主観と客観、あなたはどちらの記事を目指す?
あらためて正確に調べてみると、私が本格的にブログらしきものを書いたのは2009年の7月なので、今からザッと16年前になります。
もちろんなんの脈絡もなく、ただ自分の生活の中での思いを適当に綴ったものであり、そこには何の目的も意図もなく、「伝えよう」という意識もないまま、思いつくままに書いていただけでした。
そこから他のブログサイトへも籍を置いて投稿しましたが、またも同じような内容の変わり映えのないブログを経て、noteにたどり着きました。
しかし今回だけは、今までとは違うものにしたいという強い思いがありました。
それは、
「ブログ」ではなく「記事」を書きたい。
というものです。
それまでは日々の事、もちろん子供たちを含めた家族の事、自分の身の回りに起きた出来事を淡々と綴るもので、ごく個人的な自分の主観が占めるものでした。
言いかえれば読者に伝わるものではなかったのです。
このnoteでは、家族や身近な範囲にとどまらず、もっと広い世界に目を向け、その世界観を共有したいという思いがありました。
それは単なる自分の趣味や関心ではありますが、時には専門的な領域に踏み込むこともあるため、読者にどう伝えるかという高いハードルを越えようという、私なりの「挑戦」でもあります。
そう、初めてnoteを書くにあたり、読者を意識したのです。
今回は、「伝わる文章とは何か」について、私なりの視点でまとめてみたいと思います。
私はいったい何を書きたいのか?

一般的に知られる文章の形式には、「コラム」「ブログ」「エッセイ」などがありますが、それらの違いをすぐに説明できますか?
一見しただけでは似ているように思われがちですが、実際にはそれぞれ意図する内容に違いがあります。
【コラム】
各種メディアなどに掲載される評論文。
根拠を明らかにしながら説得力や具体性を持たせた上で自分の意見を書く。
【ブログ】
自分の体験をもとに、根拠は不要で、単なる主観や感想を自由形式で書いたもの。
【エッセイ】
自分の体験したことや考えを自由形式で文章にしたもの。
事実をもとにしたノンフィクションとも言える。
日本語では一般的に「随筆」という文学の一ジャンルとなっている。
以上、Google検索でのAIによる回答を要約してみましたが、どうやらこれらは「似て非なるもの」であるようです。
では、私がこのnoteで目指すものとは、先に述べたように「ブログ」はこれまで散々書いてきましたし、「コラム」は少しハードルが高いと感じています。
やはり、事実と感想が入り混じった「エッセイ」がしっくりくるのではないでしょうか。
本音を言えば、「コラム」に自分の感想を織り交ぜたいと思っているのですが、現時点ではその力量がまだ追いついていないように感じています。
🖊誰の目線の文章なのか?
要するに主観的か客観的かで、その目線は大きく変わり景色も違ってくるので当然ながら文章表現も違うものになります。
例1:今日は寒いです。
例2:今日の大阪は最高気温が8度という寒さです。
例1は、「今日」「寒い」の情報しかなく、個人の主観的な文章ですが、
例2では「今日」「寒い」に加えて「大阪」「最高気温」「8度」という具体的なキーワードがあるため、同じ「寒い」でもかなり説得力を感じます。
それは単に「寒い」と表現するだけでは、個人の体感温度の違いにより、客観的なリアルさが伝わりにくいからです。
例えば、北海道や東北に住む人々にとっては、最高気温が8度でも「暖かい」と感じることがあるでしょう。
そこに「大阪」というキーワードを加えることで、「寒い」という感覚をより具体的に強調する重要な情報となるのです。
自分の主観だけで表現するのであればそれでも十分ですが、日本全国の誰にでも伝わる文章にするためには、より広い視野を持った表現が求められます。
🖊伝えたいなら”裏付け”は必須
例えば、私は歴史や宗教に関する記事を書くことがありますが、自分のこれまでの経験や知識だけでは、読者に伝わる内容を十分に書き上げることはできません。
私の記憶はコンピューターのように完全ではなく、大まかな情報しか覚えていないことがほとんどなので、その曖昧な記憶を明確にするために”裏付け”を探す作業は欠かせません。
この”裏付け”を基に書くかどうかで、記事の質には大きな違いが生まれるため、読者に正確な情報を伝えるための最低限の努力だと考えています。
また、調べても答えが見つからない場合には、正直に「わからない」と伝えることも重要であり、そうした探求の過程が、自分なりの「仮説」を生み出すきっかけにもなります。
ボヤッとしたままの文章では、読み手にもボヤッとしか伝わらず、結局何が言いたかったのか肝心なオチが伝わらない。
ただの「ブログ」であるなら、そんな努力は不要なのですが、「エッセイ」や「コラム」を目指すとなればそうはいきません。
🖊Google検索のお手本記事
何かを調べようと検索する事は日常的な作業ですが、知りたい情報を得るために検索しているのですから、その内容をしっかりと読み込もうとするのは当然です。
もちろんその時は知ろうとする事柄に意識は集中しているので気付きにくいかもしれませんが、ちょっと余裕を持って、その記事が「誰の視点」なのか探ってみて下さい。
伝わる記事には主観的な視点だけでなく、必ず客観的な視点も含まれているはずです。
そんな検索作業の中にも良いお手本となる記事は必ず潜んでいます。
私などは、検索ワードの解決よりもそっちに感心してしまう事もあるぐらいです。
逆に、なんだこれ?みたいなガッカリ記事もありますが、要するに自分が調べて読む側に立つことで、「伝わる記事」とはどのようなものかがある程度は見えてくるのです。

理想は客観プラス主観

🖊「伝える」の真意
とはいえ、客観的な視点ばかりに頼ると、文章が堅苦しくなり、読みにくさを感じさせることがあります。
専門用語が多用されていたり、難しい漢字にルビが振られていなかったり、読者を置き去りにした自己中心的な文章は、まず受け入れられません。
専門的な内容であっても、読み手が理解を深められるきっかけを提供するものにするべきです。
せっかくWeb上で、さらに世界に向けて発信しているのですから、誰が読んでも理解できるような表現を心がけるのが「伝える」ための基本だと思います。
キーワード検索で訪問してくれた方をがっかりさせることのないよう、私たち書き手も、noteユーザー以外の世界中の人々に向けて視野を広げる必要があります。
🖊主観は効果的に使う
自己中心的な文章を避けるためには、主観的な要素をうまく取り入れることも大切ではないでしょうか。
客観的な内容に、自分の本音や思いを少し加えることで、文章に”息抜き”が生まれ、時には読者を引きつける「つかみ」となることもあります。
客観的な裏付けを持ちながら読者の興味を引くには、気づかれない程度のさりげない配慮が必要だと思うのです。
たとえば紀行記事で、現地の案内板の写真をそのまま掲載しているのをたまに見かけることがあります。
たしかにそれはド・ストレートな客観的表現ではありますが、もう一工夫して、その内容を要約して記事にするぐらいの事は必要ではないでしょうか。
難しい言葉を使う必要はありません。難解な熟語を使うことで自分は満足するかもしれませんが、読み手にとっては読みづらく、不満を感じさせる文章になりかねません。
誰もがスムーズに目を通せる、流れるように読める文章こそが理想なのです。
🖊自分なりのスタイルを見つける
noteでどう伝えるかは自由です。
主観的で簡素な記事もあれば、客観的要素をふんだんに取り入れた深い記事もあります。
どちらを取るかは自分自身が持つ目的により大きく違ってくるのですが、薄い記事も濃い記事も、「伝える」という事だけは共通なのです。
noteの記事を書く際には、特定の狭い範囲のユーザーだけを対象にするのではなく、より広い視野を持った読者を想定してみると、自然と文章の形態も変わってくるのではないでしょうか。
自分の文章が日本中、さらには世界中に向けて発信されていることを、心の片隅に留めて書くことで、おのずと視界は広がり、伝わる記事になるはずです。
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