷彿させられるではないか。戦乱に巻き込まれた故国ポーランドを離れて10年あまり、異国であるパリの地で大作曲家・名演奏家として確固たる地位を獲得してきたショパンが、戻ることのできない故国への無限の愛と、平和に対する希求を、このショパンが創造した最も美しいコラールに込めていると感じるのは、私だけであろうか。

譜例10

 譜例10に示した207小節以降の部分では、それまでの8分音符を含んだ律動が消え、4分音符からなる巡礼の音楽となる。まず、左手の主音ロからクロマティックに下降するベースにリードされ、右手は美しい内声の対位を伴った下降音列からなるメロディを演奏する。207-8小節の調性は平行調の嬰ト短調であるが、2度目の左手のクロマティックな下降と、それに追従する右手のクロマティックな下降のメロディが演奏される209―210小節では、調性が不明瞭になる。この部分の和声をポップスで用いられるコードで書くと、B→F#/A#→E6/G#→Em/G→F#7→C♯/E→D♯→C♯m→Am/C→B7(-5)→Dm(+5)/A#→A7(-5)→C♯m/G♯→Em6/G→G7→D♯m/F♯→A♯/C♯♯→D♯mであり、あるときは短調の主和音、あるときはディミニッシュ和音と、様々な和音を移ろってゆくのだ。212小節で、やっと嬰二短調が確立され、213小節にかけて嬰二短調の下属和音→主和音が鎮魂の鐘のように鳴らされ、心が締め付けられる。そのあとロ長調の属和音の圏内で、音型Aの下降がひそやかに回想されて再びコラールに戻ってゆく。それにしても、この部分のあまりに儚く美しい巡礼の祈りのような音楽で、ショパンは何を表現したかったのだろうか。聖堂の静謐な空気の中で、故国で戦乱に斃れた人々への鎮魂の祈りをささげたのか。私にはショパンが心のうちに抱えている無限の悲しみが、つつましい形ではあるが、表現されているように思えてならない。その意味で、この部分はショパンが創造した最も美しい、そして痛切な哀悼の歌のように思える。後年の「幻想ポロネーズ」でも、中間部のロ長調のバルカローレに中に、嬰ト短調のポロネーズがはさまれるのだが、その部分にもひそやかだが悲痛な魂の歌が聞こえるのだ。このポロネーズも、ショパンが創造したすべて音楽の中で、私が最も愛する部分なのだが、これらの鎮魂の歌を聴いていると、ショパンこそ、世界を覆う声なき悲しみを楽譜上に結晶化した最高の創造者と思わずにはいられない。

 215小節から再びコラールが再現される。今回はは216小節の3泊目で、なつかしさが漂った下属調の響きを巡り、最後221小節でロ長調の属和音のフエルマータでコラール部を終え、また嵐のような主要部に戻ってゆく。

 そして、このコラールは(ベートーヴェンの悲愴ソナタ第1楽章のように)、再現部が終了したあと、320小節から一瞬回想される。ここでは、ベースが変イ長調の属音変ホとなり、その上でコラールの冒頭部分が主和音の圏内で再現されるのだが、そのあとは、属音の響きは消え(しかし聴衆にはその残影が強烈に残る)、序奏で示された示導動機Bの断片が、右手のソロで、3度モノローグのように回想され、最後に、変イ長調の属7和音が故国への鎮魂歌のように鳴らされて、アッサイ・アレグロのコーダに入ってゆく(この属7和音は変ロ音はなく変ホートー変二のみで、トー変二の増4度のコードは、コーダの冒頭の1拍目まで係留され、名残惜しげに2拍目でやっと主和音に解決されるのだ)。コーダでは、左手は変イ音のオルガンポイント上の主和音の分散和音を一貫して演奏し、右手は示導動機Bを演奏しながらひたすら上昇してゆくのだが、和声的には、主和音―下属和音―主和音―II7―主和音―属7和音という変化を繰り返す(下降音型の時が主和音、上昇音型の時がそれ以外)。そして最後は、変イ短調の下属和音をはさんだ後、変イ長調の主和音に移行する、いわゆるマイナーコードの入ったアーメン終止で、ショパンの祈りの歌は終結するのだ。

 以上、これまで3回に分けて、余話の形で、ショパンの「幻想曲」の魅力に触れてきた。妻が練習を始めるまで、この曲がここまで魅力のある曲であることに、不覚にも気づいていなかった。今回取り上げたコラールが、なぜ幻想曲に挿入されたのか、それに気づかせてくれたのも妻の練習である。ショパンは、全盛期に向けて大きな飛躍を遂げたこの大曲に、どうしても祖国への鎮魂歌を入れたかったのではないか。緻密で壮大、そして嵐のような激しい主要部、そしてそれと全く対照的な鎮魂歌であるコラールがこの曲のふたつの翼であり、それを綜合するために、あの長大なグラーヴェの序奏が構想されたのではないだろうか。


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