保育園送迎時の1日2回×徒歩10分の話
毎朝、子どもと一緒に保育園まで歩く。片道10分。たったそれだけの時間。でも最近、その10分がいちばん好きな時間になっている。
きっかけは、月。
ある朝、子どもが空を見上げて言った。「月出てるねー」。まだ朝なのに、空に月が残っていた。自分一人で歩いていたら、絶対に気づかなかった。子どもと歩くから、見えるものがある。そう気づいてから、この10分の見え方が変わった。
同じ道を毎日歩いている。なのに、単なる繰り返しにならない。理由はシンプル。子どもの目が向く場所が、毎日ちがうから。
ある日は公園の前を通ったとき、急に走り出して遊び始める。ある日は花壇の前でしゃがみこんで「これ何?」とじっと見ている。抱っこで歩く日は、保育園で覚えたばかりの歌を歌ってくれる。お迎えの帰り道では、今日誰と何をして遊んだか、小さな声でぽつぽつと教えてくれる。
毎日同じ景色のはずなのに、毎日新しい。子どもがそうさせてくれている。
送迎の時間は、子どものコンディションを読む時間でもある。朝、ぐずっていたり元気がなかったりするときは、今日は早めに迎えに行こうと優先順位を見直す。逆に、保育園に向かって嬉しそうに駆け出していったときは、今日は仕事をしっかりやろうと気持ちが固まる。子どもの様子が、その日の動き方を教えてくれる。
一人で帰る10分は、Kindleの読み上げ機能で本を聴く時間にしている。だから行きと帰りで、時間の役割がきれいに分かれている。一人で歩くのに、もったいなさを感じない。そういう設計にしている。
ここで少し、計算してみる。
1日往復20分の送迎を、年間240日続けると80時間。保育園に通う5年間で換算すると、400時間。かなりの量。
問題は、何も考えずに歩くと、この400時間がただの移動時間になること。だからこそ、毎朝少しだけ考えるようにしている。今日はこんなことを話してみよう。今日はこんな質問を投げかけてみよう。そう意識するだけで、10分の中身が変わる。
子どもとの信頼関係は、特別なイベントでつくられるものだとは思っていません。毎日10分の積み重ねが、400時間になる。その積み重ねの中にこそ、大切なものがある気がしている。
自分が小さい頃の記憶を辿ると、保育園には通っていません。幼稚園はバス通園で、親と並んで歩いた記憶がない。だからこそ余計に、この時間が特別に感じる。自分がもらえなかった時間を、今つくっているような感覚がある。
もし子どもが大きくなったとき、「毎日一緒に歩いたね」と覚えていてくれたなら。そう思うと、毎朝の10分が宝物のような時間だ。
毎朝、子どもと並んで歩く。今日も、何かを教えてもらえる気がする。
この徒歩10分×2回は、ひとり社長の私にとって数少ない「強制オフライン時間」でもある。休憩まで自分で設計する働き方だからこそ、この往復20分に助けられている。
