優しい嘘
優しい嘘
Episode1
突然、静寂が壊された。
それは4月に入ったばかりの昼下がりのこと、心地よく揺れる電車内に暖かな日差しが優しく差し込み、ぽかぽかと温まった車内にまばらに座る乗客たちは、スマホに目を落とす人、目を閉じている人、車窓の景色を眺める人、それぞれが長閑なゆったりした時間を満喫していた。
しかし駅に到着しドアが開いた途端、まるで嵐のように女子高生たちが乗り込んで来たのだ。
始業式だったのだろうか?
周りのことなど全く気にする事なく話す話題は新任の若い教師の品定めらしく
「いいなぁ今年の新入生。A組担任の瀬戸(せと)、めちゃカッコいいと思わない?23歳だって!」
「えー、私は体育のなんてったっけ?」
「柿谷(かきたに)」
「あぁそうそう、あの先生の方が好きだな。細マッチョな上に、渋いイケメン。今年の新任は顔重視だったりして」
「かもね?二人とも違うジャンルのイケメンだし、でも瀬戸はあの金縁のメガネが嫌。何でコンタクトにしないんだろう?金縁メガネってキザっていうか?ちょっとエロいというか?メガネの下のあの目が誘ってる感じしない?」
「それ意識してやってんだよ。自分がイケメンって認識した上での金縁じゃない?」
「言えてる。あざといねー」
側に座る男性が、こっそりメガネを外して胸ポケットに入れるのが目に入った女子高生たちは、お互い目配せし始め、誰とはなくヒソヒソと耳打ちし合い、クスクス笑った。
彼はとても気まずそうに、目を閉じて下を向き寝たふりをしている。
やがて大きな駅に着き、ドアが開くと雪崩のように女子高生たちは降りていった。
「じゃあね」
「バイバイ」
「また明日」
台風一過、その男性がホッとしたように顔を上げ、あたりを見回したその瞬間、一人の女子高生と目があってしまい、一瞬フリーズしてまた下を向いてしまった。
するとその女子高生は、スッと男性の横に移動し、シートに浅く座ると、膝を男性の方に向け、
「あの・・・嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
と声をかけた。
驚いた様にピクッと反応し、顔を上げた男性は黙ったまま、目の焦点を合わせようと目を細めて彼女を見つめている。
「メガネ、かけてください。私たちのせいでメガネ外してしまわれたんですよね」
「あ、いや・・・」
言葉を濁しながら、胸ポケットに仕舞ったメガネをかけた。
「本当に申し訳ありませんでした。悪気はなかったんです。たまたま話題が・・・まさか側に金縁・・・イエ、話題のメガネをかけた方がいらっしゃるとは思わなくて」
「そんなに謝らなくて大丈夫だよ、気にしてないから。イヤ、ちょっと気まずくはあったけどね」
そう言いながら右手の人差し指の第二関節で、少し鼻を触って微笑んだ。
「本当ですか?話の途中で気がついて、それでみんなで笑っちゃって。ダブルでイヤな思いをさせてしまいました」
「いいんだよ、たまたまなのはわかっていたよ。僕も堂々としていれば良かったのに、小心者だから・・・気を使わせてしまったね」
「いえ。直接お詫びができて良かったです。本当にごめんなさい」
立ち上がってもう一度深々とお辞儀をすると、もう次の駅に着いて閉まりそうな電車を飛び降りた。
たった数分間の出会いだったが、その少女は光留(ひかる)の心に強烈に焼き付いた。
まだ幼い雰囲気を纏ったその少女から出た言葉は、その姿からはとても予測のつかない、大人びて落ち着いた謝罪だった。
“僕に謝るためにわざわざ電車に一人残ったのか?”
あまりの驚きにロクな会話もできなかったと思い返し、ようやく名前も聞けなかったことを後悔した。
またいつか会えるだろうか?彼女が声をかけてくれたことで、随分心が救われた。
彼女の言葉がなければ今日一日嫌な思いをしたことだろう。
そう思うと、その思いを伝えなかった自分が情けなく思えたのだった。
そんな思いも忘れかけた夏のある日、
寒いぐらいにクーラーで冷やされた電車で、ふと目を上げると向かいの座席に座る顔色の悪い少女に目がいった。
唇に赤みがなく、肩で荒い息をしながら小刻みに震えている様にも見える。
“体調悪いのか?”
気になって様子を見ていると、ふと先日の彼女と同じ制服を着ているのに気づいて、よく顔を見ると似ている。
“同じ子なのだろうか?声をかけてみるか?イヤ、違ったら変な奴だと思われるかもしれない”
それでもあまりにも具合が悪そうなその少女を放っておけず、席を立って彼女の前に屈み込んで
「大丈夫?具合悪いんだよね。君、この間声かけてくれた子だよね」
その少女は閉じていた目を徐に開けると、無理やりな笑顔を作って
「はい」
力なくそう言ったので
「顔色悪いけど。学校・・・早退してきたの?」
頷いた彼女は力なく、途切れ途切れに小さな声で、
「さっきまではちょっとだるいだけだったんですけど、熱が上がって来たみたいで、寒くて・・・」
近くにいるだけでも熱を感じられるほど高熱の様だった。
「ご家族は?迎えにきてくれるの?」
首を横に振る彼女に
「そうか。もし、君が嫌じゃなかったら、僕に送らせて。医者に寄ってから家に送るよ」
「そんな、ご迷惑・・・」
「迷惑なんかじゃないよ。こんな時なんだから僕を頼ってくれないか?もう一度出会えたのも何かの縁。僕は君の言葉に助けられた、今度は僕が君を助けたいんだ」
彼女はうっすら笑ってコックリと頷いた。
彼女に聞いた駅で電車を降り、フラついてうまく歩けない彼女に肩を貸すと、制服の上からでも高熱であることを容易に感じ取れるほどだった。
ホームのベンチに座らせて、かかりつけの医者の診察カードを頼りに電話をかけると、午前診は済んでいるが見てくれると言うので、エレベーターを使い、ゆっくりと改札を出てタクシーで医者まで連れていった。
時間が経つにつれどんどん彼女の体から力が奪われ、呼吸が荒くなって行くのを目の当たりにし、光留は命に関わる病気ではないか?このまま意識がなくなったら・・・と不安を覚えた。
かかりつけ医に着くと、まだ時間内に診察を終わらなかった数人が待合室に残っていたが、フラフラの彼女を見て看護士はすぐに診察室に案内してくれたので、光留はホッとして一旦待合室のソファに腰をかけた。
えんじ色のビニールのソファが鍵の字に設置されており、ざっと10人ほど座れるのだろうか?
まだ診察待ちをしているお年寄りが、膝に雑誌を乗せたまま、老眼鏡の上から光留をじっと睨んでいるように見えて居心地が悪かった。
光留は立ち上がって、受付で
「すみません、桜井ですが、まだちょっと時間かかりますよね」
と声をかけると
「桜井さんね、これから点滴するので一時間ぐらいかな?」
「あの、ちょっと買い出し行ってきます。もし僕が出ている間に終わったら待たせておいてもらえますか?」
「わかりました」
光留は待合室から逃げ出すように外に出ると、近くのコンビニに向かい、思いつく限りのものをカゴに入れ、会計を済ますと、イートインスペースでコーヒーを飲んで時間を潰すことにした。
順番を抜かして診察してもらったことを快く思っていない人たちが戻った時にいないことを祈りながら・・・
45分ほど経ったところで病院に戻って、恐る恐るドアを入ると、待合室はがらんとして誰も座っていない。
ホッとしてソファに腰をかけ、横の本棚から適当に雑誌を取り、ペラペラとめくっていると、診察室のドアがガラッと開いて、彼女が少し照れくさそうに髪を手櫛で整えながら待合室に出てきた。
一人でしっかり歩けているし、顔色も良くなっている。
光留に気がつくと、
「待ってくださっていたんですか?ごめんなさい、ご迷惑をおかけして」
「家まで送るって約束しただろう」
彼女は少し微笑んで
「ありがとうございます」
と頭を下げて、少しふらついた。
「ダメだよ、まだ点滴で落ち着いているだけなんだから、ほら座りな」
彼女はゆっくり待合室のソファに座ると
「私、まだ名前も・・・」
「桜井美都(さくらい みと)ちゃんだろ。さっき診察券で見たよ。僕は泉光留(いずみ ひかる)よろしくな。
あ、これ・・・さっき迎えが来ないって言ってたから、点滴待ってる間にちょっと買い出ししてきた。飲み物とかレトルトのお粥とか、ゼリーとかプリンとか適当に買っておいたから」
そう言ってコンビニの袋を美都の方に差し出すと、
「ありがとうございます。助かります。」
美都はそう言いながら財布を出して支払おうとしたが
「いいよ、これは僕からのお見舞い。お礼は美都ちゃんが1日も早く元気になってくれることだよ」
美都はクスッと笑って
「はい」
と答えた。
診察代を支払おうとする光留に美都は
「そんな・・・私が」
と遠慮したが、
“高校生の財布にそんなに入っていないだろう?”と光留は強引に支払いを済ませて病院を出た。
タクシーをマンションの前で降り、美都がエレベーターに乗り込むのを見届けて帰ることにしたのだ。
本当はドアの前まで送りたかったが、誰もいない家の前まで男が送るのは、近所の手前もご両親の手前もあり、控えるべきと判断した。
「何かあったら連絡して」
とLINEを交換したものの、一人で大丈夫だろうか?と心配した光留はその日のバイトを体調不良と嘘をついて自宅で待機することにした。
妙に疲れて眠ってしまい、LINEの着信音で目が覚め、慌てて確認すると美都から
“今日はありがとうございました。ずいぶん楽になり、今買っていただいた卵がゆを食べてお薬を飲みました。今から寝ます”と卵がゆを食べた後の空になった食器の写真が貼り付けられていたのを見て、光留はフッと笑い“いくら大人びた話し方をしていても、こういう所は子供だな”そう呟いた。
数日後の朝、美都から
「今日から登校します。いろいろありがとうございました。お礼をしたいのですが、いつかお時間いただけますか?」
と電話がかかってきた。
「そんな、お礼なんて気にしなくていいよ。でも、元気になった美都ちゃんには会いたいな」
ところがいざスケジュールを合わせてみると、美都は部活で忙しく、光留も大学とバイトで忙しく、なかなか予定が合わない。
二人とも黙り込んでしまったその時、光留が
「今、日曜日の午前中は手話スクールって言ってたよね」
「はい」
「それ、僕も参加できないかな?」
「え?」
「僕さ、いずれ父親の仕事の後を継ぐんだ。その時、手話が話せるといいなって思ってたんだ」
「本当ですか?」
「急にでも大丈夫かな?」
「ボランティアの方の運営しているサークルなので大丈夫だと思います、先生に連絡しておきます」
「有難う」
そして二人は次の日曜日の朝、新宿駅で待ち合わせて手話スクールに行く事になり、美都は待ち合わせたハチ公前で、前日の夜に母親と手作りしたカップケーキをお礼だといって光留に手渡すと、光留はまるで子供のように喜び、美都を笑顔にしたのだった。
その後、手話スクールに参加した光留は、その場で入会手続きを済ませ、日曜日の朝のこの時間を美都と共に過ごすことを選んだ。
午後からはフルートの個人レッスンだという美都と昼食を一緒に取り、個人レッスンに行く駅まで送るのが毎週の日課になり、二人はどんどん距離を縮めて行った。
