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「どこまでつづく?」

小さいころ、近所の図書館に連れて行ってもらっては、繰り返し繰り返し借りていた本がある。

と、いうことを、大人になって古本市でその本にであって思い出した。

森毅・木幡寛 文、タイガー立石 絵『はてなし世界の入り口』(福音館書店、1998)

これは、「たくさんのふしぎ傑作集」というシリーズのなかの1冊だ。
福音館書店といえば、児童書の出版社としては老舗中の老舗、良書しかないとわたしは思っているほどの出版社だが、そこから出ているどちらかといえば科学系の絵本である。

わたしはここにでてくる、「はてしのない」概念にとても魅了されていた。

マトリョーシカの中には、小さいマトリョーシカが入っている。
どんどん小さくなっていって、人の手では作られないくらい小さくなって、でも顕微鏡を使ってもっともっと小さい人形を作っていったら、どこまで小さくなるだろう。

合わせ鏡の先の先、延々と続いていく像の先は、いったいどこまで続いているのだろう。

ぐるぐると巡るメビウスの輪。
表が裏に、裏が表に、いつのまにか変わっている。

有名なアルキメデスとカメの話もこの本で知った。

世の中には、じっくり考えると答えのわからなくなることがたくさんある。
実際には、アルキメデスはカメを追い越せるのに、「論理的に」考えるとカメを追い越すことは絶対にできない。
それは本当に「論理的」なのだろうか。
それとも、世界は論理的には成り立っていないのだろうか。

そういうふしぎなことがあることを、永遠と続いているかのような時間や長さがあることを、一瞬に見えても刹那のつながりがあることを、わたしはこの本をとおして知ることができた。

古本市で目にするまで、全く思い出しもしなかったのに、目に入ったら「あ!あの本だ!」とわかってすぐに買っていた。
大人になって、子どもの頃に夢中になっていたのに忘れてしまったものに出会うと、なんだかうれしくなる。
忘れてしまっても、大切に頭のどこかにしまわれていると思うと、うれしくなる。

そうすると、「忘れている」ことを思い出しす瞬間まで、忘れていたことは果たして脳内に存在していたのだろうか。
それとも、本当に失っていたのに、「思い出した」ことで「忘れていた」という概念が現れたのだろうか。

きっと偉い脳科学者は、こういったことに答えてくれるに違いない。

でもわたしは、そういうことを「ふしぎだなあ」と思っているだけなのも、案外きらいではないのである。


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