突きつけられた吉原の現実と幕政改革の下火
どれだけ飾り立てたってこれが瀬川のつとめよ。
年に2回の休みを除いてほぼ毎日がこれさ。
お前さんはこれを瀬川に年季明けまでずっとやらせるのかい?
瀬川(小芝風花)が仕事している現場を松葉屋の主人・半左衛門(正名僕蔵)に見せられて、言われた言葉に、何も返せない蔦重は苦悶の表情を浮かべるしかありませんでした。
これは蔦重にとっては残酷でしたね~
しかし、これは紛れもない現実で、夢や願望だけではどうにもならない。
あえて目を背けていた事実を無理やり直視させられたにすぎません。
※今回、張り切ってしまい文字数が嵩んだので目次を付けました。
完全に大人向けに舵をきった
昨年の「光る君へ」も攻めていると思っていましたが、今年はさらにその上をいく「大人向け」になった事は顕著です。
確かに吉原が舞台で、遊女たちを描くために性的描写は避けては通れないのですが、そこを上手く曖昧にしてきたのが過去のNHK大河ドラマでしたが、
昨年あたりからぼかす事なく、むしろピントを合わせてきています。
これは完全に「脱・ファミリー劇場」を宣言したと言ってもいい。
NHKだから…
という事を念頭に置いていた視聴者にとって不意打ちばかり食らいますが、よりリアルな真実を描くことに重点を置いた意気込みを感じます。
そう。大河は生まれ変わったのです。
遊女の現実を見せるための創作

私も当時を実際に見たわけではないので断言はできませんが、浪人の小田新之助(井之脇海)とうつせみ(小野花梨)、蔦重(横浜流星)と瀬川(小芝風花)のそれぞれの「恋バナ」は創作でしょう。
視聴者の私たちに当時の遊女たちの現実を見せるための話の流れとして、効果的に描かれました。
あいつは博打、あんたは夜鷹
松葉屋の主人夫婦は今回、良い仕事したと言えますね。
女将のいね(水野美紀)もキツイ仕打ちのように見えますが、「愛あるしつけ」だったと思います。
新之助とうつせみが試みた「足抜け」はいわゆる吉原からの逃亡。
脱出して逃げたはいいが、その後の生活はまず成り立たない。
一時的にのぼせた恋愛感情など一気に醒める見事な対応でした。
水野美紀さんはキレイな人なのに眉毛がないだけで強面となり、こんな演技もできるのかと、どうでも良いところで感心しましたが、とにかくえらい迫力でした。
夜鷹とはいわゆる「売春婦」。
河原などのそこらの空き地に掘っ建てた仮小屋で身体を売る商売なので、吉原はおろか岡場所でも通用しなくなった老女や訳ありの娼婦が営む下の下の最低ランクの娼婦なのです。
当然、性病のリスクも比べものにならないぐらい高い。
そして男の新之助の方は何とか日銭を稼ごうと博打に手を出すのがオチで、どんどんカモにされて稼ぐどころか借金がかさむ。
「足抜け」のそんな末路を厳しく諭したわけです。
それもそのはず女将のいねも元は花魁で、嫌というほど見てきた世界だけに、重々わかっていたのです。
今回の松葉屋の主人夫婦はやり方はキツイけども、結局はこの世界を知りぬいているからこその荒技でした。
遊女たちはいわば大切な商品であり、またここまで育てた親としての「愛ある忠告」だとも言えます。
蔦重は「やきもち」からスイッチが入った
蔦重が現実を衝き突きつけられるに至ったのは、新之助&うつせみに倣って瀬川との「足抜け」を画策したからでした。
そして、それまで蔦重には瀬川に対してはただの幼馴染としての感情しかなかったはずなのに、自分の中の愛情に目覚めてしまう重要なシーンがありました。
瀬川と身請け予定の盲目の金持ち・鳥山検校(市原隼人)との息の合ったシーンを目撃したことは蔦重にとっては衝撃だったはずです。
瀬川:「お待たせいたしんした」
検校:「遅かりし由良助」
瀬川:「御生害には間に合いんしたようで」
「由良助」とは浄瑠璃や歌舞伎の演目にもなった「仮名手本忠臣蔵」での大石蔵之介がモデルの人物が、主君の切腹に間に合わなかった時のセリフで「待ちわびていた」という意味になります。
これは実に気の利いた会話であり、二人の相性の良さがよくわかるものでした。
検校に穏やかに返す瀬川にも教養の高さが伺え、笑顔で見つめ合うという二人のやり取りを見た蔦重は、一気に心穏やかではなくなるのも当然でしょう。
あか~ん!
このままやったら、あいつに瀬川を持っていかれてしまうわ💦かなり遅いけどやっと気づいた!
後日、蔦重は「あいつはくず中のくず」「ヒルみたいな連中」などと検校を罵り、瀬川を引き留めようとする姿は、まるで「負け犬」そのものでした。
同時に居ても立ってもいられない切羽詰まった感もありました。
実際、検校とは盲人としての最高位の役職名であり、幕府から保護されて、身体的ハンディキャップがある配慮から、高利貸も許可され、かなり悪徳な荒稼ぎをしていました。
醜態をさらしながらもやっと口から出た言葉。
「俺がおまえを幸せにしてぇの」
やっと素直になった蔦重でしたが、二人の出したプランは、「足抜け」ではなく、瀬川の年季が明けてから一緒に暮らすことでした。
この時の瀬川の年齢が不明なので、年季が明けた時には何歳になるのかはわかりませんが、それは、このまま客を取り続けて瀬川の間夫として精神的に耐えられるか、また病気で命を落とすなどの大きなリスクに晒される事を意味します。
ハッキリ言って、これも現実的ではありません。
「とびきりの思い出になったさ」
足抜けに必要な通行切手を、真っ二つに破いて蔦重に返した瀬川のセリフもとても重みがありました。
聡い蔦重と瀬川は、それをきっちり察知して諦めるしかありませんでした。
このような顛末の遊女たちを吉原では、「恋の徒花」といい、咲いてもすぐに散ってしまう決して実を結ばない儚い花という意味に例えられています。
当時の遊女の平均寿命は23歳。
いかにも薄幸な「恋の徒花」はあまりにも短命で、ただ金で買われただけの見せかけだけの「偽花」に過ぎず、本物の花は咲きかけても決して満開にはならなかったのです。

二代目・歌川広重
浮世絵検索
田安賢丸の種まきとは

吉原で実現することのない「恋バナ」が咲いてはしぼんでいた頃、白河藩(現:福島県)への養子入りが決まった田安家の松平賢丸(寺田心)が、「種まき…!」とつぶやきハッとなった様子で立ち上がり走り去るシーンがありました。
彼こそ、後の松平定信。
幕府の老中となり「寛政の改革」を推し進めた人物であり、現在の田沼意次を徹底的に嫌って相反する政治を目指すことになります。
ただ、その余波は当然ながら蔦重たち吉原や出版業界にも大きな影響を及ぼすことになりますので、この心くんの動向にも注目しておいた方がいいでしょう。
あのTOTOのCMでの可愛らしい子役が、こんな大役を演じるまでになったとは感無量の思いです。
「御三家」と「御三卿」
そもそも徳川には、将軍職を確実に継承させるために設けられた家があります。
いざとなればそれらから将軍を輩出するために「御三家」と「御三卿」としてそれぞれ三家ずつ指名され、それらの違いは以下の通りです。
「御三家」
初代・家康の息子たちを始祖とする家で、徳川将軍家の一門の一族であり、他の御家門とは別格の扱いを受け、それぞれが藩を持つ大大名。
将軍家に次ぐ家格を有し「徳川」を名乗り三つ葉葵の家紋も使用。
・尾張徳川家ー9男・義直が祖
・紀州徳川家ー10男・頼宣が祖
・水戸徳川家ー11男・頼房が祖
「御三卿」
徳川家の一門ではあるが、8代吉宗がより安定した将軍継承のために新たに創設。
独立した大名ではないため藩は持たず江戸城内に居住。
・田安家ー吉宗の次男・宗武が祖
・一橋家ー吉宗の4男・宗尹が祖
・清水家ー9代家重の次男・重好が租
将軍継承の優先順位
家格は御三家の方が高いのでしょうが、現実問題として本来、将軍の跡継ぎを輩出する目的で創設された御三卿に重きを置かれていたようです。
ですから継承順位は以下の通りだといえるでしょう。
①当代将軍の息子
②御三卿
③御三家(尾張・紀州)
④御三家(水戸)
養子縁組は権勢維持のため
前述の六家のうち、将軍を輩出したのは御三家では紀州から8代・吉宗と14代家茂ですが、後者は御三卿の一橋家から養子に入った家斉の孫なのです。
そして、
御三卿においては一橋家のみで、11代家斉と15代慶喜がいます。
家斉は先ごろ生まれたばかりの一橋治済(生田斗真)の息子で、今の家治没後に将軍職を引き継ぎました。
最後の将軍となった慶喜が水戸徳川家から一橋家へとわざわざ養子に入ったのも、生まれた水戸藩の将軍継承順位が低かったためで、②の御三卿である一橋家へ養子に入った方が格段に将軍になれる確率が上がるからです。
このくだりは2021年「晴天を衝け」での慶喜役・草彅剛さんが熱演されていましたね。
ややこしいので、今回の養子縁組を整理すると以下の通りです。

ドラマに登場していない人物もいます。
これ以外にも、後に家斉の息子2人が清水家にも養子に入るので、御三卿全てが一橋家の血統になるのも面白いです。
これもこの時の一橋治済の計算高さに端を発したことだとすれば、上記の養子縁組みはかなり重要なことでした。
たくさんの子を成すことができればいいのですが、そう上手くはいかない。
これら将軍家や御三卿、御三家の間で養子縁組、また女性の輿入れによる閨閥の形成などで、権勢を維持、イヤ、より拡大していく必要がありました。
これって昨年の「光る君へ」での藤原摂関政治と変わらないですね。
戦のない世になると文治政治が主体となり、あとはとにかく「輿入れ」と「養子」によって家の格をどう上げていくかの小競り合いでのし上がるしかないのでしょう。
「種をまく」は今後の展開のヒント
田安家は現・老中の田沼意次の政治批判をしたことで、10代・家治《いえはる》(眞島秀和)の命令だと偽られ、しぶしぶ賢丸を白河藩へ養子に出すことになりましが、田安家でも当主の治察 (入江甚儀)が没した今、家を出て大丈夫なのでしょうか?
実は一橋家より斉匡を迎えるまで、賢丸の養母である法蓮院(花總まり)が当主代行を務める事になるのです。
とはいえ養子先の白河藩も正当な跡継ぎに恵まれず、養子縁組でなんとか引き継いできた藩で、しかも家康時代の四天王の家や外孫など徳川ゆかりの「名門」から迎えてきました。
それはズバリ家格(伺候席)を上げるためです。
そのためには御三卿の一つである田安家から迎える事を企図したのです。
しかも賢丸は現・将軍の家治と同じく8代・吉宗の孫でもあり、その血筋がどうしても欲しかった。
この時点ではまだ賢丸は老中になるとは思ってもいないでしょうし、その「種まき」とは、白河藩へ割り切って入る事なのか?それとも「打倒・田沼」の目標を持って力をつけることなのか?
今のところ具体的に何を指すのか漠然としていますが、「種まき」はストーリーの行方に大きく関わってくるので、今後の賢丸の成長と思惑に注目です。
【参考・引用】
・徳川御三卿の陰謀
・ステラnet
・サライ
・美術展ナビ
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。
どうぞご協力よろしくお願いします。