【小説】おおかみ ①
泥の贈り物
「天ぷらにせえ。」
突き出された腕は節くれ立ち、陽に焼けて黒ずんでいる。あの日、私の前に差し出されたのは、棘があるのがはっきりとわかるほどにまで成長した、新芽のタラの芽だった。
使い古されたビニール袋は、その重みで不格好に歪んでいる。けれど、薄汚れたビニール越しに見える芽の緑は、驚くほど清らかだ。
袋の中に閉じ込められた瑞々しい葉は、まだしっかりと地面と水平を保っている。
つい数時間前まで、山の斜面で太陽を真っ向から受け止めていた時と同じ角度のまま。
鋭く手折られ、暗い袋の中に放り込まれてもなお、その茎の断面からは山の水分が滲む。
自分が大地に対してどう立っていたのかを、そのしなりが記憶しているかのようだ。
薄茶色のつなぎを着た父の右肩の後ろには、間隔の狭い、かすれた横縞柄のような泥。
急斜面に這いつくばり、獲物を求めて藪を分けた証だろう。
歳のわりには白髪の少ない、頭の形どおりに真っ直ぐ外に向かって生えたタワシのような髪の毛。
そこには千切れた枯葉の破片がしがみついている。父が纏っているのは、湿った土と、むせ返るようなシダの匂いだ。
母は、いつも訝しげな顔でその匂いを迎えた。
町の呉服屋の娘として、整えられた美しさに囲まれて育った母にとって、生活とは「電気と秩序に守られたもの」だ。
一歩外に出れば人間を飲み込もうとする圧倒的な自然が口を開けているこの土地で、母は、ゴミ一つない状態に家を整えることに執着した。それは、お嬢さん育ちの彼女が、野生の侵食から自分を守るための唯一の防衛線だったに違いない。
そんな母にとって、山をそのまま纏って帰ってくる父は、不快な異分子でしかなかった。
目の前に無造作に置かれた、到底一人では処理しきれない大量の新芽。
それを見つめる母の口から、重く、深い溜息が漏れる。
「まったく、またこんなに採ってきて。誰が料理すると思ってるんかねえ。揚げ物はああとが大変なのにねえ。」
母にとって、それは豊かな恵みなどではなく、平穏な日常を汚す「手に余る厄介事」だった。
父は何も言わない。
ただ、自分の素のままの行動も、持てる力を尽くして持ち帰った獲物も、妻には決して認められない。その背中には、そんな静かな悲しみがいつも滲んでいた。
行き場のないその感情は、剥き出しの怒りとなって父の体を硬くさせる。
中学生になる頃には、いつの間にか私が進んで「天ぷらにする係」になった。
指先に刺さる小さな棘を、痛みではなく、父の持ち帰った「山」の欠片として受け入れ始めたのもその頃のこと。
母は、私と違ってこの贈り物にはほとんど関心がない。
揚げたあとの油の始末や、ベタつく換気扇の掃除を思い、また小さな溜息を繰り返すだけだ。
台所に立ち、パチパチと爆ぜる油の音を聞く。
衣の中で一気に蒸し上げられる、山の匂い。
揚げながら途中でつまみ食いする熱々のタラの芽は、本当に美味しかった。
母がこの贅沢に興味を示さない分、私はその美味しさを独り占めできる。
揚げたての最も香ばしい瞬間を、誰に気兼ねすることもなく自分のものにする。だから、私はこの係が嫌いではなかった。
薄い衣を突き破ってくる強烈な苦味と、野性味あふれる香り。
それは、食卓に並ぶ前の、私と父だけが通じ合える特別な味だ。
父はいつも、大物を狩りで仕留めてくるオスの狼のようだった。
愛を語らず、群れに媚びず、ただ自分の肉体を酷使し、泥にまみれ、それでもなお「生」の獲物を家族の前に叩きつける。
その背中は、母が必死に守り抜こうとする文明の秩序の中ではあまりに異質で、鋭く、寂しげだ。
私は母の溜息を背中で聞き流しながら、父の背中に刻まれた泥の縞模様を、ただ黙って見つめていた。
熱い欠片を咀嚼するたびに喉を通る、密やかで苦い儀式。
それが、私と「おおかみ」を繋ぐ、唯一の確かな時間だった。
