ブラック有限会社の社長がホワイトで、ホワイト株式会社の上司がブラックだったハナシ
「家庭よりも仕事を優先にしてな?」と言う社長の、とんだブラック有限会社でたった1人しかいない部署の「会社の要の事務」という職に就いていたことがある。この有限会社の事務には半ば騙されて就いたカンジだった。
「撮影補助」という求人に応募して複数人での面接を受けると(なんか私だけ根掘り葉掘り質問されとるな…)とは思っていたが、どうやら「人材」としてのスキルや根性を深掘りされていたらしい。
長年、要の事務として勤め上げていた人物が、妊娠・出産を機に辞めるので、その代わりのポジションとして私は据えられ、辞める人物から直々に仕事内容の引継ぎを受けたのだが、どう考えても「会社の事を何ひとつわかっていない人間」がやれる内容ではない。
「あのぅ…ココで合ってますかね?私の仕事内容…たしか撮影補助という求人で応募して…撮影補助は1回しかやってないんですけども」
「あぁ、アレは最初から撮影補助で釣って来た人の中からココのポジションを決めるつもりやってんで?」
「えぇ?!…あのぅココ…会社の内情を知らない新人が就いていいような部署じゃないと思うんですが…」
「ん~そうやね。難しいとは思うけど頑張ってみて。社長が選んだのがアナタやねんから、私は引き継ぐことしか出来ひんわ…」
「そうですか…」
あまりに私が、コレは新人がする仕事でしょうかと疑問を呈するので、社長は私と膝を突き合わせて、しっかりとこう言った。
「10年以上携わってる人と同じようにやれるとは思ってないから。少しずつ仕事を覚えていったらええねん。大丈夫や大丈夫」
「社長…何を根拠に…」
豪快に笑い飛ばして女社長は、買い付けに行く。
事務所に、社長はほとんどいないのである。
新人の私には社長に判断を仰がねばならぬ機会が度々あるというのに、電話をしても繋がらないことが多いし、海外に買い付けに行っていて「〇時〇分に飛行機だからね」という連絡が来ると、その前の10分間くらいの電話の時に本日の仕事の判断の全てを聞いておかないと、私の仕事はあれよあれよと溜まりに溜まってゆく。時間が足らない…今日の仕事を今日終わらすための時間が…同い年の先輩に「どう考えても私この仕事は無理だと思うんですが…」と何度も言っては、突き放される日々である。
「気持ちはわかるけど、頑張ってとしか言われへんわ。私が手伝えることは手伝ったるからまァ頑張り?」
「今ならまだ、まーちゃんと私の仕事、替われません?」
「イヤや」
「まーちゃんのほうが会社のことも社長のこともわかってるでしょ?!お願いしますよ~社長に話してくださいよ~」
「確かに最近の社長、千徒さんのこと避けてるよな?ゆぅてたでそう言えば、千徒さんが社長のこと追いかけていろいろ聞くから、むっちゃ付いて来るなァあのコて」
「事務所に来たって社長すぐ出て行きますやん!私が判断できるようなコトまだ何も無いのにすぐ社長『アンタに任すわ~』とかゆぅて。無理でしょ!どう考えも!」
「こないだも2階で、事務所おったらあのコがしつこいからもう行くわ~ゆぅてたで」
「おかしいでしょっ?!社長との打ち合わせ15分とかですよ?!電話してもしてもしても出てくんないし!5回目でやっと出たおもたら、社長笑ってますからね?ワザと出てないでしょアレ!」
「まァ…それが社長やからな~ふふふふふ」
「笑いごとちゃいますねん…出来ないっつってんのに…」
「千徒さんやれてると思うけどな~」
「どこが…毎日コレで正解か悩んでますよ私…3か月後に辞表書いてますわおそらく」
「またまたぁ~」
「あの社長…ちょっとお時間よろしいですか」
2階と1階を行き来する社長を追いかけ回している途中の階段で、二人きりの時に私は、そう切り出した。
「なんやの、怖いな。改まって」
「面接時に言う必要はないと思ったので言わなかったのですが、じつはウチの二男が発達障害でして、行政の手続き上いろいろな支援を受けるのに春が勝負になってきます。親が春にどれだけ行動するかでその後の1年が決まります。なので、これからの4週間に必要な時は休みをください。穴埋めは必ず仕事でしますし、迷惑にならないように前もって動いてから休みます」
「そうか。そんな事情があったとは知らんかったわ。あんな、私が仕事を優先してな、て言ってるのはな、家庭を理由に仕事が出来ないは言いワケやでていう意味やねん。仕事が出来ませんでした、の理由は家庭にはない。事実、私も専業主婦やってんから。ココの仕事は両立出来ないていうことはないのよ、事実、出来てるやろ?」
「はい、出来てます」
「だから、アンタの考え方でええねん。休みたいなら、やり方を、その方法を仕事優先で考えて欲しい、ていう意味やから私がゆーてんのは。子供のことで休みが取りたいなら休みはあげるから。仕事に支障がないなら、それは取ってええねん。ほんで、アンタに発達障害の子供がおるのを理由にクビにすることはないし、採用を決めたのもアンタ自身をみて決めてんねん。ソコは信用してな?」
「はい、ありがとうございます」
「なんや~アンタ明るくてヘラヘラしてるからな~んの苦労もしてへんのかとおもたら意外と苦労しとんねな~」
社長はケタケタ笑いながら1階の事務所に入って行った。
それから2年ほどの月日が経った頃、昼休憩の時間帯にたまたま社長が事務所に居た時のことである。
「うわっっっっ!!!イヤなヤツから着信が!!!」
私は取り出した携帯に兄からの着信があることに、驚きを隠せなかった。
「千徒さんおもろいわ~誰よ?イヤなヤツて」
「兄です」
「お兄ちゃんイヤなん?」
「コイツから連絡あるてコトは、私に何か尻拭いをさせたい時なんですよ…イヤや…今度は何やらかしてんやろ…ロクなことになってない…私に連絡来るのって最終手段やからとんでもなくヒドいことになってるんですよ…無視しよかな…」
「大丈夫なん?」
「ダメやから私に電話してるんでしょうね」
「どうすんの?千徒さん?」
「ん~~~・・・帰ってから電話してみますわ…ペッて話して終わることじゃないですもん、きっと」
事務所の先輩たちとそんな会話をしていたら、社長が私にこう促した。
「急用かもしらんで?折り返してみ?内容だけでも今、聞いてみ?それで、どうするかは帰ってからじっくり考えたらええやん」
「はぁ・・・イヤやな・・・するか~~~折り返すか~~~イヤやーーー」
イヤイヤで覚悟を決める私を、社長は豪快に笑い飛ばしていた。
「えぇ?!あ、うん…うん…わかった…ひとまず考えさして…」
私と兄との電話を聞いていた事務所全員の動きが固まった。
私が震えながら電話を切ったから。
「千徒さん…?大丈夫?何があったん?」
「あの…兄が言うには…弟の子供が死んで…お前、帰って来れるか?て…」
「えーーーーー?!どうゆうこと?!なんで亡くなったん?!」
「それが…何もわかんなくて…兄が弟にウマ呼ぶか?て聞いたら、呼んで欲しいて言ってるらしくて…」
そこからの社長は、私の行動の全てを指示した。
「アンタ、ひとまず弟に電話し」
そして社長は自分のデスクでPCに向かう。
「アンタ故郷どこなん?」
「宮崎です…」
弟にコールしながら答える私。
「ダメだ…弟…電話に出ない…です」
「電話に出れる状況じゃないか、心境じゃないか、どっちかやろうな」
「え…どうしたらいいんだろう…私」
「一番早い飛行機が14時台に空きがあるわ、今帰ったら、乗れるか?」
「え…どうだろう…ダメだ…私、考えられない、頭まっしろ…」
「ええか?何からしたらええかを、考え。飛行機に乗る、その前は?帰る前に、何するか」
「ええっと…ダンナに連絡」
「やり」
「はい」
「まーちゃん、事務所の通帳から15万降ろして来て。ジュンさん、上行ってちょっとしばらくこの子休むから絶対的に必要な仕事の内容、何がどのくらいあるか確認して」
震えながら床に座り込んでダンナに電話をしてからようやく私が立ち上がると、私の肩を社長はポンポンと叩いてこう言った。
「大丈夫か?まずは帰る準備し。何の心配もいらんから、仕事のことは皆がカバーしてくれる、コレはアンタがしてきた仕事の結果やで。宮崎に帰ってから、落ち着いたら連絡だけちょうだいな?落ち着いてからでええで、急がんでも」
貧乏な私が旅費の心配なく帰るために会社のお金15万円を「無理のない額で給料天引きにしたらええからな」と私に貸す、そこまでの判断を社長は5分以内にやっていた。
うろたえて頭が真っ白になっている私が、腹を据えるまで待ち、私が自分の行動を決めると、笑って私を事務所から送り出した。
宮崎に帰ると弟は憔悴し切っており、それでも父親として一家の長としてふるまいながらも、どこか消え入りそうなほど弱々しくもあった。
精神的に弱い弟のことをよく知る姉だからこそ、このコをどうしてやったらいいだろうと、一睡も出来ずに2日くらいが経った頃である。
私の精神状態もおそらく限界を迎えたのであろう、気が付けばダンナに電話をしながら洗面所でワンワンと泣いていた。
「お?どした?」とまずは父親が私を抱きしめに来た。
「よしよしよし、電話を貸せ?誰と話しちょるとか?」
「ダンナよ…むー」
父親は私の背中をトントンと叩きながら夫に、こう言った。
「2日くらい寝てねぇからもう精神も限界なんじゃろう、お前と話したら安心したっちゃろねぇ。コイツをどうしたらいいと思う?お前が一番、最近のウマをそばで見てきてるじゃろ?どうしたら一番いいと思うや?」
夫は、義父に言ったそうな。
「本人の好きにさせてください。ウマは自分の思うように生きとるから、誰にもどうにも出来ません」
実父は、それを聞いて私に言った。
「この家から一時的に離れてみ?お兄ちゃんの家に行って、ぐっすり眠ってから戻って来い。それからお前はな、直感で動け。考えて動いてもお前はうまくいかん、直感で動いたほうがお前はお前らしいわ」
「あ…うん…」
そして兄に電話した父は「ウマを眠らしたほうがいいからお前の家で寝させろ」と告げ、私は兄の客間で「とにかく眠れ」と強制的に睡眠を取らされるのだが、全くもって眠れない。眠れるわけがないのだ、精神状態が異常なんだから。
客間から窓の外を見ると、宗教洗脳された母の姿があった。
父親と高校生の弟を捨てて、宗教を選んだ母の姿が。
肉親のうち唯一、娘の私だけがスパッと縁を切った、母が。
「お母さん」
久々に、この人のことをそう呼んだ気がする。
私は母を嫌い、拒絶もするが、この人が母親だという事実は変えられない。
「ティシュちょーだい」
宗教洗脳されてからまともに会話が成立しない母だが、娘に箱ティシュを投げて渡すくらいの母性はあるんだな、まだ。
母親が投げてきたティシュで鼻をかみながら私は、声を上げて泣いた。
そして掃き出しの窓に腰かけて、娘が泣いているのを見守る母に、この思いが届くかもわからない母に、私は泣きながらため息交じりにこう言った。
「はぁ…苦しい。苦しいよ。本当に苦しい…」
主語もなければ目的語も無い、苦しいがかかる言葉も無い。
ただ、この瞬間の全てが苦しいのよ、私にはね。
その苦しみに耐えてる娘を、どうすることも出来ない時にアナタが母親としてどう感じるか、私はそれが知りたいと思っただけだからね、助けて欲しいとかではなくて。
母親は「苦しいね…」とだけつぶやいて、涙した。
それが演技とわかっていても、涙する心根の奥の感情だけはホンモノであれと願いながら、この母親に本当の意味で見切りをつけた。
アナタが本物の母親であったら、高校生の時に捨てた息子が一番傷付いている今、兄の家ではなく、離婚した夫と末息子が住む家になりふり構わず行って息子を抱きしめてるはずだろう。
母親を罵る娘の機嫌を取って私が弟との仲を取り持つことを画策したりするのではなく、真っ先にやることは私に罵られるのを覚悟で弟を抱きしめることだろうよ。
それすらやれない母親になっていることを、なぜこのタイミングで知らねばならんのだ。神様よ、いるんならちょっと私に厳しくねぇか?もう私は十分、苦しいが?まだ苦しむ必要があるかね?この期に及んで?
涙が枯れた私は兄の家から出て、実家に戻った。
そして直感で正しい行動をするために、まずは社長に電話をした、泣きながら。社長は笑い飛ばして電話に出て、ちゃんと食べれてるか?と確認した。
「これから、ちゃんと食べます。弟の子供の葬儀を出来るだけ長く一緒にいれる時間があるように、最大で1週間延ばせるみたいなんで、その時間は持たせてあげたいと思って。警察の検視からまだ帰って来てないんですが、だいたい2週間くらい、お休みいただけますか」
「うん、それは大丈夫やで。おったり。アンタは大丈夫なんか?」
「はい。今はただただ苦しいばっかりです。何も楽しいことはないですけど、私がすべき行動は決まりました。それをやるのみです」
「うん、アンタならやれるわ。大変やったな」
「社長、ひとことで表すのは難しくて不可能なんですけど、いろいろとありがとうございます」
「ん、わかってるで。ちゃんと寝て、ちゃんと食べや?」
豪快に笑って電話を切る社長を、こんなに頼もしい人はいないな、と思った。とんだブラック会社に就職したな、と常々思っていたし、新人に仕事を教える最初には「ウチいろんな意味でとんだブラックなんだけど~」との前口上で始めていたが、これまで勤務してきたどの会社よりも社長の人間性はホワイトだった。
このブラック有限会社で働いている時に難病に罹患し、入院治療をするために退職し、それから年月が経ち、私は自分の職歴上ダントツ1位のホワイト株式会社に就職した。
盆踊りを隠さないひとり働き方改革を推進していたので、直属の上司は、夏に盆踊りを優先にする私のために、私が残業しなくても良いよう計らってくれる超超超超超ホワイト株式会社。
「私がアナタがいい、と言いました」と私を採用する理由として上司は「アナタが病気だったから」と言った。
「病気だからこそ、頑張る気持ちは人よりあると思うねん、そういう人がいいのよ。無理をせずに長く勤めてほしいから。だから絶対に無理はしんといてな?しんどい時は必ず休んでくれていいで、長く勤めてほしいねん」
そう言って上司は、私の体調不良には二つ返事で欠勤を許してくれた。
そして私が効率の良い仕事をするとこうたしなめた。
「千徒さんね、仕事が早いねん。もっとゆっくりやって」
「ゆっくりやってるつもりなんですが…むちゃくちゃ確認した上でやってますが、何かミスがありましたか?」
「ないのよ。ミスはないねんけどな?この会社は仕事に速さは求めてないねん。正確さ。正確にするために、ゆっくり仕事をするクセをつけてほしい」
「…はい」
前の仕事のクレーム処理では、スピーディにミスなく仕事することを求められることが多かったので、感覚が麻痺していた私は、正確さのためにゆっくり仕事をしろと言われ(ホワイト企業の考え方ヤベぇな…)とオロオロしたものである。
それから2年ほどの月日が経った頃、3才年下の従弟が出張先で急逝した。
宮崎のウチのド田舎は、本家分家制度が色濃く残るムラ社会で、親戚一族の絆が深い。いとこという組織は会社も同然であり、親きょうだいよりも濃い関係である。
私はいつもの通り上司に欠勤の連絡を入れた。
それまでも欠勤の連絡は直属の上司にしており、会社に何か連絡を入れるということはしていなかったため、窓口は直属の上司であったのだ。
従弟の急逝により故郷宮崎に帰ることを告げ、まだ何も状況がわからないまま帰郷したことに、直属の上司の反応は冷ややかなものだった。フライト中は電源を切っていたので「連絡が無いのは困ります」という上司の返事に、状況把握が出来ていない中で動揺を隠して精一杯返信してみたものの、私の非を責める文面には、気力の全てを殺がれた。
即座に連絡を入れられなかった私の落ち度はあるにせよ、弟のような存在を亡くしている直後に受ける、言葉の棘は、非常に痛かった。
「いとこでしょ?いとこの忌引きは普通1日なのよ?繁忙期にこんなに長く休まれたら、アナタを雇った意味がない」
そう言われて空港で買った手土産を突き返され、
「会社に連絡するのが普通でしょ?アナタの上司はAさんなんだから、Aさんと会社にも連絡しなきゃダメでしょ普通は」
と、ズタズタに心が裂けて命からがら帰宅したところへ、夫がトドメのひと刺しをキめた。
「会社のヤツらもオマエがおかしい、ゆぅてたで?いとこなんかの葬式に出るか?フツー、て」
普通て何だよ、フツーて。
オマエらの言うフツーが、傷ついた人間をひとり谷底に沈めてるけどな今。
「誰の葬式にでも出るのがフツーやねん、私は。誰もかれもが自分の基準で生きとるから外野は黙っとれ。私は誰が死んでも宮崎に帰る、私が帰ることで癒すことが出来る瞬間があるなら、私は帰るね。それを変えるつもりはない。人間ひとりの死がそんなに軽いんか?身近な人の死を悲しむのにフツーも何もねぇわ。私は今の職場を辞める、むーの会社のヤツらの意見も何ひとついらん、誰かの死に寄り添えない人間にはうんざりや、そういう人のそばにはいたくないから辞めると今、決めた。仕事を辞めてタカシの手伝いに宮崎に帰って、戻って来ても二度と関西人とは働かねぇ」
私は故郷で結婚式があるからと呼ばれても、何かのお祝い事で呼ばれても、帰郷することは無い。関西に行った私が帰郷するのは、いつでも誰かが死んだ時である。だからたまに誰も死んでいないのに私が帰郷していると「誰が死んだ?!」とビックリされることになる。
私の役割は、ソコにあると思っている。
普段は呼んでも呼んでも帰って来やしねぇ私が、わざわざ帰って来るという事実が、身内の死で心を痛めているひとの癒しになるから。
幸せな時には人はほっといても幸せなんだからほっといていいのよ。
ほっといちゃいけないのがいつなのかは、考えなくてもわかるだろ。
私は効果的に、金とハグを使う日本人である。
心を痛めてる身内を抱きしめるために、帰郷してる。
私が辞めることを直属の上司に告げ、辞める際に仕事には支障が出ないよう後任も私が探すし、責任を持って仕事も全部教えてから辞めるつもりだと伝えると、直属の上司は、酷い態度を取り酷い言葉を言ってしまったことを謝りたいと言った。
私は確かに上司の言葉と態度に傷付きはしたが、謝ってほしいとは思っていない。業務上、上司の意見はごもっともであるから。業務上、この上司の意見が正しいということはこのホワイト株式会社を去るべきなのは私のほうである。だって私は、身内が死ねば必ず帰郷するのだから。そこに寄り添えない社員で構成されている会社に、私が必要だとは思えない。私の代りはいくらでもいるのだから。
「私はアナタに戻って来てほしいと思っています。どのくらい、時間が必要ですか?どのくらい弟さんに時間を使いたいの?」
辞める理由を聞かれ「従弟の葬式で離婚した弟がボロボロなのを見て立ち直れるまでサポートをしたいと思ったから辞めます」と私が言ったので、その期間を直属の上司には聞かれた。
「2年くらいは必要だと思います。でも、関西に帰って来ても私はもう仕事はしないと思います。私が紹介する人は前の職場で後輩だったんですが、私よりも仕事が出来る人ですし、私が覚えた仕事を全て教えてから辞めますので私が復帰するまでもないと思います。彼女を育ててください、よろしくお願いします」
ブラック有限会社の女社長は在日二世の韓国人、ホワイト株式会社の直属の女上司は日本人である。
宮崎では帰化して日本名になっている在日韓国人や、韓国籍のまま日本名で生活している在日韓国人が身近にいる。
文化的にもDNA的にも、韓国と宮崎は近しいのである。
宮崎人デカいし、宮崎弁と韓国語は発音が同じ言葉がたくさんある。
日本で生まれ育っている彼らは発音もキレイな日本語を話すし、自分から明かさなければ国籍がドコかなんてことはわからない。
18歳まで育った宮崎で私が関わって来た未成年の人たちの中には、韓国籍であることを隠している日本名の人たちがいた。私が学生だった昭和後期~平成前期の宮崎では、まだまだ差別や偏見があからさまにあったからね。
しかし学生の時の私を助けてくれた未成年たちの多くは、在日韓国人である。自分の基準で正しい道を正しいと表現する私を否定せずにいてくれたのは在日韓国人で、否定するのが日本人だった。勿論、個々の人々の人間性によるものだと思うし、日本人が全員否定的だったわけでも、在日韓国人が全員助けてくれたわけでもない。
しかし学生時分の私は、誰かが無条件で私を助けてくれた時に、損得勘定なく私を救ってくれた時に、その人の国籍を聞くのが自然な行為だった。それほど私には、在日韓国人に救われてきた事実がある。
助けてくれる在日韓国人が自分から国籍を明らかにすることはない。
二人きりの時にふと思い出したように私が、こう切り出すのである。
「あのさァ、そういや…国籍どこ?」
彼らが一瞬、身構えるのがわかる。
「親の…国籍てこと?」
この返事の仕方で、日本人でないことがわかる。
日本人は、親と自分の国籍が違うという認識はハナから無いからね。
「ううん、アンタの国籍」
日常生活に支障のない程度の日本語能力をもっている人でなければ帰化申請する条件を満たさないので、韓国語オンリーで生活をし、子供に日本語の通訳をさせている家庭では親が帰化申請をしていないが、それは私たちの世代の2つ前の時代なのである。
私たちの親世代は親に連れられて小さい頃に日本に来ているか、日本で生まれた韓国人である場合が多い。だから親が帰化申請をして日本籍になっていれば、日本人として国籍は記載されているはずである。
書類上の国籍が日本なのに、国籍を問われて即答出来ないのは、彼らが「母国がドコであるか」「自分のルーツがドコであるか」という教育を先祖代々受けているからなのである。彼らが自覚している「国籍」がドコなのか、というのが私の問いなのだ。
私の問いに、ハッキリと国籍を答えた宮崎人は、ひとりもいない。
しかし私は彼らにこう言った。
「あのさ、私を助けてくれる人が必ずいるのよ。私が苦しい時に救ってくれる人の多くがね、在日韓国人。だから私は、国籍はどこ?て聞いたのよ。私は日本人であることに誇りを持ってる日本人より、韓国籍であることを隠してる在日韓国人のほうが信用できるな、て思ってる。この考え方が変わることは一生ないと思う。私が実際に体験してきた事実だから変えようがないよね、行動の裏付けがあると変えようがない」
時代と共に人間は変わるし、成長もする。
国籍に対する偏見や差別が、全く無い世の中になるとは思っていない。
人種や性別の違いもあれば、文化や言語の違いもある、考え方もひとりひとり違って、人の数だけ真実や正解があるのに、そこに偏見や差別が生まれないことのほうがおかしいやんけ。
偏見や差別が人を傷つけることに向くのではなく、人を理解することに向けばいいだけ「おもしろいな」て興味を引くキッカケになればいいだけじゃねぇか?だから対話をしねぇか?て言ってんの。
売り言葉に買い言葉でやり合うのではなく、当たり障りのない会話で濁すのでもなく、本気で本音で対話をしねぇか?て言ってんだけどサ。だいたいの人が断ってくんだよね、何で?
対話することを断られ続けているので私は、トコトン嫌われる率のほうが高いが、幸運にも一部の稀有な変態たちにしつこく好かれているおかげで、異常に毎日が楽しい。
変態の皆さん、私を愛してくれてありがとう。
アナタたちのためだけに、私は生きています。
ま、ウソやけどな。
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