いちメタラーが考える「“嫌なら見なきゃいい”はもう通じないのか?」問題
※今回は聖飢魔IIとは関係のないお話です。
X年前のある日、私は某音楽雑誌に載っていたとあるメタルバンドのインタビュー記事を読んでいた。その中でインタビュアーはメンバーに「このCDジャケットのアートワークは物議を醸しそうですがそれについてあなたはどう考えますか?」と、質問していた。物議を醸しそうとは?と、気になってページの隅に小さく載っている彼らの新アルバムのジャケット写真をよく見てみると、直接の性的描写ではないが恍惚の表情を浮かべた女性同士がエロチックに絡み合っているややリアルタッチなイラスト、といったものだった。もっと過激なCDジャケットを見慣れている私には特に何かに問題があるように思えなかったが、それに対しバンドのメンバーは「それは俺たちも思う。この絵を嫌だと思うなら単純に見なきゃいい。」と、至極真っ当、当たり前体操な返しをしていた。
自分が見たくないものは見ない。精神衛生面を保つ上で大事なことのうち最も手軽にできることだと思う。
ところで話は変わって私は時々SNS上で共通の趣味の知人などから“お叱り”を受けてしまうことがある(さすがに相手もリプライというある種公共の面前で説教をするのは気が引けるのか、大体はDMでこっそりと言葉を選んで優しく注意してくれる)。で、最近特に増えてきたと感じるのは私の下ネ夕系発言に対する注意である。たしかに下ネ夕というのは苦手な人もいるし、時と場合によっては誰かを不快にさせたりひどく傷つけてしまうこともあるかもしれない。しかしその一方で、私の下ネ夕を支持する人が一定数いるのもまた事実である。つまり、私が下ネ夕を発信することそれ自体がこの世の許されざる悪というわけではない。
一体どういうことなのか?
昨今はスマホありきのネット社会、特に画面をスクロールすれば延々と情報が更新され続けるSNSを閲覧していると不意に個人的に好ましくない情報が目に入ってきてしまうことくらい当然私にも起こり得る。そんな時、私はどうするか?発信者に向けて「あなたの投稿を見て私は嫌な気分になりました。こんなことは書くべきではないです。消してください。」と、“お気持ち”を伝える…と、いったことは勿論しない。せいぜい「ふーん、こんな考えの人もいるんだな。」といった心持ちで“嫌なら見なきゃいい”、もとい“見なかったことする”ことで心の平静を保つようにしている。
だがしかし、誰もが私のように上手く気持ちを切り替えられるとも限らない。
個人個人にとっての好き/嫌いはよく食べ物に喩えられる。嫌いな物は最初から食べなければいい。本来はそれだけで済む話である。ところがSNS上の情報というのはいわば好きな物を食べようとすれば嫌いな物が勝手に口に飛び込んでくることもある、という状態(物理的にどういう状況だろうね)。
つまり“嫌なら見なきゃいい=嫌いな物は最初から食べない理論”が通用しない場合もある。こうなればもう目なり口なりに強固なプロテクターマスク(つまりはミュートやブロック)を着けて自衛するしかないわけで、そこまでしても、もしくはそれすらもせずにただひたすら個人的に嫌いなものにいちいち情緒を振り回されるような人、ましてやそれを理由に発信者を攻撃するような人はもはやSNSをやめた方がいい。というのが私の考えでした。
