【ショパンの系譜第16】ショパン 幻想曲 作品49 ヘ短調(1):華麗なる飛躍
本NOTEは、「ショパンの系譜」と題して、ショパンの曲たちを調べてゆく予定なのだが、しばらくショパンの曲に関する記事をアップできていなかった。これはひとえに、中期の大曲でである「幻想曲」の分析に時間を要したためである。今回やっとその第1報をアップできることになった。
ショパンの「幻想曲」作品49は、1841年の作曲。このころのショパンは、ジュルジュ・サンドとの関係も良好で、サンドのノアーンの別荘を拠点に、バラード第3番作品47、夜想曲作品48(このうち作品48-1はこのブログでも取り上げた)、前奏曲嬰ハ短調作品45などの傑作を産み出している。その中でも、幻想曲49はショパンの全作品の中でも最も規模の大きい作品であり、また、20歳代で世に出されたバラード第1番やスケルツォ第2番で練り上げられた緻密で簡潔な様式の曲から、バラード第4番、舟歌、幻想ポロネーズ等の後期の複雑な構造の様式の曲へ移る転換点にある曲と言えよう。ジム・サムスン「ショパン 孤高の創造者」(大久保賢訳:春秋社)に記載されている通り、“一つの曲の中に葬送行進曲、オペラ風の大行進曲、プレリュード、レシタティーヴォ、コラール、そして初期の大曲で洗練された「動機労作」のすべて要素が用いられている”野心作“である。
幻想曲は、長大な序奏と中間部コラールを有する自由なソナタ形式の曲と考えられる。大まかな構成は、序奏(1-42小節)→経過部(43-67小節)→提示部(68-142小節)→経過部(143-154小節)→展開部(155-198小節)→中間部コラール(199―222小節)→経過部(223-234小節)→再現部(235-310小節)→経過部(311-319小節)→コラールの再現(320―321小節)→コーダ(322-331小節)である。便宜上、ふたつの経過部を独立させた形で記載したが、経過部のアルペジオ風の主題は、後から述べるように、序奏の音列から生まれた示導動機であり、提示部や再現部の経過部分にも現れ、コーダの主要音型ともなっているので、全曲の舞台回しをするうえで、きわめて重要な音型であると考えられる。さらにこの曲の最も大きな特徴は、ジム・サムスン「ショパン 孤高の創造者」でも述べられている通り、ソナタ形式の提示部/再現部が、それぞれ複数の第1主題と第2主題を持っており、それが次のような調性構造となっている点である。
・提示部(第1主題①ヘ短調→第1主題②変イ長調→第2主題①ハ短調→第2主題②変ホ長調→コデッタ変長調)
・再現部(第1主題①変ロ短調→第1主題②変二長調→第2主題①ヘ短調→第2主題②変イ長調→コデッタ変イ長調)
すなわち、各主題は平行調の長短調の主題で構成され、主題群としては各部で第1主題と第2主題が5度関係の調性で構成されているのである。加えて、展開部は第1主題のみが再提示され、その調性関係は変ホ短調→変ト長調となっている。また中間部のコラールの調性はロ長調である。この曲の主調は変イ長調であると考えられるので、中間部の調性は主要部の短3度関係の調性で、これは提示部の各主題群の調性関係と同じである。このようにこの曲は、主題群間の調性関係がはっきりとした意図をもった構造となっており、ショパンの曲の中ではかなり理詰めに構築されている曲ではないだろうか。その意味で、20歳代のショパンが作り上げた簡潔かつ緻密な曲構造の頂点をなす曲であるとともに、30歳代のさらに複雑な曲構造に発展する折り返し点になっている曲であると思う。

さて、まず序奏部(1-42小節)は、テンポ・ディ・マルチア(グラーヴェ)、4分の4拍子であり、譜例1のような葬送行進曲風の序奏主題①ではじまる。この主題の骨格は、前半部は主音へから属音ハまでの下降音型Aと、後半部のハ→ヘ→変イ→ト→ヘというヘ短調の主和音+順次進行の下降からなる音型Bであると考えられる。まず、前半部の音型Aは主音から属音への順次進行の下降であり、この主音→属音という関係性が全曲を統一していくことを暗示している。また主題の中に完全4度の跳躍が内包されていることにも注目されたい。その意味で、この音型はベートーヴェン的な幾何学的な音型であると言えよう。これに対し特後半の音型Bは、全曲の示導動機であり、何度も現れる経過部のアルペジオ主題の骨格となっていると思われる。この音型の和声構造は、音型Aとは逆に、属7→主和音→属7→主和音であり、音型Aと逆になっている。さらに3小節目と4小節目のホー変ローハという増4度を含む属7和音が、この部分に美しい彩りを与えており、ユニゾンで提示された音型Aと見事な対照をなしている。幾何学的な1次元的な構造(音列A)と、垂直に重ねられた3次元的な構造(音列B)の対比は、全曲にわたって統一的なモチーフとなっているのだが、そのすべてを序奏の最初の4小節で暗示しているショパンの技法は驚嘆に値するではないか。しばらく前の記事で、バラードの第1番の序奏で、全曲を支配する音列群を提示していることを解明したが、幻想曲では、音列群の提示にとどまらず、音列の性格、和声進行の骨格までを、わずか4小節の冒頭部で提示するに至っている。このような緻密な曲の構成法を確立して、ショパンはさらなる高みに上っていくのである。

この序奏主題①は、2度目は後半部が変イ長調となり、3度目は後半部でホ長調に転調して繰り返されて、前半部が終わる。21小節目からは、ヘ長調に転じ、主題①の音列Bと同じリズム系ながら、主題①の前半部Aの反行形をつないだ順次進行音列に完全4度の跳躍が付随した構造の序奏主題②が提示される(譜例2)。この部分の和声構造も属7和音→主和音→属7和音→主和音となっており、主題①の音列Bの部分と同じである。この主題はヘ長調→ハ長調、変ホ長調→変ロ長調と5度上の転調を志向しながら、最後は変ニ長調をめぐって展開され、29小節から主題②の確保が行われたあと、41小節から主題①の音型が回想されて序奏部が終わる。

経過部(43 -67小節)は、2分の2拍子。譜例3のように、音列Bに由来し、主和音上で展開される、3連符のアルペジオが中心となって構成されている。まず43小節からはヘ短調で経過部が始まり、次に平行調の変イ長調で同じ音型が繰り返され、まずこの曲の基本となっているヘ短調―変イ長調の調構造が明示される。その後、このアルペジオは、ハ短調―変ホ長調のセットで動機短縮されて繰り返される。54小節からは、このアルペジオの音型で、変ホ短調―変ト長調―変ロ短調―変ニ長調という平行調と5度上の調性の転調がセットなった構造が繰り返され、その後、ヘ短調のアルペジオで駆け上がり、急激に駆けくだって、経過部分を終える。すでにこの経過部分で、平行調の長短調のセットとその5度上の転調という、提示部の主要な調構造が明示されており、ショパンの周到な曲構成が垣間見えるではないか。

提示部(68-142小節)では、まずヘ短調、アジタートで、譜例4に示す音列Aを起源とする下降音列を基調とした第1主題①が導入される。この主題の和声構造の属7和音→主和音となっていることに注目されたい。また左手の3連符の伴奏音型も素晴らしい。寄せては返す波のような不穏な雰囲気を醸し出している。第1主題①はすぐに平行調の変イ長調で繰り返され、ここでも平行調の調構造が維持されている。続いて77小節から、平行調の変イ長調で譜例5に示す第1主題②が提示される。この主題も骨格は、音列Aの下降音型を接続したものであるが、和声進行は主和音→ll7→主和音(第1転回)→ll7(第2転回)→属7→IV→主和音(第2転回)→属7と、これまでの主題とは異なった美しい進行となっている。(幻想曲が全体としてかなり幾何学的で抽象性が高く感じられるのは、各主題の和声構造がシンプルで理詰めの構造であるからではないだろうか)。続いて85小節からは、再び譜例3に由来するアルペジオの経過部となって、第2主題に接続される。


93小節から、属調のハ短調で、譜例6に示す第2主題①が提示されるが、この主題も下降音列を骨格としものである。またその和声構造は、主和音→VI→IV→属7と新たな進行となっている。主題の後半は、重音の分散和音の音型となるが、その和声構造は第2主題①の主和音→VI→IV→属7の構造が維持されている。第2主題①が平行調の変ホ長調で確保されたあと、主題の後半の重音のアルペジオが、2小節単位の和声構造を維持しながら発展する部分となる。その後109小節から、譜例7に示す、変ホ長調の主和音を骨格とする第2主題②が提示される。第2主題②の2小節目の付点8分音符を含む音型が発展させられた後、127小節から、変ホ長調で、譜例8に示された行進曲風のコデッタ主題が堂々と提示される。この主題の骨格も順次進行の音型Aからなり、和声進行も主和音→属和音→主和音→属和音の繰り返しを骨格としているのだ。このように各主題の音列、そして和声進行に徹底的な統一感を与えているところが、「幻想曲」の著しい特徴ではないだろうか。コデッタ部が変わると、143小節から譜例3のアルペジオによる経過部に入り、提示部が終わる。


展開部(155-198小節)は、比較的短く、後半部は譜例3のアルペジオを用いた経過部となるので、長大な提示部に比べると比較的短い。まず、155小節から、第1主題①がハ短調、そして巧みな転調で変ホ短調に転じた後、変ト長調で第1主題②が演奏される。続いて172小節から、アルペジオの経過句の展開が続いたあと、180小節から、変ホ長調で譜例3が再現され、その後、変ホ短調→変ト長調と転調しながらアルペジオ音型が展開されて、最後は変ト音のユニゾンのフェルマータで展開部を終わり、変ト音のエンハーモニック転換の嬰へ音を属音とトリガーとして、次のロ長調のコラール部に入ってゆく。

中間部コラール部(199―222小節)はレント・ソステヌート、4分の3拍子、ショパンが最も愛した調性と想像されるロ長調で奏でられる。静謐で、天上の響きのような、ショパンが創造した最も美しい音楽の一つである。コラール主題は、譜例9に示したように、まずロ長調の主和音のコードで始まり、主和音の上でまたもや音型Aに由来する順次進行の下降音型が続く。201→203小節では、ll7→属7→主和音の美しいコード進行にのって、優雅なターンの音型が2回演奏される。203小節で嬰二短調に転じ、今度は上行の順次進行にターンが続き、ロ長調に戻ってコラール主題の提示が終わる。

続く譜例10の部分では、左手のクロマティックな下降音列にのって、ディミニッシュコードを点描させながら、平行調の嬰ト短調を基調として、さまざまなコードをうつろうように演奏してゆくのだが、その儚い美しさはとても言葉では表現できない。215小節から、譜例9の部分が再現され、ロ長調の属7和音のフェルマータで、コラール部分を終わる。5年後に上梓される「幻想ポロネーズ」には、同じくロ長調の中間部がおかれることになる。これらの部分を聴いていると、調性の関係だけでなく、曲調そのものも、「幻想ポロネーズ」は「幻想曲」の直系の曲であることがわかる。ショパンの大作である「幻想ポロネーズ」は、私がショパンの曲の中で最も愛する曲の一つであり、機会があれば、分析した結果をアップしたいと思う。
223小節から、テンポプリモ、2分の2拍子に戻り、減7和音で構成されたアルペジオの経過部(223-234小節)にはいって、場面転換がはかられる。235小節から再現部(235-310小節)にはいり、すでに述べたように、第1主題①(変ロ短調)→第1主題②(変二長調)→第2主題①(ヘ短調)→第2主題②(変イ長調)→コデッタ(変イ長調)が、すべて提示部の5度上の調性で、原形通りに再現されてゆく。311小節から、再び減7和音で構成されたアルペジオの経過部(311-319小節)に入り、最後は両手の6度の半音階で駆け下って、ヘ音→変へ→変ホの半音階のベース上の減7和音を経由して変イ長調にすべりこんで、中間部コラールの短い再現に入ってゆく。
コラールの短い再現部(320―321小節)は、属音変ホ上の主和音(第2転回)にのって、譜例9の冒頭部が名残惜し気に演奏された後、右手のみで音型Bに由来する音型が3度、残影のように演奏されて属7和音に滑り込む。この部分の属音の影響力は強烈である。まず主和音の第2転回上でコラールの回想が行われ、その後はベースの属音変ホはいったん消えるのだが、聴衆の耳にはずっと属音がなり続けている。そして最後の小節で満を持して、美しい属7和音が、懐かし気に悲しい思い出のように奏でられるのだ。この短い2小節でのショパンの作曲技法のすばらしさはとても言葉では表現できない。属音のこのような効果を見事に表現した作曲家は、私の知る限りベートーヴェンとショパンしかいない。調性音楽の根幹が属音と主音の関係であるとすれば、一見全く対照的な作曲家のように見えるベートーヴェンとショパンが、実は直系の系譜で繋がっていたと思われるのは、たいへん興味深い事実ではないだろうか。
続くコーダ部(322-331小節)では、全曲の示導動機である譜例3のアルペジオが、左手の主音変イをオルガンポイントとした広い音域の主和音の分散和音にのって、まるで天空に帰ってゆくかのような趣で演奏され、変イ短調の下属和音をはさんだ後、変イ長調の主和音で終結し、このショパン最大の大曲は終結するのである。
以上、ショパン中期の大曲である「幻想曲」について、その骨格をしらべてきた。調べれば調べるほど、この曲はショパンが大いなる飛躍のために、精魂込めて創造した曲であるかがわかってきた。この大曲のもつすばらしさは、とても一度きりの記事では書ききれない。今後数回に分けて、余話の形で、「幻想曲」のもつ素晴らしさについて、取り上げていきたいと考えている。
