『短歌往来』2025年7月号
①屋良健一郎「歌誌『鶯』と戦時下の短歌」
〈「鶯」は佐佐木治綱、栗原潔子ら「心の花」の若手が1940年2月に創刊した歌誌である。1944年3月に紙不足で「心の花」と合併するまで50号発行された。〉
全然知らないことばかりで興味深く読んだ。竹山広の発言が心に響いた。
②君からのいいねのスクショも消せない 春から初夏は案外遠い 橘春 君から「いいね」をスクショに撮っておいた。いいねの軽さと対照的な行為だ。二人の関係性が変わってもそれが消せない。春から初夏はすぐのようだが、時間の流れが遅く感じられているのだろう。
③水を差す差してはならぬ復興に警報級の大雨は降る 三原由起子 復興という言葉に乗れない主体。つい水を差したくなる、がそれは差せない雰囲気があるのだろう。天から降る雨だけは何の軋轢も感じず文字通り水を差して来る。しかしそれも困ったことなのだ。
④持田耕一郎「桜とやまとごころ」
〈宣長は小林秀雄が『本居宣長』で詳しく論じているように、日本文化の源流を徹底的に探り、江戸時代にはすでに読めなくなっていた『古事記』を解読し、そこに現れた「やまとごころ」こそ最も優れたもので、中国伝来の思想に基づく「からごころ」を否定した。その「やまとごころ」を表現した文学として『源氏物語』の「もののあはれ」を説いた。〉
〈川口久雄の『源氏物語への道』を読んで驚いた。川口は紫式部がいかに漢文学の影響を深くうけていたかを詳細に論じているのである。〉
源氏が書かれた時代と宣長の時代で価値観が違うように思う。二つの文化に違いはあっても優位性は無いのではないだろうか。どうしてもそう結論づけなければならない時代だったとか?一度、本居宣長について、まとまったものを読んでみたい。
2025.7.27.~29. Twitterより編集再掲
