貝澤駿一『ダニー・ボーイ』(本阿弥書店)
第一歌集。2016年から2024年までの作品を収める。地球規模の視野を持ち、言語や文学を通して他国の状況を見つめる視線に惹かれた。冒頭近い連作「コーリャ」は大学時代のロシア語学習がテーマだが、それが後半の「ルカシェンコの子供たち」と深く繋がって来る。見る目を持ち続けた者だけに見える現実だ。学校教師としての歌にも問題意識を感じた。ところどころに入るスポーツの歌も一冊のテーマを豊かにしている。
僕はコーリャ 地図から消えたその村をずっと探している男の子(P22)
大学でのロシア語授業の一コマ。その言語の名前で呼び合う、という語学学習にはよくある学習法で、主体の名前は「コーリャ」になった。そのコーリャになって詠われた歌。もし下敷きになる小説なり映画があるとしたら寡聞にして私は知らないのだが、コーリャの設定が紛争の後の子供を想像させる。その場面は痛ましいが、言葉遣いが滑らかで短編小説の最初の一行のようだ。
ウクライナ風ロシア語はウクライナ語とは呼べない 民族の屋根(P26)
ロシア語教授はウクライナ生まれであったという。ウクライナ、ベラルーシは共に過去にソヴィエト連邦という一つの国(もしくは単位)であった。言語にどのぐらい差異があるのか、それぞれの言語でどのぐらい意思疎通できるのか私には分からない。けれどいかにウクライナ風に発音されたり書かれてもロシア語はロシア語、ウクライナ語とは違う、という民族の矜持があるのだ。
木漏れ日は翻訳できぬ言葉だと夏のゆうべに教えられたり(P38)
夏の夕べ、ちょうど木漏れ日が心地良くなってくる時間帯。その木漏れ日が翻訳できない言葉だと教えられた時のちょっとした驚き。全世界どこでも木漏れ日はあるはずだが。どの言語だろうか。たしか英語にも無かったはずだ。そういう観念が無いから、言葉が無いのだ。
銃声 いや たぶんどこかで新人のバルーンアーティストが破る夢(P43)
大きな音がした。銃声か、と思うが、日本ではあまりその可能性はない。打ち消しながら、どこかのバルーンアーティストが失敗して風船を破裂させてしまったのだろう、と考える。最後の「夢」で、主体が眠っていて、音で目覚めたことが分かる。「破る」のは夢と風船の両方だ。銃声か、と思えば確実に銃声である国も世界には多いのだ。
隊列を崩すな 泳ぐためでない身体を持って生まれたのなら(P74)
連作「遠泳の子」より。中学校の三年の恒例行事であったという。今では学校で遠泳を行っているところも少なくなっただろう。事故の危惧があるからだ。この歌でも指導している側の緊張感が伝わって来る。「泳ぐためでない身体」という表現は意表を突かれ思いがするが、考えてみれば当然のことだ。それならどうして人間は泳ぐのだろうというところにまで思考は及ぶ。
耕せば無限にひろいその野原に虹は勝手にできるものだよ(P89)
通信制高校に勤める主体。時には生徒と面談があるのだろう。通信制には何ごとかに悩む生徒も多い。先のことは考えずに、目の前にある広い野原を耕してごらん、というアドバイスを生徒にしている。cultivateする(耕す)ことからculture(文化)は生まれる。虹が勝手にできる、という明るい下句が生徒にも読者にも希望を与えてくれる。
教えられた通りにその国を知るな 銃 病原菌 スケートボード(P96)
一つの国という非常に大きな多面体を簡単に説明し、簡単に分かったつもりになる場合は多い。銃はアメリカだろうか。病原菌は(コロナ期の歌だから)中国かも知れない。スケートボードはオリンピックで若手が活躍したことから日本かもしれない。それら象徴的な語だけでは一つの国は分からない。自分で調べて自分の判断で知るしかないのだ。
〈スヴェト〉は光だ光を捕えろとスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 光へ(P116)
『戦争は女の顔をしていない』の著者アレクシェーヴィチ。ウクライナ人の母とベラルーシ人の父を持つ。彼女が生まれた頃この二つの国ははソ連という一つの国で、一致団結して対独戦線を戦ったことが『戦争は~』で語られている。その名前が「光」に由来することから作られた一首。スヴェトラーナが、光を、希望を捕えよと示唆していると取った。
その民に〈ベラルーシ語〉はなかったといつか記すか透明な地図(P117)
この歌と前の歌の入った一連『ルカシェンコの子供たち』ではベラルーシがロシアに凌駕されていく様子を言語に重ねて詠っている。言語という、民のアイデンティティの最も強い拠り所を侵されていく恐ろしさ。親ロシアと反ロシア勢力の屹立する国の状況が一首一首の歌で浮き彫りにされた一連だ。
傘をひらけば雨に打たれず済むことを雨なきガザのはるかに濡れる(P161)
日本では雨が降って来ても傘を開けば濡れない。しかし雨のほとんど降らないガザ地域は日本よりはるかに濡れている。何に濡れているのか。人々の血や涙ではないだろうか。世界状況を考える時に、自己と対峙して考える視線が感じられる。
本阿弥書店 2025.3. 定価:2420円(本体2200円)
