理不尽なのは鬼か人間か。大人がハマる「鬼滅の刃」の哲学とは
「鬼滅の刃」は原作を読んでいませんが、アニメはテレビ版も劇場版もすべて観ています。
とはいえ、映画館で鑑賞したのは今回が初めてです。
前回の「柱稽古編」のラストを観たとき、もう次を観ずにはいられないという衝動に駆られたのは、きっと私だけではないでしょう。
過去にテレビ放映された劇場版映画はもちろん、特別編や30分の連載アニメも含めてすべて観てしまったのは、どうしても続きが気になって観続けているうちに、気付けばすべて観終わっていたという感覚です。
随所に涙を誘う名シーンがありましたが、今作も同様に自然と五感をフルに活用してしまう作品でした。
他にも書きたいお出かけ記事はありますが、この興奮が冷めないうちに記録しておこうと思います。
ネタバレは可能な限り避けたいと思いますので、どれだけ皆さんに伝わるかはわかりませんが、私が感じたこの物語の根底にある「核心」について整理してみたいと思います。
アニメの映像美も
ここまできたか!

たかがマンガと言って片付けられない理由の一つに、陳腐な実写版では到底及ばない魅力がこのシリーズには存在します。
アニメだからこそ可能となった精緻な映像美もその一例であり、今回の映画に登場した「無限城」は、それまでの集大成ともいえるほど素晴らしい出来栄えでした。
まさしくどこまでも無限に続く城!
果てしなく続く廊下と空間、そしてそれらが生きているかのように次々と絶えず変化する様子は圧巻そのものであり、3DCGを駆使した細やかな描写は従来の常識を超え、もはや軌道を逸脱したものだと感じました。
無限城の様子は蠢く生命体そのもので、あまりにもリアルでした。
まるでジェットコースターに乗っているかのようで、油断すると酔ってしまいそうですが、目が離せません。
その息を飲むほどの美しさに、ただ見惚れてしまうのです。
過去作品の映像も、背景などを含めて素晴らしいものでしたが、今作品は間違いなく過去最高の完成度を誇るものではないでしょうか。
アニメーション技術が現在進行形で確実に更新され続けていることを実感し、制作スタッフの完成までのたゆまぬ努力には、ただただ頭が下がる思いです。
謎に包まれた作者の
隙のない想像力
そして原案者である吾峠呼世晴さんは、性別すら公表されていない謎の人物です。
発案の時点からこのような大筋を考えていたのでしょうか?
もしそうだとしたら、その想像力の豊かさには驚かされるばかりです。
他の有名な人気アニメは、人気が出ると話を引き延ばす傾向が強く、観ている側も飽きてしまい、心が離れがちです。しかし、今作に限っては、ここにきて一気に核心に近付き、着地点すら見えてきました。
ダレ始めた瞬間に、突然の急展開が本当に巧みです。
しかもそれは、思わず身を乗り出してしまうほど、凡人には想像も及ばないものでした。
それまで鬼や人間たちの様々な人生が交錯する様を観てきたからこそ、納得できるものがあり、ただの鬼退治という単調なものではないのです。
「思い」は千年引き継がれた

事の起こりは千年以上前の平安時代に遡ります。
ある一族から「鬼」に変化する者が現れ、仲間を増やし続け、進化を重ねていきました。
一方で、同じ一族の中からその鬼をこの世から滅ぼすことを代々の使命とし、「鬼殺隊」を結成。仲間を増やしながらその使命を受け継いできました。
千年に及ぶ途方もない長い歳月の中で、双方の戦いと犠牲の歴史が紡がれ、「因縁」と呼ぶには軽々しいほど、深く固い関係が築かれてきたのです。
教外別伝
その意味は、言葉や書物だけに頼らず、心から心へと直接伝えられるものです。
鬼によって家族や身内、大切な人を奪われ、人生を狂わされた者たちの強い思い。
あるいは親の跡を継ぎ志願した者や、特別な能力を持つ者たちが「鬼殺隊」の一員となり、普通では得られないほど特別な教えを受けます。
集まった彼らの思いは途方もなく大きく、それは単なる復讐の枠を超え、世の人々のためにという広い視野で捉えた「思い」なのです。
一念通天
強い決意を持って努力を続ければ、いつか天にも届き、成し遂げられる。
本作では、一人の力だけでなく、多くの仲間たちの「一念」が結集し、とてつもない力を発揮します。
たとえば、家族や会社、あるいは友人グループでその「一念」を貫くことは困難ですが、それを実現する過程を描いています。
諦めなければいつか実現するという展開は、大きな希望を抱かせるものであり、見応えがあります。
自己犠牲
昨年の「法隆寺訪問」で触れた「捨身飼虎」という金光明経に由来する教えを思い出しました。
釈迦が前世で飢えた虎のために、自らエサとなべく身を投じた話
本作シリーズでは、まさしく自らが囮となり命を捨てるシーンがあります。
これは想像もしていなかっただけに、私にとって忘れられない名シーンとなりました。
これほど驚いた展開は他にありません。
その際に言ったセリフも非常に深いものでした。
「私の存在など大したものではない。
私がいなくなっても、『思い』だけはこれからも皆に引き継がれる。」
なんと、まるで釈迦のようなことを言うではありませんか。
自身の「生」に一切執着せず、「心」を余すことなく次世代に伝え、引き継がれていくという「信念」こそが永遠である。
形あるものはいつか壊れるが、信念だけは消えないという深い教えが込められているのです。
万里一空
~どこまで行っても空は一つであり、世界は繋がっている~
宮本武蔵の「五輪書」に由来する言葉ですが、私欲ではなく世のための公欲を実現するために目的を見失わず、ひたむきに努力を続ける姿勢は「鬼滅の刃」に一貫した教訓として描かれています。
鬼殺隊それぞれの「私」の恨みはあれど、それだけに留まらず、より広い視野を持って鬼の撲滅を目指します。
その道のりは果てしなく遠いものですが、目標や信念があれば必ず叶うという希望が込められているのです。
精神一到
今回、見どころの多い対決が複数ありましたが、いずれも精神を全集中させて挑む、まさに命がけのやり取りであり、極限の緊張感が漂っています。
その中で、「生」に固執することなく、全身全霊で持てる力を振り絞る姿に心を打たれるのは、正義の味方だから死なない、などという軽薄な定義は存在しないからかもしれません。
生身の人間が命を削りながら戦う姿は、本当に美しいと感じました。
真の鬼は実は人間では?

本作品に登場する鬼たちは、元々は全て人間であり、鬼となった理由はそれぞれ異なります。
病弱で日常生活が送れず、周囲から馬鹿にされた。
嘘つきだと非難された。
人格を否定され続けた。
大切な人を理不尽に殺された。
このように、鬼に襲われたのではなく、人間による暴言や暴行によって心が闇に囚われ、鬼になることを余儀なくされた者がほとんどです。
確かに鬼は狂暴で理屈なく人を殺し、それを食らうことで命を繋ぎ、驚異的な再生能力を持つため死なない。
いや、死ねないと言った方が正しいのかもしれない。
その体質は「吸血鬼」と重なり、死ねないがゆえに人間よりも多くの苦悩を抱えることになります。
それは例えば中村ふみ原作の「裏閻魔」や萩尾望都の「ポーの一族」をも彷彿とさせる奥深い命の意味をテーマにしているのです。
死なない事は果たして幸せなのか?
という事を改めて強く思ってしまうラストでした。
そして、本当の意味の「鬼」は実は人間ではないか?
という事実にハタッと気付いてしまいました。
人は誰しも心の奥底に「鬼」を宿し、それを無意識のうちに容赦なく他者へ向けることがあります。
純粋な心を持つ人ほど、容易にその「鬼」へと変貌してしまうのかもしれません。
だからこそ、現実社会において「いじめ」が絶えず、我が子を虐待死させる親が後を絶たない状況が続いているように思えるのです。
―人は誰でも心に「鬼」を抱えている―
そう結論づけることで、不思議とその「鬼」の思いにも寄り添える気がします。
元を正せば、人間の心ない言動が原因で鬼となったのなら、その元凶はやはり人間にあるのではないでしょうか。
心に鬼が宿った人間は、他者を人として扱わず、平然と差別を行います。
世の中の多くの犯罪は、結局のところ、人々の歪んだものの見方が発端となっているのかもしれません。
人を公平に判断することは難しいかもしれませんが、視点ひとつで極端な結論に至ってしまうという事実は、非常に恐ろしいものです。
この作品を通じて伝えたかったことは、理不尽で心ない「鬼」とは、実は人間そのものではないかと問いかけているのではないでしょうか。
ちびっ子たちにはそんなところまで理解するのは難しいでしょうが、いくらでも深読みできる内容こそが、大人たちが夢中になる要因だと思います。
さらに、鬼たちが死の間際に人間だった頃の記憶を取り戻し、人生を振り返る場面では、鬼たちにも共感できる部分があり、それが「鬼滅の刃」の最大の魅力であり「核」でもあると思うのです。
~まだ一作もご覧になっていない方へ~
できれば全作をご覧いただきたいところですが、一気に鑑賞するのは難しいかと思います。
せめて、「無限列車編」「柱稽古編」「無限城編」だけでもご覧いただければ、上記の内容は十分伝わるのではないでしょうか。
※トップ画像は劇場内の撮影スポットを撮影し、Canvaで文字入れしました。
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