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吉川英治「三国志」「篇外余禄/諸葛菜」:諸葛亮の真実

 しばらく前の記事で、詩聖・杜甫が成都滞在時代に諸葛亮を偲んで詠んだ詩である「蜀相」をとりあげた。そのときの記事にも書いたが、私が中国の詩や歴史書にはまったきっかけは、浪人生時代に読んだ吉川英治の「三国志」である。この本の本編は、もちろんたいへん面白いのであるが、今現在、最も印象に残っているのは、篇外余禄と題して、吉川英治が本編を閉じた後に諸葛亮の人となりについて述べた章である。

 「三国志演義」に登場する諸葛亮は、時に神がかった軍師として描かれている。しかし実像は、蜀の出身でのちに西晋に仕えた歴史家・陳寿が記した正史「三国志」の「諸葛亮伝」の末尾に記載されている、「然るに、連年衆を動かし未だよく成功せざるは、蓋し応変の将略はその長ずる所にあらざるなりや」、の通り、変幻自在な軍の指揮は苦手だったのではないか、私と推察している。何よりも、諸葛亮の事績で特筆すべきは、一国の宰相としての政治姿勢と手腕であり、この点も、陳寿の「諸葛亮伝」に記されている通りと思う(この点については、また後日触れてみたいと思う)が、吉川英治は、この篇外余禄で、さらに諸葛亮像について深堀している。

以下、吉川英治「三国志」「篇外余禄」から、印象に残った部分を引用させていただく。

「やはり彼の真の知己は、無名の民衆にあったといえよう。今日、中国各地にのこっている駐馬塘(ちゅうばとう)とか、万里橋(ばんりきょう)とか、武侯坡(ぶこうは)とか、楽山(らくざん)とか称んでいる地名の所はみな、彼が詩を吟じた遺跡だとか、馬をつないだ堤だとか、人と相別れた道だとかいう語り伝えのあるところである。そういう純朴な思慕の中にこそ、むしろ彼の姿はありのままに、また悠久に、春秋の時をも超えて残されていると思う。 」

孔明ほど正直な人は少ない。律義実直である。決して、孔子孟子のような聖賢の円満人でもなければ、奇矯なる快男児でもない。(中略) 彼が、軍を移駐して、ある地点からある地点へ移動すると、かならず兵舎の構築とともに、附近の空閑地に蕪(蔓菁ともよぶ)の種を蒔かせたということだ。(中略)  とかく青い物の栄養に欠けがちな陣中食に、この蕪はずいぶん大きな戦力となったにちがいない。戦陣を進める場合も、そのまま、捨てて行って惜し気もないし、また次の大地ですぐ採取することができる。この蔓菁の播植は、諸所の地方民の日常食にも分布されて、今も蜀の江陵地方の民衆のあいだでは、この蕪のことを「諸葛菜」とよんで愛食されているという。(ブログ主の注:この引用の江陵は蜀の地名でなく荊州の地名なので、吉川英治の勘違いではないかという説がある)」

「蜀が魏に亡ぼされ、後また、その魏を征して桓温が成都に入った時代のことである。
その頃、まだ100余歳の高齢を保って、劉禅帝時代の世の中を知っていた一老翁があった。(諸葛亮を尊敬していたと思われる)桓温は、老翁をよんで、「おまえは、100余歳になるというが、そんな齢なら、諸葛孔明が生きていた頃を知っているわけだ。あの人を見たことがあるか」と、たずねた。老翁は、誇るが如く答えた。
『はい、はい。ありますとも、わたくしがまだ若年の小吏の頃でしたが、よく覚えておりまする』
『そうか。では問うが、孔明というのは、いったいどんなふうな人だったな』
訊かれると、老翁は困ったような顔をしているので、桓温が、同時代から現在までの英傑や偉人の名をいろいろ持ち出して、『たとえば……誰みたいの人物か。誰と比較したら似ていると思うかと、かさねて問うた。』
すると、老翁は、『わたくしの覚えている諸葛丞相は、べつだん誰ともちがった所はございません。けれども今、あなた様のいらっしゃる左右に見える大将方のように、そんなにお偉くは見えませんでした。ただ、丞相がおなくなりになってから後は、何となく、あんなお方はもうこの世にはいない気がするだけでございます』といったということである。」

 この最後の引用は、ウィキペディアによれば、『殷芸小説』巻6にのっている桓温(東晋時代の名将)に関する逸話とのことだ。この話が真実かどうかはわからないが、私も吉川英治のように、この話こそ、諸葛亮の本質をついているのでは、と思う。最近、中国ドラマ「司馬懿・軍師連盟」を見たのだが、主役である司馬懿が、五丈原で諸葛亮が陣没し蜀軍が撤退した後に蜀軍の陣営を見回ったとき、「諸葛亮こそまさに天下の奇才だ。息子たちよ、よくこの陣営を見ておけ」と息子の司馬師・司馬昭に言うシーンがあった。民衆によって讃えられ、雌雄を争ったライバルに激賞される人物でありながら、全く偉人のように見えなかった諸葛亮。彼こそまさにロマン・ロランが名著「ベートーヴェンの生涯」の序文で述べていた英雄、すなわち「思想もしくは力によって勝った人々を私は英雄とは呼ばない。私が英雄と呼ぶのは心に拠って偉大であった人々だけである。」という意味の英雄であり、私が尊敬をささげる理由である。

 中国は歴史の国であり、歴史上の人物に関する評価は、概して厳しいものがある。諸葛亮に関しても、現代の中国では、さまざまな厳しい評価・意見があると聞く。しかし、その厳しい歴史の国・中国で、敵国であった曹魏、そしてそれを継いだ西晋で高い評価を得たばかりでなく、2千年にわたる歴史で、長きにわたって敬愛され続けてきた人物である諸葛亮、そのゆえんは建国や軍功といった華々しい事績でなく、その誠実さと思慮深い人柄であることは特筆されるのではないだろうか。吉川英治の「三国志」は、この「篇外余禄」こそが、その核心であることに、60歳を過ぎて気づいたのは、私自身が年齢を重ねてきたからかもしれない。「誠実かつ正直」であった諸葛亮が、複雑な調整と判断が必要な政治の世界で、なぜ不世出の人物と言われているかについては、いつか機会があったときに触れてみたい。また、最近全く話題に上らなくなった感のあるロマン・ロランの著作に関しても、ベートーヴェンの作品分析などを通じて、いつか触れてみたいと考えている。

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