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「帰っておいで、テナー。帰っておいでったら!」

10年以上ぶりの再読を経て、ようやく何か書けるかもしれない、となったので、試してみます。

アーシュラ・K・ル=グウィン作、清水真砂子訳『こわれた腕環 ゲド戦記2』(岩波書店、2009)

囚われの偽りの自由と、真の自由の重み、ということを、以前は考えながら読んでいたように思います。

大巫女の生まれ変わりとして、大巫女になるべくして育てられてきたアルハは、闇の神々の世界であるアチュアンの地下墓所を、暗闇のなかを自由自在に歩きまわります。
そこはアルハだけの聖域であり、アルハに許された唯一の遊び場でもあります。
巫女仲間はこんな墓所にいてもつまらない、早く外に出たい、と言いますが、幼い頃に連れてこられ、外のことを覚えていないアルハには共感できません。

アルハはこの墓所で、一番力を持っていました。
持っているはずでした。
実際は、幼いアルハを養育し、監視している年嵩の巫女たちこそが、アルハ以上の力を持っていました。
けれどアルハは、「大巫女の生まれ変わりである」というだけで、全ての巫女の頂点にいて、地下墓所の支配者でした。

そのもろいパワーバランスを崩したのが、どこからともなく地下墓所に忍び込んできた、大魔法使いのゲドでした。

ゲドはアルハに真の名を思い出させ、暗闇の世界から光の下に帰ってくるよう、促しました。
墓所が崩れ去り、持っていたはずのすべての力を剥ぎ取られたテナーは、自由を前にして、大海原を前にして、恐れ慄きました。

わたしはかつて、それこそ10代の頃、テナーと同じ年の頃、「真の自由とは責任が伴う重いものなのだ」と納得して、彼女とともに自由の世界へ足を踏み出した、気でいました。

囚われの姫を男勇者が解放する物語は、たくさんあります。
ゲド戦記は、ファンタジーの中ではかなり暗く、地味で哲学的な作風をしていますが、これもまた同様の型の物語でしょう。
ただここで気になるのは、ゲドはテナーを救出すべく墓所へ向かったのではなく、宝を求めて墓所に侵入し、そこから脱出するためにテナーに助けを求めたということです。

結果として、ゲドは失われた宝である「腕環」を取り戻し、テナーはそれに貢献した貴人として、死者の支配するアチュアンの墓所から、魔法使いの治めるハブナーへと移動したのです。

2025年5月に発売された『火明かり』、ゲド戦記の短編とル=グウィンの講演録を納めた本を読んで以来、わたしはこのテナーの物語をどう考えるのか、ずっと心にひっかかっていました。
ゲド戦記三部作において、テナーはゲドの「戦利品」のひとつとして持ち帰られ、その役目を終えました。
そしてつづく4巻で、力も何もない「おばさん」として再登場するのです。

テナーは死者の支配する闇の中で、自由に振る舞って生きてきました。
ゲドによって導き出された光の世界で、しかしゲドはテナーに寄り添うことはなく、一人放り出されます。
魔法使いが支配する光の中で、テナーは果たして自由に生きられたのでしょうか。

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