日本はなぜ海を忘れたのか——400年前に消された波多一族が教えてくれること
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日本はなぜ海を忘れたのか。
波多氏を調べていて、ふとそう思うようになりました。
波多氏とは、佐賀県唐津市(旧・肥前国)の岸岳城を本拠にした中世の武士一族です。
上松浦党の領袖として、水軍を持ち、西の海を舞台に交易と防衛の両方を担っていた一族。
元寇では、モンゴル軍が博多湾に到達するより前から、最前線で戦っていました。
でも今、その名を知る人はほとんどいません。
海は、境界線じゃなかった
日本は海に囲まれた国です。
そのことは誰でも知っている。
でも私は長い間、海を「端っこ」だと思っていました。
地図の上では、列島の外側にある空白。
意識の外にある場所。
ところが波多氏の歴史を辿っていくと、その感覚が根本からひっくり返されました。
元来、日本において、海は端っこではありませんでした。
海は交易路であり、同時に防衛線でもありました。
人が行き来し、物が運ばれ、文化が伝わる。
外敵を水際で食い止め、列島の安全を保つ。
海はその両方を担っていたのです。
だから海を守ることは、国を守ることと同義でした。
波多氏が水軍を持っていたのは、単なる軍事の話ではありません。
交易路を維持し、防衛線を張り、西の玄関口を支え続けた。
それが彼らの役割でした。
400年の沈黙
波多氏は1594年、豊臣秀吉によって改易されます。
所領を失い、名を失い、歴史の表舞台から姿を消しました。
それから400年以上が経ちます。
なぜ歴史から消えたのか。
なぜ教科書に載らないのか。
私が出した一つの答えは、「海ごと忘れられたから」です。
豊臣・江戸時代以降、日本の権力の中心は陸へと移りました。
城下町、街道、参勤交代。歴史の語り口も、陸の視点で作られていきました。
海で生きた人々の物語は、その中に収まり切れなかった。
波多氏が消えたのは、改易だけが理由ではないかもしれません。
海洋国家としての日本が忘れられていく流れの中で、彼らの存在ごと薄れていったのではないか。
そんな気がしています。
今も海は、日本だ
今、日本の周辺では領海問題が続いています。
離島の過疎化も進んでいます。
海は今も、日本の暮らしと安全に直結しています。
それなのに、私たちの意識の中で海はどんどん遠くなっている。
波多氏を調べていたはずでした。
でも気づいたら、日本の在り方までも考えるようになりました。
海も日本です。
それを400年以上前から体で知っていた人たちがいました。
彼らの名前は、波多氏といいます。
